サスティナブルとは、少しの居心地の悪さを受け入れること
サスティナブルという言葉がある。
持続可能な、という意味らしい。
はじめはファッション関連の言葉かと思っていたけれど、最近は「サスティナブル経営」「サスティナブルな組織」と、様々な用例で聞くようになった。
環境問題に配慮して、という意味だけではなく、組織の構造とか、ビジネスの座組みについても使われているようだ。
また、AKB48も「サステナブル」という歌を歌っている。
アイドルの中心が乃木坂、欅坂、日向坂と移り変わっていく中、サスティナブルであるためにシングルの発売間隔を半年開け、そのタイトルを「サステナブル」としながら、これまでとなんら変わらない歌詞を書く秋元康は本当にすごいなと思いながら、
実はこの「サスティナブル」「持続可能な」という概念は、今後の日本社会において非常に重要な概念なのではないか、と考えるようになった。
たとえば、こんなニュースがある。
除夜の鐘が中止になるというニュース。
戦時中のようだ、と形容されていたことに恐ろしさを感じたのだが、確かにと思ってしまう自分もいた。
批判は行動を抑制する。行動が抑制された社会では変化が起きにくくなる。そして、変化しない社会は、ゆるやかに死んでいく。
こういう社会は「サスティナブル」ではない。
こういった「サスティナブル」の事例について、今年いくつか思うことがあったので、自戒も込めて記しておきたいと思う。
事例1 : トイ・ストーリー4
トイ・ストーリー4は、シリーズを「サスティナブル」にした傑作だと思う。
が、日本でのレビューは非常に低い。
バズとウッディの蜜月の関係性が継続されていないこと、ウッディがバズを選ばなかったことなど、低レビューには様々な理由があるが、
変わらないでほしかったのに変わってしまった、という点において共通している。
もちろん変わらないことが大切な時期もある。でもトイ・ストーリーはその時期をとうに越えている。
変化は、必ずしも居心地のよいものではない。
が、コアファンの求めるものと、新規ファンの求めるものは常に異なる。コアファンの求めるものだけを提供していった先にあるのは、緩やかな死だ。
事例2 : 組織
同じ組織構造の、同じ役職に留まりつづけることは端的に悪である。
それは部下の出世を妨げる。そして成長実感がないと人は辞める。
役職者はすべからく「さらなる出世を目指す」「ポジションを変化させる」「職掌の規模拡大を目指す」いずれかの責務を負っていると言える。
もしそのどれもが難しければ、共に夢を見られるような、魅力的なビジョンを掲げるしかない。
職位に安穏としていられない環境は居心地が悪い。
が、数名の居心地のよさのために、サスティナブルな環境が失われてしまってはならない。
事例3 : 鬼滅の刃
おしもおされぬ大ヒット漫画。年間累計発行部数がワンピースを抜いたとか。
もはや国民的なマンガだが、少し前までは「面白いけど自分しか知らないんだろうな」と、みんなが思っているという立ち位置にいた。
ドラクエの堀井さんがかつてボス敵のゲームバランスについて「こんなに強いの自分しか倒せないんじゃないか」と「全員が」感じるのが最良のバランスだと言っていたが、
この「自分しか」という感情は、持続可能性に大きく寄与する。
また、応援してあげないと続かないんじゃないか、とみんなが思っていたことも、今回の爆発力に大きく寄与しているのではないかと思っている。
マイナー漫画だと思われていたことで、「サスティナブル」にしなければという力学が、ファンの中に醸成されていた。
持続可能性を高めるモメンタムは、不安定性から生まれる。
事例4 : 音楽もろもろ
髭男、King Gnuなども、同じような応援のされ方をしていたような気がする。
ファンの中で「サスティナブルにしなければ」という感情が醸成されるまで、きちんと待ってからのメジャーデビュー。
メジャーになってしまうと、サスティナブルにしなければという力学が弱まり、そこからファンは変質していってしまう(メジャーだから続くわけではないのに何故かそうなる)。
変化が肯定されるコミュニティ文化を、どれだけ維持できるかで、持続可能性は大きく変わってくる。
事例5 : 組織再び、あるいはコミュニティ
サスティナブルな場とは、端的に言えば「否定の少ない場」だと思う。
否定的意見が増えれば増えるほど、新しい意見は生まれづらくなる。
否定的意見が増えれば増えるほど、新しい人はやってこなくなる。
否定したくなる気持ちはわかる。自分の居心地の良さが脅かされるときって、自然と否定的な発言が出てしまうものです。
自治したくなっちゃう。
でも、ちょっと何かを言った人が責められてる場所って、はたから見てて普通にこわい。その言葉ひとつひとつが、サスティナブルな状態を破壊していく。
そして日本から、除夜の鐘が消える。
事例6 : ハートドリブン
アカツキさんの社名が全然出てこなくて「えっとなんだっけ、あのハートドリブンの会社」と聞いてしまう昨今。
ただの老化かもしれませんが、それ以上にアカツキさんが掲げた新しいビジョンが、素晴らしいのでしょう。
なぜか。
ハートドリブンってミッションを掲げると、みんなが自分の心と向き合わざるを得ない。
みんなが心と向き合いながら答えを出している組織なんだってことが明示されていると、無下に意見を否定できなくなる。
同意できなくても「否定ではなく、理解して反論するんだ」という流れが、自然と誘発されるはず。
心を晒す、少しの居心地の悪さ。そこから生まれるサスティナブルな環境。
ミッションに「ハート」って入れるのは本当にズルい。そのちょっとした居心地の悪さも含めて、計算されている。すごい。
※他社様を褒める居心地の悪さもまた、サスティナブルな環境のために必要だと思って書いてる。
事例7 : ステラ・マッカートニー
前述のサスティナブルファッションを先導するブランド。
ポール・マッカートニーの娘がやってるブランドなのですが、彼女が素晴らしいのは、サスティナブルであることがデザイン上の制約を生んでいることを認めていることです。
そう。
サスティナブル、持続していくこととは、それが故の「居心地の悪さを受け入れること」。
居心地がいい場所は、サスティナブルじゃない。なぜならその「居心地のよさ」は、すべからく、何かの犠牲の上に成り立っているから。
もし、あなたにとって居心地のよいだけの場所があったとしたら、
その場所は、やがて滅びます。必ず緩やかに死んでいく。
日々を生きていると、居心地の悪さを感じることがたくさんあるでしょう。ウッディに、組織のあり方に、ファンコミュニティに、会社に、深夜に鳴らされる鐘の音に。
でもそれは、サスティナブルな場のための、必要経費なのかもしれない。
強い自己防衛本能によって、場が守られることはない。むしろ内側からの崩壊を招く(それこそ戦時中のように)。
人はひとりで生きているわけではない。世界はあなたのためにあるわけではない。どんな小さな世界であっても。それは誰にも覆しようのない事実なのです。
だから、せめて祈ります。
この世界が、サスティナブルでありますように。
そして、日本各地でまた、除夜の鐘が鳴り響きますように。
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