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剣聖武蔵の碑に想うオリンピックの精神!

 名古屋市には宮本武蔵の碑が2か所に存在する。一つは南区の笠寺観音に、もう一つは昭和区の半僧坊新福寺にある。実は半僧坊新福寺にある宮本武蔵の碑は昭和12年まで、私が勤務していた児童養護施設の敷地内に存在していた。この敷地は元々、明治の初めの廃仏毀釈で廃寺となった曹洞宗新豊禅寺の跡地であり、宮本武蔵の碑だけでなく、代々の住職の墓石や碑が存在していた。日中戦など戦争の機運が高まり、施設の経済的な運営が困難になったため、敷地の半分を売却するにあたって、墓石や碑を新福寺に移転するしかなかったのだ。

 2024年のオリンピックはフランスのパリで開催される。一人ひとりの選手の人知れぬ努力と鍛錬の積み重ねが大きな感動を呼び、世界の人々の心にとっても温かいものを残してくれるのがオリンピックだ。オリンピックのマークは、五大陸による、「友情」・「連帯」・「フェアプレー」・「相互理解」・「世界平和」という5つのテーマを目指し、1920年に採用されたデザインである。日本ではオリンピックを「五輪」と漢字表記する。

 この五輪の意匠が誕生するおよそ300年前、剣豪宮本武蔵が兵法書『五輪書』を著した。自身の半生も顧みながら兵法をより実践的、合理的に詳述したのが『五輪書』である。五輪の旗を掲げるオリンピックを「五輪」と訳したのは読売新聞の記者であり、由来は武蔵の「五輪書」からで、文字数が減らせることから他のマスコミに普及した。

 五輪書をまとめた最晩年の武蔵は、その死の7日前、居宅で介抱を受けながら自らの信条を21箇条の『独行道』として書き残した。「独行道」のひとつ『我れ事において後悔せず』は、まさにオリンピック精神に通じるものであるかのようだ。

 昭和12年7月、盧溝橋事件を発端として日中戦争が勃発した。12月には南京が陥落し、最高指揮官松井石根陸軍大将が名古屋出身であったことから、名古屋では南京陥落を祝う盛大な提灯行列が行われた。八事半僧坊に移転した武蔵の碑の紹介記事が名古屋新聞(昭和13年3月4日)にあるが、「今や日本は戦勝国である。皇軍の中には、武蔵以上の武蔵が幾多実在している。」と、当時の世相を如実に反映した表現となっている。日本軍の戦況や戦争を賛美する記事が横行する中で、武蔵の碑の発見の記事はホッとする内容だ。

 フィギュアスケートの浅田真央選手がショートプログラムでまさかの16位となったソチオリンピック。翌日のフリープログラムで、「世界を魅了した4分間」という素晴らしい演技をして6位入賞を果たした感動的なシーンは今も語り継がれている。このソチオリンピック輪開催中、テレビではどの局の放送もオリンピック一色だったことで大きな問題が起こった。

 山梨の記録的降雪による孤立集落や交通遮断の状況が報じられなかったのだ。緊急時災害派遣要請に関する官邸や県庁の対応の遅さを糾弾する声も多かった。原因は、オリンピックの放映権である。年々高騰する膨大な放映権料は、テレビ局に取っては死活問題であるがゆえに、五輪関連番組はアンタッチャブルな「商品」なのだ。困るのは、大地震や災害や戦争などが起きた場合の緊急報道である。とくにNHKは、政府から非常事態宣言などが出されれば、緊急災害放送を余儀なくされる。NHKの災害報道は、放送法で定められ、大災害時には報じなければならないものと義務づけられている。

 オリンピックの時期でなければ、甲府放送局発のニュースは大雪の状況をもっと大々的に放送しただろう。報道をとるか、放送をとるか…日本のテレビ局がこの命題を突きつけられた際に、どちらを選択すべきなのか。2024年のパリオリンピックの期間に何か重大事が発生した場合、テレビ局がどうするのかは今後も課題になっていくだろう。

 ここはひとつ、五輪の精神に則り、剣聖宮本武蔵にばっさりと斬ってもらいたいところだ。

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