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生物が知覚する世界

我が家には文鳥がいる。元気な雄の白文鳥である。以前は雌の白文鳥を飼っていた。性格も雰囲気も、立ち居振る舞いも全然違う。YouTubeで文鳥の動画をたまに見るが、人間と同じで鳥の個性も多様である。

母親が世話をしているためか、母親に一番なついている。僕が名前を呼んでも飛んでこない。しかし、食べ物を食べているとすかさず飛んでくる。人間が何を食べているのか、興味津々にご飯を覗く。

文鳥を見ていると、一瞬一瞬を生きてることが分かる。後先考えずその時、興味を持ったものや気になったものに反応する。僕がご飯を食べていることに気付くその瞬間、「あ、見つけた!」と言わんばかりに、気づくと同時に飛んでくる。その子がこっちを見た時に、「あ、こっちに飛んでくるな」と分かる。一方で、こっちを見ただけで飛んでこないこともある。両者の状態においては、言葉では表現しづらいが、その時の鳥の表情や雰囲気が全く異なっている。

「環世界」という考え方がある。すべての動物はそれぞれに種特有の知覚世界をもって生きており、その主体として行動しているという考え方である(Wikipedia参照)。おそらく多くの人間は視覚を頼って生きている。しかし、聴覚を主な知覚機能として持っている動物もいれば、嗅覚を主とする生物もいる。時間や空間といったあらゆる概念も、どのような知覚機能を用いるかで、その形態が変わってくる。

生物の視点は、その生物の持つ機能や能力によって非常に多様だ。人間は地球という惑星を、国家という枠組みを、そして社会という共同体を視覚的、概念的に認識している。しかし、他の生物にとっては全くの別世界だ。それぞれの生き物が知覚する世界について、それがどのようなものなのかを少し考えてみるだけでも、非常に興味深い。

この話は、人間同士にも適応できる。感覚機能の話とは逸れるが、目に映る世界が人によって異なることは確かである。持って生まれた能力はもちろんのこと、生まれてから蓄積された知識や経験、培われた感性が世界を形づくっている。物理的に、他者の世界を覗くことはできない上、自分の世界を共有することもできない。

生物は一体一体、それぞれの宇宙を持っている。自己はその宇宙を眺めることはできても、他の存在はその全貌を見ることはできない。宇宙という名の空間において、他の存在と重なり合う部分はいくつか存在する。その重なる領域が大きければ大きいほど、人間は共感し、共同するのであろう。そうしていくつもの重なりを大切にしながら、自分の宇宙を広げていくのである。

2021年5月20日

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