見出し画像

紫式部の「もののあはれ」と清少納言の「をかし」

 NHK大河ドラマ『光る君へ』…視聴率はあまり良くないようだが、私自身は楽しみに視聴している。
 『光る君へ』の主人公は「源氏物語」の作者である紫式部。平安時代は、女流文学者が数多く現れた。紫式部、「枕草子」の清少納言らが名高いが、彼女らを時代の花形に押し上げた最大の理由は、何と言っても「仮名文字」が誕生したことである。

 古代日本で文字といえば、中国から渡来した漢字のことだった。平安時代になっても、公文書は、すべて漢字だけを使った文章、つまり漢文で書かれていた。日本語の固有名詞も、漢字の音で表すしかなかった。漢文を操れたのはほとんどが男性であり、文字の世界は長く男性が独占していた。また、漢文しか文字表現方法がなかった時代、日本人が自分の考えや思いを自由に文章化することは難しかった。むろん、漢字でしか文字表現ができない時代、国民文学が生まれるはずもなかった。

 そんな文字表現上の不自由を克服するため、古代日本では、漢字をアレンジすることによって、日本語をより自由に表記する方法が模索された。奈良時代には、漢字の音訓を用いた「万葉仮名」が生まれ、平安時代には万葉仮名をやさしくした仮名文字が生まれた。

 この仮名文字の発明によって、日本語を漢字と仮名文字の組み合わせによって表現できるようになり、文章表現はずっと簡単かつ自由になった。文章がインテリ男性の独占物ではなくなり、女性や一般男性も書けるようになった。また、仮名文字の登場によって、自分の考えを文章化し、さらに考えを深めることが可能になった。より豊かで深い文章表現を可能にする手段が生まれたのである。

 平安文学の誕生をめぐって仮名文字の次に大きいのは、平安時代の宮廷が構造的に「才女」を必要としていたということ。平安時代の宮廷では、后らに仕える多くの女官が必要とされ、「女房」と呼ばれた彼女たちはその才能によって登用された。紫式部も清少納言も、そうした女房の一人である。

 同じ時期に女流文学の分野で活躍したことから、何かと比較されるライバルであったと言われることの多い清少納言と紫式部だが、実際はどうだったのだろうか。一般的に清少納言が藤原定子の女房、そして紫式部が藤原彰子の女房として奉仕していた時期は、以下のように重なっていなかった。

清少納言と紫式部 それぞれの「宮仕え」の時期
清少納言 993年(正暦4年)冬頃~1000年(長保2年)頃
紫式部 1006年(寛弘3年)~1012年(寛弘9年/長和元年)以降

 これを見て分かる通り、2人が対面していたとは考えにくく、日常的に意識することはほとんどなかったため、本人同士が直接的にライバル視していなかったとも言える。大河ドラマ『光る君へ』では、2人がお互いをライバル視している姿が描かれている。まぁ、演出上の都合だと思うが…。

 彼女らが出仕した後宮の特徴は、男性も出入りしたことである。江戸時代の大奥のように、男子禁制の場ではなかったのだ。そのため、紫式部らは、藤原道長をはじめとする当代屈指の男たちに接することができた。その経験が文学を生み出すのに役立ったともいえる。

 清少納言と紫式部は、同じ宮仕えをした女房の立場にありながら、非常に対照的な性格の持ち主であったと言われている。それが顕著に表れている事柄のひとつが、両者の作風だ。

 清少納言の枕草子を評するとき、「をかし」と称される文学的、あるいは美的理念の言葉がよく用いられる。「をかし」を現代語訳すると、「興味深い」、あるいは「心が引かれる」といった意味になるが、平安時代の王朝文学において「をかし」だとされる作風は、多種多様な風物を感覚的に捉えながらも、明朗、かつ客観的に表現しているのが特徴だ。

 一方で紫式部による源氏物語の作風を表現するのは、「もののあはれ」という言葉。「もののあはれ」を漢字で表記すると「物の哀れ」となり、現代語訳としての意味は、「物事の寂しさ」や「しみじみとした情趣」などとなる。

 平安時代における王朝文学の「もののあはれ」は、目や耳で自然などに触れることで生ずる感動や趣を書き記すことが、その本旨であるとされている。「をかし」と「もののあはれ」は、両者とも貴族社会の優美な点を描く王朝文学の理念ではあるが、どちらかというと「をかし」は明るく、「もののあはれ」は哀愁を伴うという性質が見出される。このような作風の違いから、清少納言と紫式部の性格が正反対であったことが窺える。

 それにしても、「をかし」や「もののあはれ」という言葉に真正面から触れたのは高校生以来だ。そういえば高校時代、一番好きだった教科が古典と現国だった…懐かしい思い出だ。古典の先生もとても特徴のある方で「和上」というニックネームだった。お元気だろうか。

私の記事を読んでくださり、心から感謝申し上げます。とても励みになります。いただいたサポートは私の創作活動の一助として大切に使わせていただくつもりです。 これからも応援よろしくお願いいたします。