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日本最長寿64歳のプラネタリウム

 明石は、日本の時刻の基準となる、東経135度子午線が通る「日本標準時のまち」「時のまち」として全国に知られている。これは、明治19(1886)年に世界の標準時であるイギリスのグリニッジからちょうど135度(=9時間の時差)にある位置上の時刻を、日本の標準時として定めたものだ。

 世界中の経度と時刻の基点となる本初子午線は、1884年の国際子午線会議でグリニッジ天文台を通る子午線と決められた。しかし、この会議でフランスはパリ天文台の子午線を本初子午線にするよう主張した。グリニッジ天文台は1676年に、パリ天文台は1677年に建設され、いずれも歴史と伝統をもつ天文台だったのだ。国際子午線会議では、参加国の投票によって、グリニッジを本初子午線と決議したのだが、もしも、この時、グリニッジが本初子午線に選ばれなかったなら、明石は東経135度からずれて「標準時のまち」でも「子午線のまち」でもなかったこととなる。

 実は、日本標準時の基準となる東経135度子午線は、明石市を含む12市を通っている。北から京丹後市、福知山市(以上京都府)、豊岡市、丹波市、西脇市、加東市、小野市、三木市、神戸市西区、明石市、淡路市(以上兵庫県)、和歌山市(和歌山県)だ。それぞれの町には、目には見えない子午線を表示する標識やモニュメントが建っているのだが、明石市は、明治43年に日本で最初に標識を建てたことから「子午線のまち」と呼ばれるようになった。

 日本標準時は東京にあったほうが経済的にも都合がよかったのかもしれないが、明石市を通る東経135度が選ばれたのは「15」で割り切れるちょうどよい数字だったことが理由とのことだ。地球の一周360度を24時間で割ると15度となり、経度15度ごとに1時間の時差があることになる。東経135度では世界標準時(経度0度)からちょうど9時間(135÷15)の時差となるが、東京の少し東側を通る東経140度では9時間20分という中途半端な時差となってしまうことで東経135度の明石市を通る子午線が日本標準時になったのだ。

 明石市立天文科学館にあるプラネタリウムは、カールツァイス・イエナ社製(当時は東ドイツ)のもので、イエナ製の大型プラネタリウムとして世界で38台目となる。現在活躍しているものとしては、日本で最も古い現役のプラネタリウムで、1995(平成7)年の阪神淡路大震災でも唯一被害をまぬがれ、幸いにもその歴史的価値をとどめている。1960(昭和35)年の稼働開始から、2012年には稼働期間の長さが日本一、世界でも第5位となり、2015年には稼働2万日を数えた。稼働から64年…多くの人に宇宙の神秘を伝えてきたのだ。

 かつて某私立高校の教員時代、地学部の顧問として生徒を引率し、天文台やプラネタリウムを巡ったことが思い出される。満天の星空の下、天文台でその時期に見える星を天体望遠鏡で眺めると、生徒たちは歓喜してくれた。プラネタリウムにはプラネタリウムなりの良さがある。天候に関係なく満天の星空を楽しむことができるし、天上映る星空の瞬きを楽しみながら、リクライニングのシートに持たれた状態で説明を聴くのもとても気持ちが良い。

 人はなぜプラネタリウムに惹かれるのだろうという問いに、明石市立天文科学館の館長は次のように答えている。
 「ここで美しい星を見ていると、自分が宇宙の中にいて、宇宙の一部であって、それがいかに奇跡的であるのかを思うからではないでしょうか。」と…。
 こんなことを書いていたら、名古屋市科学館のプラネタリウムに行ってみたくなった。

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