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聖徳太子と法隆寺

 奈良に旅行に行ってきた。法隆寺を訪れるのは、小学6年生の修学旅行以来だから45年ぶりとなった。人間の記憶とは素晴らしいもので、法隆寺の門前に降り立つと、45年前の記憶が蘇ってきた。
 
 家族で法隆寺に法隆寺は、用明天皇が自分の病気の平癒を願って仏像をつくることを発願し、その死後、推古天皇と聖徳太子が用明天皇の遺志を継いで、推古15(607)年に創建したと伝えられる。
 聖徳太子といえば、推古天皇の皇太子で、摂政として冠位十二階や憲法十七条を制定し、遣隋使を派遣して隋と対等外交を展開したといわれてきたし、学校でそう習ってきた方も多いだろう。また、30年前までは1万円札や5千円札の肖像に用いられており、お金の代名詞ともなっていた。ところが20年近く前から、聖徳太子の業績に疑問を投げかける学者たちが現れ、「聖徳太子はいなかった」という説を唱える人も出てきた。もちろん、聖徳太子が存在しなかったというのは言い過ぎである。「聖徳太子」という名前は、死後に贈られた名称であり、「厩戸うまやど王(皇子)」という人物は実在していた。現在のの教科書には、「聖徳太子」という名称は使われず、「厩戸王」と記されている。

 ただ、聖徳太子が創建に関わったかどうかはわからないが、約100年後の奈良時代には、法隆寺は太子を祀る寺院として人びとから広く認知されている。周知のように法隆寺は、現存する世界最古の木造建築群を有する。ただし、現在の建物は再建されたものである。それが判明したのは昭和になってからのことだった。『日本書紀』のなかに670年に法隆寺が焼失したという記録がある。ある歴史学者は、現在の法隆寺はそれ以後の再建だと主張した。しかし、ある建築史の専門家は、法隆寺の主な建物が高麗尺という飛鳥時代の尺法で建造されているし、火災の痕跡が境内にないので創建当時の建物だと唱えていた。

 論争に決着がついたのは、昭和14(1939)年のこと。法隆寺西院境内の東南隅を発掘したところ、現在の伽藍よりも古い金堂と五重塔跡が出土したのだ。発掘地域を昔から若草と称していたので、これを若草伽藍と呼ぶが、伽藍跡の発見により再建だったことが決定的となった。有名な論争なので、歴史教科書にも以下のように明記されている。
「670年に法隆寺が焼失したという記事が『日本書紀』にあり、明治になってから、再建か非再建かをめぐる論争がおこった。その後、最初の法隆寺の建物とみられる若草伽藍跡がみつかったことから、法隆寺は焼失し、その後、金堂や五重塔などがととのえられ、現在の姿になったと考えられている」
「若草伽藍跡の発掘を契機として、推古朝に建立された法隆寺は670年に焼失し、現在の法隆寺は、そののち7世紀末ないし8世紀はじめに再建されたと考えられるようになった」

 だが、2001年2月、法隆寺の五重塔を調査していた奈良文化財研究所が、極めてミステリアスな結果を発表したのだ。五重塔の心柱を年輪年代測定法を用いて計測したところ、594年に伐採された木材だと判明したのである。
これは驚くべき結果だといってよい。現在の五重塔は670年以降に再建されたものなのに心柱は594年の伐採。つまり、再建するさいに80年近く前に切り出した木材をわざわざ心柱に使用したということになるからである。そんなことをする必要があるのだろうか。670年に法隆寺の伽藍は焼失してしまったけど、五重塔だけは奇跡的に焼け残ったということだろうか。

 しかしながら、この仮説は2004年に奈良文化財研究所が否定した。法隆寺の収蔵庫に残されている古材の年代を精密に分析するとともに、法隆寺金堂や五重塔の屋根裏に入って年輪のわかる建築部材を1100万画素という高画質のデジタルカメラで撮影して、これを分析した結果、624年から663年頃に伐採された木材であることが判明したのである。つまり心柱以外の五重塔の部材は、再建時とそれほど時期が離れていないものが用いられていたのである。心柱だけが、なぜか極端に古いのだ。

 東京国立博物館の研究員が、「創建当初に聖徳太子が建てた刹柱と呼ばれる飾りのついた柱を、寺の象徴として五重塔に転用したのではないか」と述べている。古来より日本には柱信仰があり、この時期にも大きな柱を立てる風習があったため、法隆寺に直立していた巨大な柱を五重塔に転用したというのだ。

 また、早稲田大学の教授は、百済の造寺工(寺をつくる宮大工のような職人)が577年に来日し、彼らが日本人の見習い工に寺院建築の技術を教えた。そして596年に日本最古の飛鳥寺が建立されるが、そのさい大量に伐採した檜が使用されずに保存されており、それを法隆寺再建時、五重塔の心柱に用いたのではないかと唱えている。

 法隆寺ってなんてミステリアスなんだろう。45年ぶりに再訪してみて本当に良かった。


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