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「ふつう」は「ふつう」なのか?

 日本人は「ふつう」という言葉をよく使う。「元気ですか?」と聞かれ
ても「ふつう」…。「これ好き?」と聞かれても「ふつう」…と答える人がたくさんいる。また、「ふつう、これくらいできるよね」などと使うときもある。「ふつう」という言葉は、普段の生活のいろいろな場面で使われる。

 「ふつう」って何だろう。多くの人は、自分は「ふつう」だと思っている気がする。そして、自分ができることは、他の人もできて「ふつう」、反対に自分ができることをできない人のことを「ふつうじゃない人」なんて思ったことはないだろうか。

 しかしながら、すべての人にとっての「ふつう」は存在しない。食べ物に置き換えて考えてみるとわかりやすいだろうか。皆さんは、御飯のおかずやおやつに「虫」を食べるだろうか。きっと日本人の若者はほとんどの人が食べないと思うが、昔は「はちのこ(蜂の幼虫)」や「イナゴ」を貴重なタンパク源として食べる習慣があった。最近は、ヨーロッパを中心に健康食としての昆虫色がブームとなり、無印良品でもコオロギが販売されている。私自身は2009年に初めてカンボジアを訪れた際、屋台で販売されていたコオロギやタガメを食した。現地ではこれがおやつなのだ。コオロギは美味しく食べれたが、タガメは正直言って羽の部分が気になった。また、カンボジアで鍋を頼んだ際、トロトロの肉が美味だったので、店員に何の肉か尋ねると「豚の脳みそ」だと教えてくれた。知らない方が良かったのか、知ってしまって良かったのか逡巡したが、今では貴重な異文化体験ができたと思っている。
 
 私たちは日本人はカレーライスをスプーンで食べるし、犬の肉は食べないが、世界にはカレーライスを手で食べる国もあるし、犬を食べる国もある。犬が大好きな私からすると抵抗はあるが、もし現地で提供されればきっと口にするだろう。では、その国やその地域の人たちは「ふつう」ではないのかと問われれば、日本人の視点で言えば「ふつう」ではないが、その国の人たちからすれば、それは全く「ふつう」のことなのだ。「ふつう」は住む国や地域、文化によって変化するものなのだ。

 私が3月末まで勤務していた社会福祉法人愛知育児院は真宗大谷派の社会福祉施設だ。『仏説阿弥陀経』というお経の最初の部分には極楽浄土の様子が説かれている。その中に次のような文言がある。                  
  池中蓮華(ちちゅうれんげ) 大如車輪(だいにょしゃりん)
  青色青光(しょうしきしょうこう)黄色黄光(おうしきおうこう)
  赤色赤光(しゃくしきしゃっこう)白色白光(びゃくしきびゃっこう)
 その意味は、極楽浄土にある池の中の蓮の花は、大きさは車輪のようだ。青い花は青い光を放ち、黄色い花は黄色い光を放ち赤い花は赤い光を放ち、白い花は白い光を放つ、というものだ。極楽浄土では、誰もがありのままの個性を保っているが、そこに差別は存在しない。自分と違う他者を尊重し、共に生きていく世界なのだということを、花の色に例えて私たちに説いてくれている。それぞれの花が自らの色そのままで咲くことが尊く、私たち一人ひとりが自らいただいている尊いものに気付くことが大切であり、人それぞれには「色」がある。それが「個性」なのだ。その個性が光り輝くことがすばらしいことなのだ。さらに、その輝きがお互いに輝きあって微妙な色合いを織り成すことにより全体としてすばらしい色合いで光を放つのだ。
 
 現実世界では、自分の個性をおさえて他人に合わせようとしたり、また全体に合わせる事を強要されたりする。他者と違いがあってはならない、違いがあると白い眼で見られる、あるいは差別されるという実例はたくさんある。極楽浄土とは、一人一人それぞれ違っても、そこに差別や区別はなく、違う者同士が共に生きられる世界なのだ。通常、お経というのは、誰かがお釈迦様に問いを発し、それにお釈迦様が答えるという形で説かれている。しかし、『仏説阿弥陀経』は誰からも問われていないのに、お釈迦様は自ら極楽浄土のことを弟子のサーリプッタにえんえんと説いている。お釈迦様には、「これだけはちゃんと皆に説いておかなければならない」という使命感があったのだろう。なぜお釈迦様は『仏説阿弥陀経』で極楽の様子を説かれたのか、それは極楽浄土の様子を説くことで、私たちのくらす現実世界を批判しているのかもしれない。
 批判されて見えてくるものがある。現実の暮らしの中で、私たちはともすれば自分の個性をおさえつけていないか、それを誰かに強要していないか、私自身も含めて考えさせらる。
 一人一人あるがままの個性で、みんな違っても、共に生きられる社会、すなわち、「ばらばらでいっしょ」。この言葉は、1998(平成10)年に蓮如上人500回御遠忌のテーマとして、京都の東本願寺に大きな横断幕に書かれた言葉だ。そういう社会に暮らしたいものだ。


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