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共に生きるとは何か

 愛知県の人権啓発キャラバン事業のプレイベントとして、フォトジャーナリスト安田菜津紀さんによる「共に生きるとは何か ~取材から見えた多様性~」という特別講演が企画されたので、受講させていただいた。
 安田菜津紀さんはフォトジャーナリストとして、サンデーモーニングなどに出演されている方だ。

 「取材から見えた多様性」というサブタイトルから、安田さんがフォトジャーナリストとして訪問した戦火の国々の現状等について話されるのかなと思っていた。予想通り、ここ数年で安田さんが訪れたウクライナの惨状やイラクの避難民キャンプの様子などを写真を交えて語ってくださった。イラクの難民から、自分たちが世界から注目されないのは「目の色、肌の色、宗教が異なるからだろうか」と問われたというお話には考えさせられるものがあった。

 安田さんが突然「74」という数字を示され、何の数字かわかりますかと問われた。答えは、ロシアのウクライナ侵攻が起こる前に日本国内で難民認定された外国人の人数だった。日本の難民認定率はなんとたったの0.7%…トランプ政権が難民の受け入れを拒んだアメリカですら30%だとのこと。日本では、自分の命が危険に晒されている客観的な証拠がないと難民認定されないという。難民認定されていない外国人が日本にはたくさんいて、日本で生まれた多くの子どもたちが無国籍状態になっているとのことだ。明らかな子どもの人権侵害である。スリランカ人のウィシュマさんが名古屋入管で亡くなった事件もそうだが、日本という国は外国人を人権の主体として見ようとしない負の部分を抱えた国になってしまっている。

 安田さんのお母さんは、幼い頃、月に300冊もの絵本を読み聞かせてくれていたそうだ。1日あたり10冊もの絵本を読み聞かせるのは大変だったと思うが、安田さんのお母さんは娘のために図書館で絵本を選んできてくれたという。安田さんがフォトジャーナリストとして、テレビのコメンテーターやや講演者として活躍されている下地はお母さんの読み聞かせの賜物かもしれない。
 そんな安田さんが今でも後悔していることがある。珍しく仕事から早く帰ってきたお父さんに、お母さんに代わって絵本を読んでもらおうとしたことがあったそうだ。飲食店の店主だったお父さんは、仕入れから店頭での調理に至るまで、忙しい日々を過ごしていた。この日もきっと疲れていただろうが、それでも嫌な顔ひとつせず、安田さんを膝に乗せて読み聞かせを始めた。ところが、なぜかお父さんはすらすらと絵本が読めない。簡単に読めるような大きなひらがなのページでさえ、何度もつかえてしまう。幼い安田さんは「もういい!」としびれを切らして、お父さんの膝から立ち上がった。そして思わずこう言ってしまったそうだ。「お父さん、日本人じゃないみたい!」。その時のお父さんは少し困った顔をして、静かにただ笑っていたとのこと。あの時の安田さんはまだ、その言葉がどれほど残酷な響きであるかを知らなかったそうだ。私はこの話を聴いていて、安田さんがもしかして在日コリアンなどの外国籍なのではないのかと思った。

 安田さんがフォトジャーナリストになったきっかけは、高校生の時にNPO法人『国境なき子どもたち』のスタディツアーに参加して、カンボジアの人身売買の被害に遭った子どもたちとの交流をしたことだった。カンボジアに渡航するためにパスポートを申請するにあたって、初めて自分のルーツを知ったと話された。安田さんのお父さんは中学2年生の時に亡くなられたのだが、自分のルーツを語ることは一切なく、パスポートを作るために戸籍を手にしたとき、お父さんの家族の欄に「韓国籍」の記載を見つけてショックを受けたそうだ。それまで自分自身は日本人であると確信してきたのに、在日韓国人である自分、日本ではマイノリティである自分に直面した安田さんの驚きは想像に難くない。

 1910(明治43)年の日韓併合で、朝鮮半島の人々に創氏改名を迫り、安い賃金で過酷な労働を強いてきた。多くの韓国朝鮮人が日本へ移住し、太平洋戦争が終戦するまでの35年以上にわたり、差別の対象にもされた。1947(昭和22)年5月3日に日本国憲法が施行されるにあたり、その前日の5月2日に外国人登録令が公布され、同令では、「台湾人のうち内務大臣の定めるもの及び朝鮮人は、この勅令の適用については、当分の間、これを外国人とみなす」とされ、1952年4月28日に平和条約国籍離脱者となった。これにより、今でも在日韓国朝鮮人は外国人として扱われ、選挙権もない。2012年(平成24年)7月9日に施行された出入国管理及び難民認定法の改正法で定められた、外国人に対する法務省の入国管理制度により、従来の外国人登録制度に基づいた外国人登録証明書は廃止され、ICカードとしての在留カードを所持することとなっている。

 日本は外国人、特に在日外国人に対して冷たい国のように思う。このことは改めて書きたいと考えている。

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