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節分に考える尾張の恵方

 私が生息する愛知県(尾張地方)には、「笠寺観音(笠覆寺)(名古屋市南区)」「甚目寺観音(海部郡甚目寺町)」「荒子観音(名古屋市中川区)」「竜泉寺観音(名古屋市守山区)」という古くより信仰を集めてきた四つのお寺がある。1000年以上の歴史の中で、観音様を本尊としておまつりしてきた「笠寺・甚目寺・荒子・竜泉寺」の四つの寺院を『尾張四観音』としている。尾張四観音は、名古屋城を中心として「恵方」にあり、観音様の慈悲をもとめる民衆の信仰を集めてきた。

 方位神の一つである「歳徳神《としとくじん》」はその一年の福徳をつかさどる神とされている。この歳徳神がいる方角は全てにおいて大吉とされ、この方角を「恵方|えほう」と呼ぶ。恵方は別名「吉方《きっぽう》」「明の方|あきのかた」ともいわれる。恵方はその年の暦の「十干」によって定まる。笠寺観音のホームページによると、その年の暦と恵方との対応は以下の通りで、5年周期・4方位になっている。
 ■甲・己の年(令和6・11):寅と卯の間(「甲」の方…およそ東北東)
 ■乙・庚の年(令和7・12):申と酉の間(「庚」の方…およそ西南西)
 ■丙・辛の年(令和3・8):巳と午の間(「丙」の方…およそ南南東)
 ■丁・壬の年(令和4・9):亥と子の間(「壬」の方…およそ北北西)
 ■戊・癸の年(令和5・10):巳と午の間(「丙」の方…およそ南南東)

 およそ400年前、徳川家康公は尾張の国の中心として名古屋城を築いた。それ以来、名古屋城を中心としてみた時に、この地域の四方に位置する、尾張四観音が尾張を守護する観音様として、さらに崇敬されるようになった。
四観音のうち、その年その年の恵方にもっとも近い観音様は「恵方の観音様」として、福をもとめて特に多くの参詣者が集まる。上記の約束に従えば、今年の恵方は東北東なので龍泉寺観音が、令和7年は西南西に位置する荒古観音が恵方の観音様となる。

 さて、今年の恵方にあたる龍泉寺について書く。庄内川や濃尾平野を眼下に見下ろす守山の景勝地にたたずむ龍泉寺は、天台宗に属し松洞山大行院と号す。延暦年間(782‐806年)、伝教大師最澄が創建したといわれている。宝暦5(1755)年に記された古文書「龍泉寺記」には、「その昔、伝教大師が熱田神宮に参篭中、龍神の御告げを受け、龍の住む多々羅池のほとりでお経を唱えると、龍が天に昇ると同時に馬頭観音が出現したので、これを本尊として祀った」という内容が記述されてる。そのため、龍泉の名前もこの話に由来するといわれています。一方では、弘法大師空海も同じように、熱田神宮参篭中のおり、熱田の八剣のうち三剣をこの龍泉寺に埋納しており、龍泉寺は熱田の奥の院といわれてきた。このため、この寺は伝教・弘法大師(最澄・空海)の開基とされている。

 このように長い歴史をもつ龍泉寺ですが、これまでに二度の火災に見舞われている。天正12(1584)年、小牧長久手の戦いのおり、豊臣秀吉が龍泉寺砦に陣し退却する際、池田勝入の部下により放火の上、焼失してしまう。慶長3(1598)年、秀純大和尚が堂塔を再興する。しかし、明治39(1906)年に再び放火に遇い、多宝塔、仁王門、鐘楼を除く全てが灰塵と化した。ところが驚くべきことに、焼跡から慶長小判百枚が発掘されるという幸運のため、それを基金とした多くの信者の御寄進により本堂が再建され、今日に至る。

 龍泉寺の魅力はもうひとつある。猫がたくさんいる寺としても有名だ。寺が飼っている猫なのか、寺に住み着いている野良猫なのかはわからない。実際に龍泉寺のホームページには猫のコーナーがある。私自身も龍泉寺に何度か訪れ、猫たちがのんびりと暮らす姿に癒された。トップの写真は母と一緒に龍泉寺を訪れた際の写真。母が猫ちゃんの頭をなでているところ。人慣れしていて可愛かった。


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