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賑給:日本の古代に存在した社会保障制度

 日本における古代の税制には「社会保障」の仕組みもあったという。私たちが中学や高校で教えられてきた日本の歴史、それも古代史には「重税による圧政に民は苦しんでいた」という記述が多い。日本の為政者たちがずっと国民を苦しめてきたようにも思えてしまう。しかし、「お金の流れ」を丁寧に読むと、実はそれが大きな間違いだったということができる。

 そもそも、「税」というのは、それほど簡単に徴収できるものではない。いくら国家権力を駆使したところで、重税をかければ、民衆は必ず反抗する。そして、民衆の反抗が強くなれば、国家は運営できなくなる。
 日本は歴史上、民衆からの突き上げで革命が起きたことは一度もない。ということは、民衆がそこまで強い不満を持ったことはない、つまりは、いつの時代でも税制はそれなりによくできていたものと思われる。それは、古代日本の税制についても言えることだ。

 古代日本の税制は「租・庸・調」というものだ。唐の税制を真似てつくったものとされているが、日本の独自色もある。古代に運用されていたものとしては、よくできた制度だったといえる。どこがよくできていたのかというと、それほど重税にはならず、また社会保障制度なども採り入れられていた、というところである。

 租庸調を簡単に説明すれば、「租」は米(稲)、「庸」は労役、「調」は布や特産品を、それぞれ税として納めるというものである。
「租」として徴収される米は「収穫高の3%程度」とされており、決して高いものではなかった。納められた米は、一部は朝廷に送られたものの、大部分は風(地方の役所)に保管されていた。そして、国衙こくがに保管された米は、「賑給」のために支出する以外は、ほとんどが“貯蓄”されていた。ちなみに「賑給」というのは、高齢者や貧困者などのために米・塩・布などを支給する制度である。

 「租」は、「武]と呼ばれる成人男子(21歳~60歳)が、年に60日間の労役をしなければならない」というものだった。日数は時代によって半減されたこともあった。また、「布を二丈六尺」納めれば、使役が免除されるという制度もあった。この使役により、灌漑などの土木工事、国家施設の建設などが行われた。

 「調」とは、「絹、糸、綿、布、鉄、塩、海産物を納める」という税制度である。畿内は、すべて布で、しかも他の地域の半分でいい、ということになっていた。この「調」が朝廷の主要な財源になり、朝廷の官僚などへの給与が支払われていたようである。

 ちなみに官僚の給料は、「禄令」という法令に定められている。位や官職に応じて、米、布、塩、銭などが支給される。高給貴族の場合は、「食封」と呼ばれる領地のようなものが与えられ、その土地から徴収される「庸」「調」の全部と、「租」の半分が取り分とされた。

 また、これ以外の主な税に「出挙すいこ」というものがある。「出挙」というのは、春夏の年2回、農民に種籾を貸し出し、秋の収穫時に5割程度の利息をつけて返還させる、という制度である。貧しい農民は田植用の種籾を持っていないので、種籾の貸し出しは非常にありがたかったはずである。これは大化の改新以前から行われていたもので、ここで得られた財源で地方での諸経費(税の運搬費用など)を賄っていた。

 出挙は、当初は貧しい農民の救済策だったが、多くの利を生むものでもあったので、天平6(734)年ごろから財源としてあてにされてしまい、大規模化していった。やがて農民に強制的に種籾を貸し出すようになり、結局、正規の税として組み込まれたのだ。

 先に触れた「賑給」などの社会保障制度も、古代としては充実していた。
賑給は定期的に行われるほか、飢や災害などのときにも臨時的に行われた。疾病が流行した時には、薬の支給なども行われている。

 また推古元(593)年、貧者救済などのために聖徳太子が四箇院(悲田院、敬田院、療病院、施薬院)をつくったとされている。これは孤児や身寄りのない老人や貧しい人を収容したり、食糧・医薬品を与えたりする施設である。

 正倉院には光明皇后が献納した薬が残っている。これは施院を通して、貧しい病人に与えられていたという。
 このように日本では、古代から社会保障制度のようなものがあったのだ。
もちろん、賑給などは、まだまだ原始的な制度であり、現代のような包括的な社会保障とはなっていなかった。災害や飢饉の規模が大きいと役に立たなかったり、役人の不正によって機能しなくなったりすることも、しばしばあったようである。だが、この当時からすでに国の制度として、高齢者、貧困者、被災者を扶助するシステムがあったことは、注目に値する。

 「天皇制」が形式の上だけでも現代まで続いているのは、実は、古代から「民のことを考えた政治」が行われてきたからなのかもしれない。

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