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日本にこんな税金があったんだ!?

 税金のことって、正直よくわからない。何がわからないって、私たちが収めた税金がうまく使われているのかどうか、自分たちの生活に役立っているのか、国や県や市が本当に国民のためになるように考えて使ってくれているのかどうか…。

 消費税はいま10%…3%にはじまり、5%になり、8%にあがり、10%だ。消費税って、なぜ一律なんだろう。所得の高い人も、困窮して生活に困っている人も1000円の買い物をしたら100円の消費税を払わなきゃいけないなんて、これって平等なんだろうか。昨年度から、高校の「現代社会」が「公共」という科目に名称変更をした。そこには、消費税の問題点が書かれている。「消費税には、低所得者ほど総所得に対する税負担の割合が高くなり、負担感が大きいという逆進性の問題がある。」と…。 北欧のように、消費税は25%だけど、教育費や医療費はすべて国が負担するという仕組みだったらいいけど、日本の消費税はこの先どうなっていくのだろうか。

 税金の歴史を読み解くと、ある意味面白いし、とてもひどいと思うようなものもある。明治38年に相続税が作られた。時は日露戦争まっただ中、国は戦費不足に悩んだあげく、ロシアに出兵して戦死した家長のいる家から、次の家長に家督相続されるのが一般的だった当時、遺産に税を課すことを思いついたのだ。それが相続税の始まりである。

 日本にかつて存在した税金を調べてみた。

犬税 
 昭和50年代まで、市町村税の一つに犬税があった。もともとこの犬税は、明治時代から府県税として存在しており、府県ごとに課税方法が異なっていた。多くの府県では犬1頭につき一律いくら、といった形で課税をしていたが、飼育地域や飼育目的によって課税の可否と税率を決めている府県もあり、さらには、特定の犬種を指定して税率を決める府県もあった。

扇風機税 
 戦前、扇風機には国税として物品税が課されていたが、府県税でも扇風機税が課されていた。ほとんどの県では扇風機1台につき一律に課税、もしくは扇風機の大きさに応じて課税をしていたようだ。一部の県では銭湯や理髪店等の営業用の扇風機は一般家庭用よりも税額を安く設定していた。エアコンが無かった時代、一般家庭において扇風機は贅沢品だったのだ。

清涼飲料税
大正15年(1926年)に、清涼飲料税が新設された。サイダーなどの炭酸飲料だけが対象となっていた。清涼飲料税が新設された背景として、当時のサイダー類の消費拡大が挙げられる。明治末年頃からビール会社を中心としてサイダーやジンジャエールが大規模に製造販売され、ビールと同じような高級飲料として扱われた。高級嗜好品として世間に認知されたため、課税対象となったのだ。

成金税
 第一次世界大戦により、日本は大戦景気となった。欧米諸国からの輸入がほぼ途絶したため、国内では重化学工業を中心に企業の勃興が相次ぎ、巨額の富を手に入れた成金が現れた。国内が好景気に沸く中、法人及び個人の利得に課税される「戦時利得税」が創設された。この時新聞は、戦時利得税を「いわゆる成金税」と表現した。当時の風刺画に「(玄関が)暗くてお靴が分からないわ」「(百円札に火を灯して)どうだ明るくなったろう」というやりとりが描かれている。

ウサギ税
 明治初期の東京で、外国産の珍しい兎をペットとして飼育することが大流行した。当時の巡査の初任給が4円程度だったのに対し、1羽数百円もの高値で取引されるものもあった。当然、兎で一攫千金を目論む者も現れ、普通の白い兎に色を塗った偽物を売る者が現れるなど社会問題化した。そこで東京府は、兎の売買を認めるかわりに1羽につき月額1円の兎税を課税した。これにより兎の価格は暴落し、異常なブームは終わりを告げた。

流木税
 流木税は、山奥の森林地帯で伐採された木材を河川を利用して輸送することに課された昭和初期の税金だ。河川を用いた木材輸送の歴史は古く、平安時代以前より木材の輸送手段として材木を組んで筏にし、下流に流して運ぶことが行われていた。これらの方法は「木流し」や「筏流し」と呼ばれ、全国各地の河川で行われた。ちなみに、この筏に乗って下流まで木材を輸送する職業は「筏乗」、「筏師」と呼ばれ、彼らにも「筏乗税(いかだのりぜい)」という税金が課されていた地域もあった。

しょうゆ税
 江戸時代、醤油は、清酒・濁酒とともに、幕府等が株を発行して製造者を限定し、冥加金という税を課していた。明治維新後も新政府はそれを踏襲するが、明治4年、旧幕府時代からの醤油造株鑑札(免許状の一種)を廃止して免許料1両1分で新規に免許鑑札を交付、新たに免許税(稼ぎ人一人につき毎年3分)と醸造税(毎年醤油代金の0.5%)を課税するようになる。 しかし、明治8年、醤油は酒とは違い日用の生活必需品であり、ぜいたく品ではないことから、課税するのは不当であるという意見により、醤油税は廃止された。

電柱税
 大正から昭和にかけて、電柱税という地方税があった。昭和11年の電柱税税収額1位は、わが愛知県だった。愛知県は、織物業・紡績業・製糸業などの繊維産業が盛んだったが、第1次世界大戦後から航空機工業など軍事産業の中心となり重工業も発展、中京工業地帯の中心になった。明治時代の終わりから日本の産業には、製糸業から紡績業へ、軽工業から重工業へという流れがある。電柱税の税額上位県の動きを見ると、このような産業の変換に対応していたことがうかがえる。

散髪税
 アジア・太平洋戦争末期の昭和18年、特別行為税法が制定された。これは、調髪と理容美容などの整容、被服類の仕立てや染色・刺繍などを「特別行為」として課税対象にしていた国税だ。戦局が悪化すると、調髪・整容の税率は50%に設定された。昭和21年に廃止されるまで、現在の感覚ではとても特別とは思えない行為にまで高率の課税を行っていた。正に「ぜいたくは、敵だ」の標語どおり、戦時下では日常的な営みが「奢侈」と断じられ、国民生活が切り詰められていった。そうした当時の様子を伺うことのできる税金だ。

蓄音機税
 昭和3年、岡山県では、全国に先駆けて蓄音機税が導入された。蓄音機税は、奢侈品を課税物件とする税の一種だった。蓄音機の所有者は申告が必要で、税額は1台につき年2円だった。蓄音機は、耐用年数が長く、恒久的な税源になると評価されていた。また、地方において、蓄音機やその所有者が移動することは少なく、年々の台数の増減も激しくない。しかも、蓄音機の所有者の多くは裕福な者であったので、年2円程度の税金を負担する担税力は充分に備えていたのだ。

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