すれ違った人
僕、たまに本通りの献血ルームへ献血に行っています。
少し前も、車で本通りまで行って、近くの立体駐車場に停めて、献血ルームに向かう時、
あちらから歩いてくる人が、知った顔、知った姿ならまだしも、知った"覇気"の人だった。
その男性は、僕の目から見たら演劇に全身を使って注ぎ込むような人だった。
数年前まで演劇の現場でお見かけしていたが、数年間お会いすることなく、突然活動が途絶え、SNSでも見かけなくなった。
僕は、すれ違うまでの数秒の間に、会釈をしようか迷ったが、腹が決まらず、ただ姿を目で捉えていることしかできなかった。
その人は、自分の世界に夢中なのか、それとも「そちらの世界に金輪際、少しでも染まりたくないから話しかけないでくれ」という強い拒絶なのか、真っ直ぐ自分の行く先を、はっきりと捉えながら精力的に歩いていた。
(ただ僕はガタイがでかいし、髪型も特徴的なので、服装は違えどすれ違ったらわかる気がするな……)
そんなん、勘違いだと思うんですけどね、もちろん。気づいていないだけかもしれない。
再び会った時に、「よっ」って普通に会釈して話すかもしれないし、こっちのアンテナで勝手に違う情報を拾っているだけかも。
どちらにせよ僕は予期せぬ再会にびっくりしたし、ドキドキしたんですが、
モヤモヤはせず、むしろ、生きててよかった、と思った。
僕は数年間、その人が生きているかどうかも確認出来ていなかったから、心のどっかで心配していた。
すれ違った後に思ったのですが、僕はその人に「舞台に戻ってきてほしい」と一切思わなかった。戻って来んな、っていうことじゃない。だってその男性に限らず、舞台・演劇なんて生活の一部でしかないから。
偉そうなことは言えないけど、こんな僕でも、特に取り柄もなく、人から頼られも重宝されもしない自分は演劇をやらなければ……と思って頑張ったけどうまくできず落ちていた時期もあって、自分のモチベーションと技術と、限られた時間をうまく扱えなくて、気持ちが追いつかない時もあったけど、最近は演劇に関わらない時間を楽しむことが出来て、自分のキャパシティで活動できる時に活動をすればいいと今は思えている。バランスが取れるようになった、というか。まあ、悩んだり落ち込んだりすることは今でもありますが。
その人の生活において、もし演劇活動が無い方がスッキリしたり、輝けたりすると思うのであれば、演劇の無い生活を選択したらいいと思うし、無理をしてほしくない・縛り付けられてほしくないと思う、というか最近そう思っている。
何かが悪い、誰かが悪い、とかではなくても、その場に飽きたり、その場にいることに疲れたり、理由もなく傷ついたりすることもあるだろうし、人は対処の出来ない、わからないモヤモヤを整理しながら生きていく必要もあると思うのです。
その男性には、もちろんいいことばかりではないかもしれませんが、その時の自分の生活の選択を尊重して、誇っていてほしい、と僭越ながら思う。
別に、しれっと戻ってきてもいいし。自分のためだったら話は別だけど、人のためにケジメをつけるとか、しなくていいと思う。
とにかく、今元気で生活していそうなことが、素直に嬉しかった。
すれ違った時の驚きと戸惑いと、その人が進んでいった方向、こちら側には透けて見えないその人の生活の方向を思いやりながら後ろを眺めた。
あ、そういえば今日は400ml献血で予約してたな、と思いながら、自分も振り返って献血ルームに向かっていった。
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