夢殿と救世観音
日本に仏教が伝来してより1400年間、法隆寺には長い歴史の中で生まれた650体の仏像が安置されている。中でも初期の仏像は、大陸から進んだ知識と技術をもたらした渡来人たちが作ったものである。これらの仏像は、高句麗を経て日本に伝わった北魏様式や、百済からもたらされた南朝様式など、古い時代の中国や韓国の影響を色濃く残している。平安時代以降に日本人仏師らが造像した仏像に比べると、その姿形の違いは歴然としており、体はモデルのようにスリムで、どこかエキゾチックな顔立ちをしており、『アルカイック・スマイル』という独特の微笑みを湛えている。
法隆寺の仏像の中で最も謎に満ちた仏は、救世観音像であろう。739(天平11)年に八角堂の夢殿に納められた救世観音(造仏推定年代は629-654年)は、長い間、誰もその姿を見ることを許されない秘仏であった(後述)。江戸時代には、約200年間、法隆寺の僧侶さえ拝むことができなかったという。理由は未だ明らかではないが、僧侶たちは、封印を解けば直ちに神罰が下り、地震で全寺が倒壊するという迷信を信じていた。
厩戸皇子(聖徳太子)は推古天皇9(601)年に斑鳩宮を造営し、推古天皇13(605)年に移り住んだ。また、聖徳太子の手により、斑鳩宮の西方に斑鳩伽藍群(法隆寺・中宮寺・法輪寺・法起寺)が建立された。聖徳太子の薨去後は山背大兄王一族が住んでいたが、皇極天皇2(643)年に蘇我入鹿の兵によって宮は焼き払われ、山背大兄王以下の上宮王家の人々は、法隆寺で自決に追い込まれたとされる。
聖徳太子一族が滅亡してからは、斑鳩宮は荒れた状態になっているのを、739年に高僧の行信僧が太子の遺徳を偲び、斑鳩宮跡に飛鳥時代の形式で建立した東院伽藍を創建したことが「夢殿」のはじまりとされている。もともとは「仏殿」と呼ばれていたが、平安時代頃から「夢殿」と呼ばれるようになった。
それでは救世観音秘仏化の謎について考えてみたい。
まず、法隆寺の境内は、推古天皇の摂政であった聖徳太子が607(推古15)年に建立した西院伽藍と、739(天平11)年に聖徳太子自身の住居跡に作られた東院伽藍からなる。救世観音は、東院伽藍の中心に立つ夢殿に安置されていた。この「夢殿」は八角堂である。八角堂は通常、供養塔または仏塔などとして建てられる。ということは、救世観音は、供養を目的として祀られた像ということになる。
737(天平9)年、都で天然痘が流行し、藤原氏など政治の中枢にいた人物が相次いで亡くなった。これを聖徳太子の怨霊の仕業だと考えた人々は、太子が亡くなってから100年以上を経てから、夢殿を建て、太子の供養をしたのではないかという推論がある。それほど太子の霊が強力で、何らかの形で強い影響力が残っていたということなのだろうか。この時に夢殿に祀られた救世観音は、太子の等身であると伝えられて178㎝あり、太子は当時としてはかなりの長身だったということになる。
「夢殿」は八角の円堂の形をした建築物であり、東院伽藍の中心となっている。聖徳太子の遺徳を偲んで造立されもので、聖徳太子の供養塔でもある。夢殿とは『ゆめどの』と読むユニークな名称が印象的だが、これは聖徳太子が、夢の中で金人(仏)に出会ったという伝説から名づけられたのだと言われている。
ところで、法隆寺の夢殿はなぜ八角形なのだろうか。これは、中国の八方位陰陽説から来ているものといわれ、八角形はその角をつないでいくと、非常に円に近いかたちとされ、縁起がよいかたちと考えられているからとのことだ。秘仏の国宝である「救世観音像」は八角円堂の中央に安置されている。
1884(明治17)年、東洋美術史家のアメリカ人、アーネスト・フェノロサは調査のために法隆寺を訪れた。西洋化を急いでいた当時の日本には、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れており、その混乱の中で、日本の古社寺に伝わる貴重な仏像や宝物類が失われつつあった。そこでフェノロサたちは、明治政府の元で、公式の宝物調査を行っていたのである。後の文化財保護法の制定や国宝の概念は、この時行われた調査結果に基づいて生まれたものだといわれている。
1884(明治17)年8月16日、明治政府の依頼を受けたフェノロサは、法隆寺を訪問した。政府の法隆寺宝物調査は、それ以前にも数回行われていたが、救世観音を納めた厨子の開扉には至らなかったようだ。フェノロサは僧侶たちに観音像の開帳を迫った。しかし彼らは、聖徳太子の怒りを恐れて、封印を解くことをかたくなに拒んでいた。フェノロサはあらゆる議論を展開して説得を試みた。話し合いはもつれ、長く硬直状態が続いたが、最後にはフェノロサの要求が聞き入れられた。
フェロノサのおかげで、今回は私自身も救世観音を拝むことができた。
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