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期待を超えるサービスにおける「期待」の水準

しばしば接客業では、商品価値とは別に、サービスの価値を求められる。顧客の期待する以上のサービスを提供するためにはどうすればいいのかという問題だ。「期待」と「サービス」という抽象的でかつ明確な水準のない要素が関係しているため、具体的な行動を示す場合には表現が曖昧である。

「サービス」をお客様に対する直接的な価値ある行動と定義したときには、それはいわゆる接客のことを示している。しかし、期待を超えるサービスを成立させる接客とは、多くの場合は、消極的ではない積極的なものを指す。顧客に対して受け身な姿勢でいるのではなく、自ら働きかけるような姿勢だ。

「期待」を超えるためには、期待の水準をある程度把握しておかなくてはならない。こんな風に接客されたら嬉しいだろうなという、誰もが感じるであろう単純な感情に裏付けられた水準もあれば、現代の社会常識を逆手に取ることで明確化できる水準もある。情緒豊かな者であれば、前者のような考え方で顧客の期待の水準を特定できるかもしれない。反対に感情の薄い者は、後者の捉え方でその水準を上回れるかもしれない。

現代の小売業ではそのほとんどが、オンライン上においても、実店舗においても、顧客が一人で買い物をすることが可能だ。絶対に店員に手伝ってもらわなくてはならないことは少ない。資本主義社会のグローバルな競争に勝ち残らなければならない企業からすれば、省人化して人件費を削減することが利益を生み出す上では重要だからだ(規模の経済)。したがって、規模の大きい組織であればあるほど、セルフ式の販売体制を目指す。これは一つの時代の流れであり、消費者にとっても社会常識になりつつある。

そのような常識を逆手にとったサービスは容易に行える。顧客にとっては、その常識が平均的なサービスの基準となっているからだ。例えば、小売りの店舗の場合、店内には商品が陳列され、カゴが配置され、お店によってはレジもセルフ式である。このような状況では顧客は店員の手助けを必要とすることなく、一人で完結して買い物をすることができる。インターネットやスマートホンのアプリなど、商品を検索することのできる環境にあれば、在庫の確認や取り寄せ等の手続きも一人で行うことが可能だ。

上記のようなあらゆる事業体による設備が整った空間で、顧客が求める適切なタイミングで店員がカゴを配ったり、商品を預かったり、購入済の商品を袋に入れたりと、必ずしも必要ではない手助けを施すことは、期待を超えるサービスに成り得る。

しかし、難しい点が2つある。1つ目は社会常識に裏付けられる期待の水準は、当然ながら異なる常識を有している場合には変化するということだ。昭和の時代を過ごした人にとっての実店舗での買い物に対する常識と、平成に生まれた者との常識は全く異なる。また、生まれた時代にのみならず、性別や価値観も大きく関係する。

さらには、社会の変化を長い目で捉えたときには、特定の販売体制が常識として社会に浸透するまでに時間がかかる。現代の販売体制を支えるテクノロジーの開発とその普及は円滑には行われない。企業は導入に際して、コストや法律など様々な問題に直面する。その間、世間の常識は人によって差異が生じる。一部の人にとっては新たな社会構造や体制が常識となるが、過去のものを常識として持ち続ける者もいる。

2つ目は、一度超えた期待の水準は二度目以降には高くなっているということだ。初めに期待を超えたその水準が基準となってしまうことで、次に設定される期待のハードルは高くなる。しばしば他店のサービスと比較される理由の一つにはこの点が挙げられるだろう。

このように顧客の「期待」には様々なものが関係しており、その水準は人によって千差万別である。論理的に考えてみると、あまりにも関係する要素が多いため、それを特定し、サービスとして具体的な行動に結びつけることは不可能なように思える。しかし、それをその場のコミュニケーションや何となくの感情や共感でもってサービスに繋げるところは接客に携わる人間の妙と言える。人間の謎と可能性を改めて感じさせる。

2023年10月7日

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