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強く手を握れば


「飲み物はいきわたっていますか?」

フワッとパーマがかかった調子のいい男の掛け声で飲み会がスタートした。

緊急事態宣言が明け、久しぶりにマスクで隠れた口元以外を入念にメイクする私はまだ見ぬ友達の友達に心を躍らせていた。

乾杯の音頭を取った男が正面に座った。許容できる範囲内のルックス、人生の素敵な出会いに成れば嬉しいなと思う。

「前橋在住、富岡妙義生まれ、趣味は農業。特にジャガイモを育てることが好きです。一緒に田舎暮らしをしてくれる人募集中です」

 一馬という男は会話の途中で「あ」や「お」の音を発声しようとすると言葉につまった。

「話し方どうしたの? 変わった話し方するね」

「悪いかよ。どもりだよ」

一馬はいじわるな質問に対して嫌な顔をあ正直に答えてくれた。私も私自身の欠点を告白できればどんなに楽になるだろうと思った。

この鷹揚な心に惹かれ、私は意味深に言った。

「私も富岡詳しいんだ。久しぶりに行きたい」

「おし、じゃあドライブしよう」

 デート当日、一馬は黒光りする高級車に乗ってやってきた。

 この人お金持ちなの? と期待した。

でも、いざハンドルを握ると頻繁に衝突回避のための警報音がした。

「レンタカー?」

「俺がこんな高級車を買えるわけがないでしょ。格好つけただけ」

私は見栄を張るところには失望した。でも、私を特別な存在として認識してくれていることに喜びを感じた。

車中で好きな音楽、漫画、小説等の話をしていると、嫌な沈黙を意識することなく妙義の道の駅に着くことができた。

下界には群馬県の街並み。後方には荒々しい山肌の妙義山が鎮座していた。

一馬は言った。

「神社へ行ってみないか?」

その日の私は初デートということもあり着飾っており歩く服装ではなかった。

私はねえちょっと、ヒールじゃないけど、パンツじゃないよ。ロングスカート。服装に対する配慮に欠けているよ、と言いたかった。でも、一馬の機嫌を損ねたくなく、妙義神社もイイネ、何をお祈りしようかなと言った。

急勾配な参道はコンクリートの道から始まり、徐々に道は階段へと姿を変え、勾配がきつくなった。

互いに話す富岡の思い出は尽きることはなく楽しかった。でも、体力的にきつくなった。一馬は余裕なのだろうか。笑顔で話し続けた。

私は言った。

「これ以上は無理。歳を取ったのね。この坂道、本当に辛いわ。今日はここまで。ここで待っている。私の分もお参りをしてきて」

 一馬は私の手を掴み引っ張ろうとした。私は思いっ切り手を振り払った。

「ごめん」

「違うの。そういう意味じゃないの。わかる。私の手、汗かいているでしょ?」

「人間は誰しもかくでしょ」

も、いっか、と一馬の手を握った。私のじっとりと濡れた手が一馬の手を汗で濡らしていることが嫌でもわかった。

「私、多汗症だよ。もう死にたいよ」

「本当だ。汗すごいね。でも、俺、吃音だよ。仲間だね。俺も死にたいよ」

凝り固まった感情が弾けた。

私は一馬の手を強く握りしめた。じっとりとした汗を気持ち悪いほど感じた。

「さあ、行こう、もう少しだ」

その言葉を最後に私たちは手を繋ぎ、無言で階段を再度昇り始めた。

 参道を下る途中に台風によって倒されたのであろうか。杉が倒れていた。

 一馬は言った。

「悩みは生きていれば色々ある。でも、戦争がない日本で生まれ、理不尽な理由で殺されない。生きることができる明日が約束されている。だから、簡単に死ぬなんて言わないで。世界には夢は何? と問われたら、明日も生きることだと答える人がいるのだから」

 訴えかけるように言う一馬。私は思わず微笑ましくなり言った。

「お互いね」

「あ、そうだ。俺も死んではいけないな。懸命に生きなくちゃ」

 私は大げさな人。でも、好きと思った。

「また来ないか? 山登りして汗をかき、温泉でも入りに。互いの欠点を知った恋人としてさ」

「良いね。その時は車は私の軽自動車、ガソリン代はあなたで来よう。格好つけず」

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