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「ふつう」ってなぁに? その2 みんなちがって、みんないい!

 「お互いの違いや個性を認め、受け入れて、一緒に協力していく」ことを英語で「インクルージョン」という。みんなが、この「インクルージョン」ということをしっかりと意識し、お互いの違いを認め合って楽しめるようになれば、みんなが笑顔になり、学校生活も楽しくなるはずだ。とはいっても、この「インクルージョン」というのは、頭では分かっていても、実際にやるのはとても難しいことだ。「ふつう」って何だろう…。自分の中の「ふつう」が、他の人にとって「ふつう」とは限らない。だからこそ、すべての人が「インクルージョン」ということを意識して、自分とは違うな…と思う人の良さを見付け、違うことを楽しみながら、一緒に協力していけるような世の中になってほしいものだ。

 この「ふつう」という言葉。場合によっては個性や考えを否定してしまうこともある。例えば、世の中には自分の体に不自由な所がある方もいらっしゃる。この違いをお互いが「相手はふつうでないな」と考えてしまったら相手を否定すると同時に傷つけてしまう。日常の会話の中でも結構多く「ふつう」という言葉を耳にする。例えば、A さんの行動が B さんや C さんの反感をかったとき B さんや C さんが「もし自分が A さんだったらふつうはあんなことしないよ」などと言っているとしよう。だが、これは「自分だったら」の話であり、A さんは A さんなりの考えで行動したのだ。Bさんと C さんは、それぞれの「ふつう」を押しつけることによって A さんの行動を否定してしまっている。行動を否定するということはその人の考えを、その人の「ふつう」を否定してしまうことになる。「ふつう」という言葉が人を傷つけたり否定してしまうということを忘れてはならない。

 私が住む愛知県名古屋市には名古屋鉄道(名鉄)が走っている。名鉄では各駅停車する列車を「普通」と呼称し、「普通電車岡崎行き」などと使っている。この場合の「ふつう」は各駅停車の意味で、他に「準急」「急行」「特急」の列車が存在する。
 公立・私立に関係なく、高等学校では一般的なクラスに「普通科」を呼称する学校が多いのではないだろうか。この場合、「商業科」や「音楽科」などの専門課程と区別するために「ふつう」という言葉を使用している。
 私が小学生のころ、理容店に一人で散髪に行った際、店員さんからどれぐらい切るか尋ねられると、「普通でお願いします」と言っていたのを思い出した。今思えば、店員さんも困ったことだろう。

 「ふつう」とは非常に難しい言葉だ。あるときは人それぞれの独自のルール、自分だけの考え、つまり個性をあらわし、またあるときは相手の個性や考えを否定してしまう言葉にもなる。しかし、これだけ難しい言葉なのに日常的に簡単に使われている言葉でもある。また私の周りで「ふつう」という言葉が使われていてもそんな「ふつう」にとらわれないように、そして、お互いの違いを理解して自分の「ふつう」を押しつけることのないように生活していこうと思う。この世の中に誰一人、同じ人はいない。私は、生きている人全ての個性が輝き、一人一人が自分だけの人生を堂々と歩んでいけるような世の中になってほしいと思っている。

 「みんなちがってみんないい」
  金子みすゞさんの「わたしと小鳥とすずと」の詩の一節にあることばだ。金子みすゞさんの詩は、どれを読んでも慈悲に満ちたあたたかい、おもいやりのあることばで、私達にやさしく語りかけてくれる。その詩から、すべてのいのちは、あるがままで尊い存在であり、それぞれがいのちの輝きをもって生きていることがわかる。
 人それぞれには「色」がある。それは「個性」といえる。その個性が光り輝くことがすばらしいことなのだ。さらに、その輝きがお互いに輝きあって微妙な色合いを織り成すことにより全体としてすばらしい色合いで光を放つ、そこにこそ金子みすゞさんが理想としたさとりの世界があるのではないだろうか。

「みんなちがって、みんないい。」は、21世紀の日本にとって重要な言葉だと感じている。金子みすゞさんは立場の弱い者に対する心遣いにあふれる人だった。代表作の一つ「大漁」は、いわしの大漁で浜は祭りだが、海の底ではお葬式をしているだろうという詩だ。捕られた側の視点を描いている。どの詩も優しさ、慈しみの心が感じられる。「みんなちがって、みんないい。」は「わたしと小鳥とすずと」の中の一節だ。小鳥は飛べるし、鈴はきれいな音を出すことができる。わたしにはそれができないけれど、わたしも、小鳥や鈴にできないことができるとして「みんなちがって、みんないい。」と締めくくっている。タイトルは「わたしと小鳥とすずと」であるのに、詩の最後では「すずと、小鳥と、それからわたし」と順番が逆転している。すずや小鳥の素晴らしさを認めた上で、みすゞさんが自分自身の良さも認めることができている。すべてに優劣はなく、人間である自分、動物である小鳥、そして無機物である鈴さえ、同じように並べているところが素晴らしい。





 

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