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インクルーシブな幼稚園

 神奈川県川崎市に4万坪もの広大な敷地に900名の子どもたちが伸び伸びと育つ幼稚園がある。柿の実幼稚園である。昭和56(1983)年にこの園の職員となった現園長の小島澄人氏は、これまで3000人の障がいや病気を抱える子どもたちの受け入れを積極的に受け入れ続けてきた。障がいの種類は、肢体不自由、全盲、自閉症、ダウン症、日常的に吸引・胃ろう・導尿が必要な医療的ケア児など様々で、数十か所の幼稚園で受け入れを断られてきた子どもたちだ。現在も約120名のハンディのある子どもたちが健常児と共に生き生きと通園している。

 山の中にある柿の実幼稚園は、多様な子どもたちを受け入れて以降、バリアフリーと間逆な環境の中で最低限のバリアフリー対策をしつつも、「みんなちがってみんないい」をモットーとし、障害のある子の特別クラスは設けず、インクルーシブに子どもたちを育てている。学校や社会で出会う人に一人として同じ人がいないので、幼いころから様々な個性を持つ人の輪の中で自然に生きていくことが大切との考えからだ。そのため保育士は170名ほど在籍する他、看護師や介護福祉士も常駐している。

 小島園長は職員に次のように声をかけている。
 「インクルーシブ教育にはたくさんの人の手が必要です。基本は『あったかい手でありなさい。同僚にも子どもにも、保護者にもあったかい人であろう』です。『あったかい手』とは、してあげたものは返ってこなくても、すぐ忘れる。してもらったものはいつまでも覚えている、ということです。そういう気持ちであれば、この子たちと関わることができるのです。」

 柿の実保育園には、『てくむの会』と 『て・くんで歩む会』という保護者の会員組織がある。 『てくむの会』(『てくむ』はラテン語で『あなたとともに』(英語ではwith you)という意味)では、支援が必要な園児の親がOBも含めて集まり、情報交換や就職の相談、世話などをする。『て・くんで歩む会』は、支援を必要とする子どもの親を支える会だ。今では300人ぐらいの会員数になり、趣旨に賛同した人が赤いリボンをつけて、子どもから目を離せない親の手助けをしている。このように、保育士を助ける多様な支援グループが周囲にあり、地域社会とつながっていることで園の活動が成り立っている。

 子どもたちにどんな大人になってほしいですかという質問に小島園長は次のように答えている。
「『柿の実幼稚園に行くといろんな子がいるから、レベルが落ちちゃうよね』という言葉を耳にしてしまった職員に、『いや、それはレベルが落ちるのではなくて、それを受け入れて初めて本物のレベルになるから、気にしなくていいよ』と言いました。本当に心が広いというのは、そういう子まで受け入れて、そこで本物の良さが出てくるのではないかな、その子にも。車いすを動かせないで困っている、そこを通り過ぎて行く子どももいるけど、うちの園児は、あっと気付いて押してあげる。いくら知的に優れていても、いい学歴の学校に行っても、そういうことができない人間は、果たして素晴らしい人なのかなと私は思います」
 「インクルーシブな環境をつくろう」というと、何か特別な設備をつくらなければと思いがちだが、それは健常な子どもと特別な子どもとの間に『壁ありきの論理』になる危うさがある。その点、分け隔てなく受け入れてから、必要にあわせて対処する柿の実のスタイルは、とても自然な形であり、インクルーシブな意識と行動があれば、インクルーシブな人が育つ場が生まれる好事例だ。

 柿の実幼稚園の運動会で最も感動的なのは、年長のリレーとのことだ。各クラスに5、6人の支援が必要な子どもが登場する。車いすの子、走れない子、ダウン症・自閉症の子など支援が必要な子が出てくると、一緒に手をつないで歩いたり、車いすを押したりする。子どもたちはみんなで力を合わせて、2〜3周遅れることもあるけれど、それを取り返そうと次の子は頑張って走るし、応援にも力が入る。あの子のせいで負けたとは誰も言わない。一緒に過ごす大切さを知ればインクルーシブ教育は子どもたちやその家族を幸せにするのだ。今では『障がい児』と言わず『支援を要する子』と言うようになり、メディアや大学も「インクルーシブ教育」という言葉を使い始めている。特別支援教育に携わる人たちが壁を取っ払い、いろんな人が生きていく中で支え合う、そういうインクルーシブな社会を広げていくためには、子どもはもちろん私たち大人も、多様な人々と日常を一緒に過ごすことが重要だ。

 長崎の五島列島出身で敬虔なクリスチャンの両親に育てられた小島澄人園長は、大学4年生までの10年間を神学校にて過ごす中で20歳の記念に次のような詩を書く。

 「いま黙さねば」
いま、黙さねば 生涯、残る悔いがある
いま、蒔かねば 生涯、芽生えぬ種がある
いま、見舞わねば 生涯、孤独の病人がある
いま、拾わねば 生涯、見失う落ち穂がある
いま、応答せねば 生涯、聞けぬ囁きがある
いま、宿さねば 生涯、漂流の旅人がある
いま、読書せねば 生涯、埋まらぬ空白の老境がある
いま、悔い改めねば 生涯、尾をひく罪がある

 素晴らしい「生き方の法則」である。


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