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新年/あたらしい憲法のはなしについて

あけましておめでとうございます。

去年は大変な年でした。
うん、大変だった。みんなよく頑張って生きた。
本年も、生きましょう。

しばらくnote書いてませんでしたが、またマイペースに書いていこうと思います。
よろしくお願い申し上げます。

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さてさて、僕も出演している
なかむらふさえ創作ワークショップ2020「あたらしい憲法のはなし」が、配信開始されました。
https://www.facebook.com/146774199376733/posts/712428179477996/?d=n

1月31日まで配信予定でございます。


このお芝居を通して、俳優というのはつくづく、
そこに「居る」ことが大切なのだな、と実感するようになりました。

僕は大学から演劇を始めて、
「せりふが巧くなりたい!」
「自由自在に動けるようになりたい!」
「色んなタスクを余裕でこなせるようになりたい!」
なんてずっと思ってました。
いや、今も思います。誰しも思うでしょう。
もちろん俳優として「できるようになりたい!」と思う向上心は大切です。

だけどお芝居を観る客の視点に立つと、思うことがあるのです。

それは、
出来ることに固執しても、たとえそう出来たとしても、
なんだか「人」じゃなく見えるときがある、ということ。

目の前に展開される「巧さ」は、それはそれですごいことだし、
素晴らしいことかもしれないけれど、
観る方はなんだかちょっと胸がざわざわする、というか。
お芝居としては完成されてるかもしれないけれど、
ふと、人って、そう?そうなるかな?なんて思ったりするのです。

でも、人らしく自由気ままに!と勝手に、
着の身着のままで暴れまわったり、
もしくは逆にやるべきことを何もしなかったりするのはよくないし、
それはそれで胸がざわざわする。



今回の公演において、僕の課題は「舞台にいる」ことでした。
色んなことをなるだけ取り払って、舞台に存在してみました。

いいお芝居になったかどうかは、ご覧いただく皆様の判断に委ねますが、
僕史上で一番、舞台上で人らしく居られたような気がしています。
人を見たり、反応したり、反応しなかったり、穏やかだったり、ざわざわしたり、苦しくなったり、なんでこうなっちゃったんだろう、なんて本気で思ったり。
そのとき僕の中で、「こうしなきゃ」という雑念が自然と無くなって、
僕なりに、舞台上に居ることができました。

それもひとえに、演出の中村房絵さんのおかげですし、
このお芝居に関わる全ての人の頑張りがあって、自分の役は成り立っていると思います。



何よりも、演じてて楽しかったし、他のみんなもずっと楽しそうにお芝居してたので、
ご覧いただく人にも、楽しい舞台であることは間違いないです。
楽し「げ」じゃなくて、本当に楽しいです。

そんな島の人々の様子を、あなたもちょこっと覗きに来てください。

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