夢中人モラ~生きがいの方程式~(勇気の羅針盤シリーズ スピンオフ小説版)
クソオヤジが…..!!
わざわざ気を利かせてやったのに!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「.....あなた。またケンカしたの。」
「ケンカじゃない。ただ会話が熱くなっただけだ。」
「はいはい。...でもあの子、部屋に 戻ってカギ閉めちゃったわよ。これは明日まで出てこないわね。」
「学校には行かせろよ。高校3年の夏。 今が1番大事な時期なんだから。」
「わかりましたよ。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
彼の名前は「モラ」
V高校に通う高校3年生。
勉強も適当に、部活も入らず、
友だちとゲームやカラオケ三昧の高校生活を送っている。
特にこれといった理由や目標もなく、今まで度々手伝っていたことから「家業の漁師を継ぐ」気でいた。
学校の進路希望調査で「家業 漁師」と記入し提出したところ、学校から家に連絡があり、父親に伝わる。
だが、父親に漁師を継ぐことを反対され、口ケンカになってしまったのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
―――1週間後。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「え!ヤベェ、もう鐘なってんじゃん!!」
図書館で漫画を借りてたら遅くなった!早く戻らねば!
この時間、先週も遅刻したからな。
「.….ハァハァ!ランナーセーーーフ!ホーームイン!!」
「…..いや、アウトな。スライディングするまでもなく余裕のアウトな。」
「すんませ~ん。」
よかった、コイツ野球好きだからな。
予想以上の塩対応だけど、ランナーに見立てる作戦が上手くいった。
「さ、室長、挨拶を。」
「きりーつ、きをつけー、礼。」
はえーよ、俺まだ席ついてねーよ。
「じゃ、前から言っていた通り、午後からの2時間は学級の時間な。」
待ってました!!
「学級の時間」という名のご褒美。
遅れはしたが、図書室で漫画を借りた甲斐があったぜ!
コイツ、自習の時間はずっとパソコンを触ってるからな。
漫画読み放題だぜ ♪ ♪ ♪
えーと、日本史、世界史に……地理にしとくか。
よし!カモフラージュ完了!
これぞ漫画を読むために必要な三位一体の布陣!!
さぁ~て、この2時間で読み切れっかなぁ~♪ ♪
「よし、今から本を配るからひとり一冊取って後ろに回してくれ。」
本?なんのことだ?
「今日の自習時間は一冊の本を読んでもらう。」
は?何を言ってるんだ、アイツは。
「先生、読書ですか?今の大切な時期に…。」
いいぞ室長!お前はこういうときに頼りになるなぁ。
「すまんな。でも安心してくれ、受験に役立つ本だから。しかも先生がまとめたかなりレアな情報だぞ。どうだ欲しくないか?」
「欲しいです!!ありがとうございます!先生!!」
おい!簡単に言いくるめられてんじゃねえ!
「はい、じゃあ後ろに回してなぁ。」
1番後ろの席からでもわかるほど分厚い本...と思ったらそうでもない。
5冊合わせても、本屋に売っている本の2冊分くらいの厚さ。
……はぁ、俺の漫画タイムが…。
しかも俺、受験しないのに。
…………………………….。
あれ?…..回ってこない?
「なー、俺の分は?」
「それがないんだよ。モラ君、進学希望じゃないからかも。でも、必要そうなら先生に言うよ。」
…………あ、そうか、そうだよな!
だって俺、受験しないんだもん!
受験対策なんてする意味がないもんな!
「いや、いい。親切にありがとな。お前はいいやつだよ、ほんとに。」
「あ、ありがと…。」
ふぅ、どうなることか思ったがこれで安心だ。
先生もさすがに必要ないと思ったんだろう。
よし!気を取り直して漫画タイムだ!
うっわ、もう表紙からして面白そうだ!!
「モラ、君はこれを読みなさい。」
「は?」
「ほら、いいからこれ。」
「え、どーゆーこと…….ですか?」
「君、進学しないでしょ。だから、違う本。」
「いや、あの、俺自習を…….。」
「え?自習するの?漫画読むんじゃないの?」
…………………………..!!!
…..コイツ、気づいてたか!
普段ボーっとしていて抜けてるヤツと思っていたが、キッチリ見てやがったな。
……コヤツ、できる…………!
「え、いや、あの….。」
「まぁいいから、これ読みなさい。けっこういい本だから。」
「…….はい。」
これはもう完全に無理なやつだ。
おとなしくこの本を読むか……..。
楽しみにしていた俺の漫画タイム、グッバイ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こんにちは。
リードと申します。
まずは本書に出会ってくれたあなたへ、お礼を言わせてください。
本当にありがとうございます。
本書はまもなく62歳の誕生日を迎える初老リードが、日々に忙殺されて自分の人生を見失っている社会人に向けて書いた本です。
なのでもし、今読んでいるあなたが10代の若者であるならば、少し疑問を抱く部分があるかもしれません。
「え?そんなことあるの?」と思う部分があるかもしれません。
でも、あなたの将来に役立つことはここにお約束します。
人間、意識しなければ大衆に流されるもの。
もしかしたらあなたもあと何年後かに、私が向けた「日々に忙殺され自分を見失っている社会人」になっているかもしれません。
だから本書が良い予防線になると思って読んでみてくださいね。
さて、前置きが長くなりましたが、この本は少し変わった本でして…….。
実は人に読まれた経験がほとんどありません。
「隠れた名店」さしづめ「隠れた名著」とでも言っておきましょうか。
清々しいほどの自画自賛に若干引き気味になられたかもしれませんが、安心してください。
胸を張って言える自信が、根拠がありますから。
その根拠を一言で言ってしまうと 『この本は世界にたった1つだけしか存在しない』 ということです。
「え?どういうこと!?」と驚かれたかもしれません。
実はこの本は私が心から信頼する親友に無理を言って、一冊だけ作ってもらった特殊な本です。
精神論ではなく、物理的にこの世に一冊しか存在しえないのです。
その証拠にほら。
本書は薄汚れてきたないでしょう。(笑)
どうか表紙だけでもタオルで拭いてあげてください。
ダメダメ、どうも私は話が脱線しがちです……気を取り直して。
「物理的に一冊しかない」ということは、当然この本は私が作り、私も読んだということ。
そして私は読み終えた後、とある青年にこの本を託します。
なので、そこからこの本がどうなるかはわかりません。
誰かに渡った段階で「つまらない」と一蹴され、捨てられてしまうかもしれないし、あるいは、大切に読み繋いでくれているのかもしれない。
何はともあれ、あなたが今、この文章を読んでいるということは、これまでの読者の方々が大切に読んでくれて、大切な人へと託していってくれた証でしょう。
「この本は多くの読者が『この本が必要な人』を想って託した一冊」
どうでしょう。
こう思えば、ちょっと「隠れた名著」感が出てきませんか?
さて、本編に入る前に私からあなたにお願いしたいことが2つあるのですが…….その1つは、もうお分かりですね?
そう。
あなたが本書を読み、本心から「この本を誰かに伝えたい!」と思った暁には、どうかこの本を託してあげてください。
何度も言うように、この本は多くの読者の方に繋いでいただいて、今こうしてあなたと出会うことができています。
どうか、「この本を必要とする誰か」に託してあげてください。
そしてもう1つのお願いは、『心をまっさらにして読むこと』
今のあなたは、これまでのあなたの選択や習慣、価値観が形となって表れたものです。
つまり、今のあなたの価値観のまま本書を読んでしまっては、今持っているものさしでしか理解できません。
それではあまりにも勿体ない。
まっさらなキャンバスのように。
理解できなくてもいいので、すべてを「まず受け入れる」という姿勢を持つと、本書の価値が180度変わることをお約束します。
ということで、早速ここから本編に移るのですが、本書であなたに伝えたいことを予め言っておきます。
結論から言ってしまうと、本書で伝えたい1番のメッセージは『生きがい』です。
毎日朝起きてワクワクする、
それこそ大好きな恋人とのデートが毎日訪れるかのように、心躍る日々。
「自分はこれをやるために生まれてきた!」と言えるほどの、生きる甲斐を見いだせる「何か」。
本書ではタイトル 『生きがいの方程式』 から連想できるように、あなたが今後の人生で生きがいを持って歩んでいけるヒントを授けます。
勘違いしないでほしいのが、くれぐれも「ヒント」だということ。
考えてもみてください。
「方程式を知っていれば100点取れる!」なんてことまずありえませんよね。
方程式はあくまでも「ヒント」
その問題のどの数字、どの要素を方程式に当てはめ答えを導き出すかは、あなた自身の力で見極めなければなりません。
人生ではありえないくらい多くの問題が次々と出てきます。
その問題の解決を他人に依存する、「他人に正解を求める人」には、本書は何の役にも立ちません。
逆に言えば、その問題を自分で解決しようする、「自分で正解を創り出そうとする勇気」を持つ人にとっては、本書が人生に迷った時、生きがいを見失った時の羅針盤になり得ることでしょう。
本書を読んでも、今すぐ勇気に満ち溢れたアニメの主人公のようになったり、あらゆる問題への正解を創り出せる万能スキルを得ることはできません。
巨万の富を築く、大富豪への道しるべが記されているわけでもありません。
本書が本当にあなたに必要なのか?
まずこの本を読むかどうかを「あなた」が決めてください。
他の誰でもないあなた自身が決めるのです。
自分で正解を創り出そうとする勇気を持ったあなたを、不幸にすることなど誰もできません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『生きがいの方程式』
この方程式は2つの変数から成り立ちます。
さらに言うと、1つ目よりも2つ目の方が難しいでしょう。
…..とはいえ、やはりどちらも難しいです。
普通に生きている、ルーティンのような日常を過ごしていると、いつの間にか忘れてしまう。
そう心して読むといいでしょう。
して、何度も話の腰を折って申し訳ないのですが、1つだけ本編に入る前に忠告をさせてください。
「今、心からワクワクして、ときめいています!」という人は、決して本書を読まないでください。
絶対に読まないでください。
理由は「本書を読むことで、今夢中になっていることから冷めてしまう」かもしれないからです。
『生きがいの方程式』
この言葉を聞くと、とんでもない成功者が残した名著のように思われるかもしれません。
もちろん、タイトルを命名したのは私です。
そんな名付け親である私がこんなことをいうのは元も子もないのですが、大事なことなので言っておきます。
それは「生きがいなんてどーでもいい。」ということです。
「え??」
すみません。
反応に困りますよね。(笑)
とはいえ、これは奇をてらって言っているわけではなく、ましてや私という人間の意外性を示したかったわけでもありません。
「生きがいなんて別にたいしたものではないし、正直どーでもいい。」
心からそう思っています。
だって考えてもみてくださいよ。
「今、楽しいからハマっている。」
「なんのためになるかはわからないけど、好きだからやっている。」
「時間を忘れるくらい、好きなことがある」
・・・・・・・・・・・・・・・
「やりたいからやっている。」
・・・・・・・・・・・・・・・
べつにこれでよくないですか?
もう一度言います。
今、心からワクワクして熱中していることがあるならば、本書は読まないでください。
今ハマっていることに熱中してください。
「あー、もー飽きたわ。」となるくらい、とことんハマってください。
でも、もし今の人生に行き詰まりを感じていて、ルーティンのような毎日にワクワクを感じられないのなら。
1週間前の記憶、1カ月前の記憶、3カ月前の記憶が同じシーンしか浮かばない、変わり映えのない日々に失望しているのなら...。
どうか、本書を読み進めてみてください。
本書を片手に、あなたの『生きがい』を探し出してみてください。
この世に生まれて、生きる意味のない人なんてひとりもいません。
あなたにだって生きる意味、「生きがい」が必ずあります。
信じられないかもしれませんが、今はただ見つけられてないだけです。
本書を読み終わり、そしてあなたが人生を走り終えたとき、「あ―!今世、生きた甲斐があったわ!」と言えるように。
あなたの生きがいを探し出す、生きがいという宝を見つけ出す羅針盤として、本書が少しでもお役に立てば、作者としてそれ以上に嬉しいことはありません。
さぁ、今一度深呼吸をして。
あなたが今、心からワクワクして熱中していることはありますか?
あなたに本書は必要ですか?
もし必要と感じたならば、早速次のページから『生きがいの方程式 1つ目の変数』を探す旅に出ましょう。
大丈夫。
私もそばについています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
..……..なんだこの本…。
本というか、なんか話しかけられている気分だ。
いつもなら文字ばっかの本を読んでいると確実に眠くなるが、この本は不思議とそうならない。
むしろ先を読み進めたい気持ちまである。
………..。
アイツ、普段はボケっとしてるくせに、なんだか変な本を渡してきやがって…。
せっかくだから読んでやるよ。
深呼吸、久しぶり過ぎてちょっと肺が痛いなぁ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
やぁ、5分ぶりですね。
おそらく多くの人がこのページに入る前に自分の現状を振り返り、そして決心してこのページに辿り着いたと思うのですが、どうでしょうか。
あなたはすぐにページを開きましたか?
それとも今の自分の現状、いや、これまでの人生を振り返ってからこのページを開きましたか?
まぁ、そんなのはどちらでもいいです。
まずはあなた自身が本書を「読む」と決めたこと。
他の誰でもない、あなた自身の決断でこのページに至ったこと。
とても誇らしく思います。
それでは早速、本題に入ります。
生きがいの方程式1つ目の変数は『貢献感』です。
この言葉を聞いて「?」を抱く人はそう多くはないでしょう。
ボランティアや奉仕活動がパッと思い浮かぶと思いますが、それだけではありません。
日々の仕事や学校生活でも、貢献をしている瞬間は数えきれないほど多くあります。
むしろ現代社会で「誰にも貢献しないで生きる」という方が難しように思えます。
ではなぜ、そんな簡単な「貢献」を私は「難しい」と言ったのか?
それは私が言っているのが「貢献」ではなく「貢献感」だからです。
『貢献感』
もしあなたが無類の読書好きであれば、あるいは書店のPOPに目を奪われるされる純粋なタイプなら聞いたことのある言葉かもしれません。
世界三大心理学の1つとされる『アドラー心理学』に出てくる言葉です。(※1)(※2)
「貢献」と「貢献感」
この2つの言葉は似ているようで、大きく違います。
想像してみてください。
例えば、友人の誕生日に花束をプレゼントしたとします。
あなたの心からの感謝を込めて、選びに選び抜いた渾身のプレゼント。
しかし、友人は花が好きではなく、「むしろ枯らしてしまうから嫌な気持ちになる」とあなたのプレゼントを受け取らなかった。
この場合、あなたが友人に花束を贈ったことは失敗だったのでしょうか?
いーや、そんなことはないはずです。
あなたが友人のことを想って、心からの感謝を伝えるためにプレゼントした花束。
この一連の行動のどこに不純な動機がありましょうか。
「友人のことを想って行動した」
これでいいじゃないですか。
…………..。
はい、なんかウンチクをたらされている気分ですよね。(笑)
これで話が終わっては、盲点を突くような話しに見せかけて、実は当たり前のことを言っているだけです。
自分で最初に「隠れた名著」と銘打っていたにも関わらず、書籍の半分がこんなにも簡単に終わってしまっては、あまりにもあっけなさすぎる。
それに生きがいの「方程式」といった以上、『貢献感の正体』については明らかにしておかないと、方程式としては下の下の下。
三流を通り越して四流です。
「貢献」と「貢献感」
ここからはこの2つの違いを明確にしましょう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ウンチク垂れやがって…..!
そう思って、今まさに本を閉じるところだったぞ!
この本の作者は相当の変人に違いない。
とゆーか絶対変人だ!!
そのくせ最後にちょっと興味をそそるような繋げ方をしやがって…。
ったく、次はないからな!!
ただでさえ俺は長文を読むのが苦手なんだからよ!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「貢献」と「貢献感」
一見すると同じ言葉にしか聞こえませんが、この2つには大きな、そして明確な違いがあります。
結論から言うと…..と、何度も答えを先に提示していては、読者であるあなたも受動的になってしまうだけです。
ここは少し自身で考えてみましょう。
「貢献」「貢献感」
この2つの言葉の違いは何だと思いますか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
次のページは空白になっている。
一度自分で考えろ、ということか。
「貢献」「貢献感」
見てわかる通り「感」という字の有無は異なる。
そこにヒントが隠されているのは間違いないだろう。
ただ、何が違うのかというと回答に困る。
最初の友人に花束をプレゼントする例で言うならば、
貢献→友人が「嬉しい!」と感じたこと
貢献感→自分が「貢献した!」と感じられたこと
こんなところか。
つまり、相手が喜びや感謝の気持ちを抱いて、はじめて達成されるのが「貢献」
逆に、相手の反応の有無にかかわらず、自分が相手に対して何か良いことをしたこと自体に喜びを感じるのが「貢献感」
…..え?
これもう答えなんじゃないか?
もうこれで決まりだろう!!
国語2の俺にしては、かなり的を得た答えじゃないのか!
残念だったな変人作家!
IQ100那由他を誇る俺様の頭脳には朝飯前だったぜ!!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、いかがでしょうか。
自分なりの答えを導き出せましたか?
もし答えがわからなかったという人も、なにも落ち込む必要はありません。
「自分の頭で考え、自分なりに答えを出そうとした。」
この事実がとても大切なことなのです。
受動的に正解を待ち望んでいるだけの人に、生きがいは見つけられません。
なぜなら、生きがいー毎日ワクワクして、心躍る何かーは、「自分で考え、決断し、行動したもの」からしか生まれないからです。
誰かの正解を待つわけではなく、誰かの期待に応えるわけでもない。
ましてや誰かに怯えて思考停止で従うことでもない。
『あなたの人生を、あなたの決断で歩んでいく。』
それが生きがいを見つける第一歩です。
………ということで、質問の答えといきましょうか。
「貢献」と「貢献感」
似ているようで異なる。
この2つの違い、それは・・・
「貢献は『結果』であり、貢献感は『行動』である。」ということです。
おっと!!!
心のカーテンを閉じないでください!!
最初に言ったことを覚えていますか?
「心にまっさらなキャンバスを描き、素直な心で受け入れる。」
私の言葉に「???」が浮かんでも無理解に拒否をせず、まずは受け入れてみてくださいね。
と、いうことで、先ほどの続きです。
「貢献は『結果』であり、貢献感は『行動』である。」
これは決して難しい話ではありません。
少し前にした「友人に花束をプレゼントする話」を覚えていますか?
あの話で当てはめるとわかりやすいです。
貢献(結果)
→花束をプレゼントした結果、友人が喜んでくれた
貢献感(行動)
→友人が喜ぶと思って、花束をプレゼントした
どうでしょう。
なんとなく私の伝えたいことが見えてきませんか?
話は変わりますが、この世の絶対条件を伝えます。
それは「結果を完璧にコントロールすることは絶対に不可能」ということです。
どんなに優れた経営者であれ、
どんなに卓越したアスリートであれ、
どんなに実績のある映画監督であれ。
結果を100%コントロールできる人は誰一人として存在しません。
「全世界の人々が夢中になるサービスができたと思ったが、実際は鳴かず飛ばずだった。」
「血豆が何度も破れるくらい素振りをしたが、次の試合では1本もヒットを打てなかった。」
「全米が涙する渾身の作品を創り上げたが、あんまりヒットしなかった。」
もっとシンプルな例もあります。
「料理も外見もこだわり抜いてカフェを設立したが、オープンと同時に流行病が発生して誰もカフェにこなくなった。」
「努力に努力を重ねてようやくスタメンを勝ち取ったが、1打席目第1球でデッドボールをくらい、骨折して交代した。」
「明日リリースしようと思った史上最高のサービスと酷似しているサービスが、たった今、他の企業からリリースされた。」
つまり、どれだけ万全な準備をしても、自分の持てる全てを注ぎ込んだとしても、「結果を完璧にコントロールすることは絶対に不可能」なのです。
話を戻します。
先ほどの「結果」の話を紐付けると、
「貢献」と「貢献感」の違いの全容が、
そして「貢献感」こそが、なぜ『生きがい』に繋がるのか。
ぼんやりと見えてきませんか?
私が24歳の頃、シェアハウスに住んでいた時の話です。
食欲旺盛、自分の目標にひたむきに走っている若者が多いシェアハウス。
ただ、1人だけ、齢80近いおばあちゃんが住んでいたのです。
そのおばあちゃんは癌でした。
娘さんに人との交流で気持ちを晴らすよう言われ、半ば強制的にシェアハウスに住み始めたそうです。
当時、私は小説家になるために舵をきっており、1日中部屋に引きこもっている生活でした。
他の住人は会社へ出勤。
シェアハウスの中には、私とおばあちゃんの2人。
シェアハウスでは毎日、午前11時ごろからある音が聞こえます。
掃除機をかける音です。
もちろん、その音の正体は、おばあちゃんです。
シェアハウスとは言うものの、食事は基本各自用意。
掃除は週ごとの当番制です。
別におばあちゃんが毎日やる必要は、これっぽっちもありません。
部屋のみならず、浴室、台所、階段、廊下、あらゆる場所を掃除してくれて、
掃除どころか、カレーライスを作ってくれたり、ドーナツを作ってくれたり、牛丼を作ってくたりと、とにかく至れり尽くせりなんでもしてくれました。
体の至る所に癌を患っているのに、
いつも「痛い痛い」と腰をさすっているのに、
足が悪くて杖が2本なければ歩くだけでも大変なはずなのに…..。
「おばあちゃん、無理しなくても大丈夫ですよ。」
実際、作る量と頻度が多すぎるあまり、私ががんばって食べている状態だったので、おばあちゃんにそれとなく伝えました。
そしたら、なんて答えたと思いますか?
「いーえ、大丈夫ですよ。わたしがやりたくてやってるんだから。」
「いつもみんなの若いエネルギーにすごく元気をもらってます。だから、ほんの少しでもみんなに貢献できればと思い、やらせてもらってるの。」
「わたしは癌だし、満足に歩けないし、力も弱いし、体の至る所が痛くて少しずつしか動けないし、たくさんの人に助けられて生きています。そんなわたしでも貢献できることがあるのはすごく嬉しいの。」
「だから、家事も料理も全部、自分のためにやっているようなものよ。」
「余計なおせっかいかもしれないけど、温かい目で見守ってもらえると嬉しいわ。」
「あ、ご飯とかついつい作り過ぎちゃうから、食べきれなかったら捨ててもらってもいいからね。」
…..私は危うく、おばあちゃんの目の前で涙を流すところでした。
そして瞬間、自分をバカだと思いました。
私は「おばあちゃんは、家事を半ば義務のように感じて無理してやっている」と思い込んでいたからです。
でも違いました。
おばあちゃんは、みんなのために、そして何より「自分自身が貢献感を感じるために」やっていたからです。
余計なおせっかいだと忌み嫌われても構わない。
愛情込めて作った料理を捨てられても構わない。
ただ自分が「誰かに貢献しているんだという感情」を得るために行動していただけだったからです。
「みんなが喜んでくれるから。」
「みんな日々がんばっている支えになっているから。」
そして何より「みんなを支えている自分自身を好きになれるから」
私はおばあちゃんから「本当の貢献」、すなわち「貢献感」というものを肌感覚で学ばせてもらったのです。
では、ここから「貢献感」ついて深く解説…..と思いましたが、もう必要ないかもしれませんね。
おばあちゃんの話を聞いて、あなたも思うところがあったのではないでしょうか。
大事なことなのでもう一度言います。
「結果を完璧にコントロールすることは、絶対に不可能です。」
どれだけ優れた人であれ、結果を思うがままに操れる人は誰一人としていません。
「貢献する」ことは、とても尊く素晴らしいものです。
しかし、あなたがどれだけ他者を想って行動しようと、他者が快く思ってくれるかはわかりません。
「貢献できた」という結果は、100%コントロールできるものではないからです。
だからあなたは「他者に貢献している自分」を感じることに、全てを注いでください。
他者だけでなく、他でもないあなた自身が貢献感を感じるためにー。
生きがいの方程式1つ目の変数は『貢献感』でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
…………………「貢献感」……………。
最初は難しい言葉かと思ったが…。
なんだろう。
どうにも解けない数学の問題で、答えにたどり着く道筋が見えた時のような閃き。
あるいは、今晩の献立を思いついた時のような軽い発見。
この本の最初に言っていた「羅針盤」という表現がしっくりくるのだろうか。
これといった具体的なシーンは思い浮かばないものの、今後の人生で間違いなく役に立つ、とっておきの裏技を手に入れた感覚だ。
それに、これまでの人生を振り返ってみても思い当たる節はいくつかある。
「町で迷子になっていたおじいちゃんを助けたとき」
「母さんが体調を崩した日に看病をしてあげたとき」
「小学校の頃、クラスに馴染めない転校生に声をかけたとき」
「誰かに貢献した」という事実を抜きにしても、とても温かい気持ちになっていた気がする。
おそらくそれが「貢献感」というものなのだろう。
逆の例を言えば、昨日のオヤジとの喧嘩なんてまさにそうだ。
腰が悪いのにいつまでも漁師を続けようとするから。
少しでも助けになればと「高校卒業したら俺が漁師継ごうか?」と言ったら、逆に説教たらしやがって。
何様のつもりだ。
俺も別に漁師が好きで言ったわけじゃないのに…。
「オヤジがラクになるかと思って言った言葉が、逆にオヤジを怒らせてしまった。」
これはつまるところ、「貢献」という結果をコントロールできなかったということだ。
「オヤジのためを想って、家業を継ぐ提案をした。」
この行動にフォーカスしてみると、確かに自分を認められる気がする。
ただ…………。
もしあの場でオヤジに「おぉそうか。継いでくれて助かるよ。」と言われて、俺の貢献感がもっと膨れ上がっていたとしたら、どうだろう。
高校卒業後、家族一団となって、漁師として働いていったとしても…….。
果たして、俺は『生きがい』を得られたのか?
…….いや、おそらく得られないだろう。
オヤジや母さん、それと俺が漁師を継ぐことに好意を示してくれる親戚や近所のおじちゃん・おばちゃん。
たとえみんなの期待を満たせたとしても、
みんなに貢献しようと行動する自分に、大きな貢献感を得られたとしても…..。
たぶん…..いや、間違いなく、俺は「生きがいを持って生きてるぞ!」と胸を張って言えない。
「ワクワクして、心からときめいている人生を送っている!」と言えない。
幸せな人生を送ることはできるかもしれないけど、生きがいを持って生きていくことは難しいだろう。
………..いや!
まだ1つあるじゃないか…!!!
『生きがいの方程式』を構成する変数は2つある!
……知りたい。
2つ目の変数を今すぐにでも知りたい!
まだ6時限目が終わるまで1時間ある。
ここまできたら、この本をとことんしゃぶり尽くしてやる!
…ったく、こんな意味の分からない本にここまで魅了されるなんて!
高3にもなって、まだ中二病が抜けきってなかったか、俺!!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、ここまでお読みいただいたあなたの心の中に、何か思うところはありましたか?
「自分はこれまでの人生で何に貢献感を得てきたか?」
どうでしょう。
あなたの心に浮かんだシーンはどんな場面でしたか?
…..して、あなたはこう思ったのではないでしょうか?
「貢献感を得続けた先に、生きがいを持ったワクワクした人生を歩むことができるのか?」と。
残念ながら、おそらくできないでしょう。
誰かの役に立ち、貢献することは非常に尊いものです。
この世の生きる全ての人は、誰かに貢献し、また誰かに貢献してもらって生きている。
これは否定できない事実でしょう。
私が30歳のときです。
小説家になる夢が鳴かず飛ばずで、ストレスを晴らそうと近所の居酒屋で飲んでいたところ、とある経営者の方と出会いしました。
その方は私より20歳ほど上で、最初の出会いが良かったのか、何度か食事にも連れて行ってもらいました。
驚くほど気さくな方で、肩書きや年齢に物を言わせた圧迫感もない。
親子ほど年の離れた私をそれはそれは可愛がってくれたのです。
最初の出会いから半年ほどたったある日、その経営者の方から誘われます。
「もしよかったらうちで働かないか?」と。
とても嬉しいお誘いだったのですが、私の性格上「会社で働く」ことに向いていなかったため、一度は断りました。
…….そしたらなんて言ったと思います?
なんと、「社員になる必要はない。業務委託という形で一緒に仕事をしないか?」と提案してくれたのです。
普通はあり得ません。
当時の私は何のスキルも実績もない。
ただひたすらに自分の頭の中にあることを文章にしてきただけの人間。
年齢も30歳。
転職なら、即戦力にならなきゃいけない年齢です。
自分でも「無職のニートに何を頼むんだ?」と驚きました。
しかし、バイトもクビになりお金に困っていたのも事実だったので、私は厚意に甘えて業務契約という形で仕事を任せていただくことになりました。
仕事の内容は、「ホームページに掲載する記事の執筆」
意外なことに、今まで私がしてきた「文章を書く」という経験が発揮される内容でした。
小説を書く時ほどの高揚感はないけど、会社や商品を知って、その良さを伝える文書を書くのは楽しい。
徐々に記事執筆にも慣れ、他のサイトの記事も任せてもらえるようになったり、実際に会社に足を運び、社員の皆様と一緒に商品を考えたりもするようになりました。
自分は苦手だと思っていた仕事終わりに行く飲み会も楽しかった。
何より、社員のみなさまや記事を読んでくれる読者、そして何よりこんな素敵なご縁を紡いでくれた経営者の方に、少しでも貢献できていることがとても嬉しかったのです。
「あぁ、会社で働くってけっこう楽しいことなんだなぁ。」と、今まで一人孤独に小説家を目指してきた自分を勿体なく感じました。
そんなこんなで働くこと5年。
正社員ではないものの、私はすっかりその会社の一員になっていました。
本当は小説家になりたかったはずだけど、
自分が描いた物語で人々を感動させたかったはずだけど。
そんなことは全部忘れて。
仕事ができて、仲間ができて、評価され、お金がもらえて。
たくさんの人に貢献することで、自分も幸せになれてー。
3年経った雨の夜。
会社のオフィスに呼ばれ、2週間ぶりにスーツを着て出勤していました。
仕事が終わり、エレベータを待っているとき。
窓ガラスに移った自分の姿を見て、こう思いました。
「…….あれ?俺、今、自分の人生を生きているんだよな?」
鏡に映る姿は紛れもなく私。
しかし、目が合っているこの人は、私じゃない気がしたのです。
ドラマの主役の後ろを横切る、
「町人A」という名前がつけられているであろう名もなき誰か。
私はしばらくその場から動けませんでした。
私は、この会社に携われて確かに幸せだ。
本当に素敵なご縁を紡いでくれた経営者の方。
いつもサポートしてくれる社員のみなさま。
一生懸命書いた記事を読んでくれる読者の方々。
実際、多くの人に貢献できているし、自分でも貢献感を感じることができている。
…….でも、何かが足りなかった。
窓ガラスに映る、私とうり二つの推定35歳の男性を見て、何かが足りないと確信した。
その何かが『生きがいの方程式 2つ目の変数』になります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
生きがいの方程式2つ目の変数。
当時の私に足りなかった何かの正体。
それは『没頭感』です。
1つ目の変数『貢献感』を高めても、この『没頭感』がゼロなら生きがいを見つけることはできません。
まずあなたに質問させてください。
「あなたは何かに没頭していることはありますか?」
仕事、勉強、スポーツ、筋トレ、ゲーム、アニメ、漫画、習い事。
何でもいいです。
今、あなたが夢中になって―それこそ時間を忘れるくらいハマって―打ち込んでいるものはありますか?
………………..。
どうでしょうか。
私は即答で「ある」と答えられます。
没頭していることの代表格が 「本書の執筆」です。
今、この段階で約2ヶ月の月日が経っていますが、その間一度として「つまらない」と思ったことはありません。
むしろ楽しくてしょうがない!
書いては消して、書いては消して。
あーでもないこーでもないと言いながらも、楽しくて仕方がないんです!
時には時間を忘れ、 時には食事を忘れ、 時には風呂に入ることも忘れている。
この前近所のコンビニへ行った時、レジのお姉さんが思わず咳込むほど、強烈な体臭を放っていましたよ。申し訳ない。(笑)
これは極端すぎる例ですが、「時間を忘れてハマる」くらい夢中なものは見つけておいた方がよいでしょう。
話を戻します。
『貢献感』×『没頭感』
生きがいを見つけるためには、貢献感を感じるだけでなく「没頭感」も得られなければなりません。
30年前になるでしょうか。
10歳年下の友人の話です。
その友人はバリバリのスポーツインストラクター。
明るく爽やかで容姿端麗。
そして、同性の私でも思わず見とれてしまうような筋骨隆々のたくましい体。
指導力や知識も高い、何より愛想がよく可愛がられる性格の友人は、同僚やお客様からもかなりの人気があったそうです。
しかしある日。
その友人は私にこんな悩みを打ち明けてきました。
「俺、会社辞めようと思う。」
私はビックリしました。
人気があり、実力があり、そして同年代とは思えない給料ももらっていた。
当時、駆け出し作家として1日1食ボロアパート暮らしをしていた私からすると、「なんで?」と思わざるを得なかったからです。
でも、その友人はハッキリと私に言ったのです。
「なんか、夢中になれないんだよね。」
「確かに、お客様や職場の仲間は喜んでくれる。それ自体はすごく良いことだと思うし、会社やお客様に貢献できている証拠だ。」
「でも、なんか違う。」
「俺はこのために生まれてきたんだ!という『生きがい』みたいなものを感じられないんだ。」
そう言ったのです。
彼は「俺の考えが子ども過ぎるのかな。」と自分の理想が高すぎることを嘆いていました。
本書の冒頭でも言った通り、本当に身も蓋もないのですが…..。
『生きがい』なんてなくても生きていけます。
だって考えてもみてくださいよ。
この便利な世の中で、普通に働いてお金を稼いでいけば食いっぱぐれることはまずありません。
生きがい、すなわち「自分が生きる価値」なんて考えなくてもなんら問題なく生きていけるのです。
むしろ安定や温和な人生を望む人にとっては、『生きがい』という言葉を目指す行為は、自分自身苦しい状況に追い詰める諸刃の剣になりかねません。
私のような、また友人のような。
「俺は特別な存在になるために生まれてきたんだ!」という、生き急ぎ野郎でない限り、この『生きがい』という剣を振るうのはあまりにも危険。
そんな生きがいを見つけるために、難しいのがこの『没頭感』
貢献感以上に、この没頭感がことさら難しい...!
なぜなら、そもそも「仕事」というのは誰かの役に立つことなので、貢献感を感じない方が難しいからです。
友人の例で言えば、スポーツインストラクターとして会社、同僚、お客様に貢献しています。
現代で「貢献感を感じずに生きる」という方が、何倍もハードモードな人生でしょう。
では「没頭感」はどうか?
逆です。
「貢献感」の真逆です。
あなたが貢献感と同時に没頭感を感じたいと行動に移した時―それこそ仕事なんかそっちのけで何かにハマりたいと思った時―。
あなたの家族、友人、恋人、同僚。
ほぼ全ての人が反対するでしょう。
「何をバカなことしてるんだ?」
「将来のことを考えているのか?」
「そろそろいい大人だろう...。」
大人(=将来を見据え、今より未来の幸せを考えて周りと同じことをする人間)が、自分の好奇心に囚われ社会に強調しないのは何たることか、をことさらぶつけてくるでしょう。
その良い例がほら。
周りを見渡してみてください。
「よーし!アメリカに住んでみたい!ちょっくら行ってくるわ!!」
こんな大人います??
いないですよね。(笑)
ほとんどの大人が「仕事は仕事。趣味は趣味。仕事が終わってからの時間、もしくは休みの日に自分の趣味に励む。」というスタイルだと思います。
無論、私はこのスタイル(仕事は仕事。趣味は趣味。)を否定する気持ちは1㎜もありません。
でも、あなたが心から『生きがい』にときめく人生を望むなら。
周りからの反対意見や、自分だけおかしなことをしている錯覚に囚われてはいけない。
「やりたい!」と心の奥底から湧き出る好奇心に蓋をしてはいけない。
没頭感を諦めてはいけない!
そう友人に話したのです。
今思い返すと、当時の私の発言は無責任だったかもしれません。
順調な出世コースを歩んでいた彼に、売れない小説家の私が自分の価値観を押し付けているだけだったのかもしれません。
ただ、彼は1年後、私の元へ1枚の封筒を送ってくれました。
その封筒の中には、たくさんの写真が。
世界各国の人々、町、景色、そして何より彼のとびきり楽しそうな笑顔が、それはそれはキラキラしていましたよ。
さて、ここまで読んであなたはどう思いましたか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
また空白のページだ。
自分で考えろということか。
確かに、この『没頭感』が2つ目の変数と言われ、何かしっくりくる気がする。
貢献感だけでは得られない、心の奥底からメラメラと燃え滾るようなアツい何かが、没頭感に隠されている気がする。
…..正直、時々オヤジの仕事を手伝い、漁師の仕事をするのも苦にならない。
近所の同級生に慕われ、親戚に好かれ、オヤジはいけ好かないけど、母との仲も円満。
仕事内容も特段好きなわけではないけど、嫌いではない。
このまま人生が進んでいっても、おそらく不幸になることもない。
高校卒業して5年後くらいには結婚して子どももでき、ほどなくして家を買って子育て、そこからもある程度幸せな人生を送れる。
…….ただ………………………..。
死ぬときに、「ああ!楽しい人生だった!!」と胸を張って言えるかというと、たぶん言えない…。
そう思うとこの著者…..リードだっけ?が言うように、この『生きがいの方程式』というのは、自らの人生に価値を見出したいワガママな生き急ぎ野郎じゃないと、身に余る諸刃の剣なのかもしれない。
この本を読む前まで、俺は特にやりたいこともなく、人生についてそこまで深く考えることすらしてこなかった。
人と違うことをしたいとか、生きがいを見つけてワクワクした人生を生きたいとか、そういうアツい気持ちもなかった。
でも今は違う!!
この本のせいで……..、いやこの本のおかげで、自分の人生を楽しみ、ワクワクするものにしたいと思えた。
もしかしたら、周りの意見に耳を傾け、その通りにした方が波風立たず、平穏で幸せな人生を歩んでいけるかもしれない。
でも……..知りたい、この続きを。
没頭感に侵され、興味という名の炎に焼かれる人生を知ってみたい!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
どうでしょうか。
もしかすると、このページを読む前に閉じようとしたのかもしれません。
先ほども言ったとおり、「没頭感」というものは諸刃の剣。
変に首を突っ込むよりも、気にせず生きた方が幸せの方も多いでしょう。
でも、このページを読んでいるあなたはそうではないと思います。
これは私の勝手な想像ですが、この本を読み繋いでくれた人、そして託された人は、この『没頭感』を求めている人が多いと思うからです。
何はともあれ、こうしてまだ本書を読んでくれていることはとても嬉しいです。
本書もあと少し。
ここで1つ質問です。
あなたが没頭できることは何ですか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「没頭感」という言葉を聞いた時から頭に浮かんだものがあった。
…….料理だ。
俺は子どものころから料理が好きで、よく母さんの手伝いをしていた。
とりわけオヤジが大漁の時は、家族みんなで魚をさばいたりもしたなぁ。
兄貴もよく俺の料理を褒めてくれたっけ…。
今の俺が心から楽しみ、ワクワクできるもの。
…..没頭できることは「料理」なのかもしれない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「今、時間を忘れて没頭できることがある。」
そう思えることがすでにあるのなら、あなたは幸いです。
すでに没頭できることがあるのは、かなり嬉しい状態だからです。
あ、「アニメを見る」とかの受動的な没頭はナシですよ。
書く、話す、歌う、作る、 動く(運動する)。
食べる、 調べる、教える、踊る、売る、話を聞く。
自分からアクションを起こす「能動的な没頭」に限ります。
実は口で言うほど「没頭する」というのは簡単なことではありません。
特に社会に出てからの時間が長ければ長いほど、「没頭する」という感覚を忘れている傾向があります。
話が二転三転して申し訳ないのですが、あなたは子どもの頃「虫取り」をしていましたか?
私は大好きでした。
カブトムシやクワガタ、セミを捕まえ、名前を付けて近所の人に自慢していたくらいですから。(笑)
そんな私に「なんで君は虫取りをしているの?」なんて聞いてくる大人は一人もいませんでした。
当たり前ですよね。
「虫を取りたいからやる。」
子どもがそれくらい無垢で純粋なのは、大人たちもよくわかっていますから。
では大人が虫取りをしていたらどうでしょうか。
「カブトムシなんて獲って。高値で売るつもり?」
誰かにこう聞かれるのも想像に難しくないと思います。
虫獲りだとわかりづらいので、「英会話勉強」の例にしてみましょうか。
30代のサラリーマン男性がある日、英会話教室に通いを始めました。
この事実を知った会社の同僚はなんて言うでしょうか?
「海外で働く気?」
「翻訳の副業も始めたのかい?」
「英語圏の彼女でもできたか?」
九分九厘、英会話教室に通い始めた「目的」を聞いてくるでしょう。
そしてほとんどの場合。
英会話教室に通い始めた本人でさえ、何かしらの「目的」が合って始めることが多いはずです。
他にも、投資の勉強を始めたらどうでしょう。
「ついに投資を始めたんだ。」
「何年計画で進めてるの?」
「今は〇〇株がいいらしいよ。」
誰も「投資をしたいからしている」なんて思わず、その奥にある「目的」を聞いてくるでしょう。
なぜなら、投資を始めた当の本人も、「お金を増やすため」という目的がある場合がほとんどだからです。
……….さて。
今の話だけだと「結局、何が言いたいんだ?」と思いますよね。
「虫取り」
「英会話勉強」
「投資」
あなたが今の状況で、立場で、年齢で、この3つのうちどれかに力を注ぐとします。
「虫取り」の部分は、自分の趣味に、例えば、ゲーム、スポーツ、旅行など。
「英会話勉強」の部分は、スキルや役立ちそうなノウハウ、に置き換えても構いません。
お金や時間をかけて、本気で力を注ぐとします。
その場合、あなたはどれを選びますか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あ、白紙。
自分で考えるターンか。
ん-、どーだろ。
虫取り、つまり自分の趣味を選ぶかな。
勉強もしてないし、バイトもしているわけじゃないし。
シンプルに時間がたくさんあるから、趣味かな。
「いろんなゲームを買ってプレイしてみたい。」
「海外にしばらく住んでみたい。」
「キャンプが好きだから、一式そろえてガチの長期キャンプをしてみたい。」
「料理が好きだから、高級な料理道具や食材を使って、こだわった料理を作ってみたい。」
お!けっこう思いつくな!
まぁそれをできる時間と金があればの話だけど。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、あなたは何を選びましたか?
実は、ここが「社会人」と「10代の若者」とで、変化が出てくるところです。
おそらく、社会人となってしばらく経った人は「英会話勉強」「投資」を選択するはずです。
逆に、10代の若者であれば、「虫取り」、つまり趣味や自分好きなことに時間やお金をかける人が多いはず。
なぜ、このような違いが生まれるかわかりますか?
それは、「虫取り、つまり趣味はお金にならないし、将来役に立つ見込みが小さいから」です。
今読んでいるあなたが10代の若者の場合は、意外に思うかもしれません。
でも実際のところ、大人になるにつれて、社会で揉まれる時間が長くなるにつれて。
「自分の将来に役立たないものやお金にならないものに、時間やお金をかけるのはもったいない。」と思うようになってくるのです。
一部の例外はいますが、多くの人は無意識のうちに思うようになるのです。
無意識だから、改善することもできません。
何か自分の心に響くような体験をしない限り、自分の価値観を変えるのはとても難しいことなのです。
なので本書があなたの心に響くー価値観を少しでも変えうるーキッカケとなっていたら、私は本当にうれしく思います。
さて、いよいよ本書の終わりも近づいてきました。
どうでしょう。
あなたは過去、自分の心の奥底から出る「これがやりたい!」という心に蓋をしたことはありましたか?
「お金になるか」
「将来役に立つか」
これらの思いが障害となって、諦めたことはありませんか?
生きがいというものは、他者から与えられるものでも、全世界の人々から認められることでも、ましてや巨万の富を手に入れることでもありません。
「自分のやりたいことを、貢献感を感じながら没頭している状態」こそが生きがいを感じられる瞬間なのです。
もちろん、楽しい瞬間もあれば、苦しい瞬間もあるでしょう。
没頭とは、「興味という名の炎を燃やして1つのことに熱中している状態」のこと。
そしてその熱中状態を、心からワクワクして楽しんでいる状態のこと。
言い換えれば、それに冷めてしまったり、上手くいかないことがあって炎が弱まってしまう危険性もあるということです。
将来を見越して堅実に準備する周りの姿を見て、好きなことに没頭する自分を愚かな存在だと感じるときもあるでしょう。
でも、この言葉を思い返してください。
「結果を完璧にコントロールすることは絶対に不可能」
「大富豪になること」
「国民的スターになってチヤホヤされること」
「歴史に名を遺す大発見をすること」
それらは全て結果です。
もっと身近に。
「お金を稼いでから、自分のやりたいことをやること」
「老後に時間ができてから、いろんな国へ旅行に行くこと」
「あらゆる準備ができてから、とことん楽しみつくそうとすること」
どれもこれも、自分が歩んだ道のりの果てに生まれる「結果」に過ぎません。
結果はあくまで結果。
思い通りの結果になることもあれば、思い通りにならないこともある。
あらゆる準備をして万全を喫しても、思い通りの結果にならないことだって長い人生にはあるのです。
結果をコントロールしようとせず、今の自分の在り方に最大限フォーカスする。
そしてその在り方は、本書で話した『生きがいの方程式』2つの変数、
「貢献感」「没頭感」が良いヒントとなってくれるでしょう。
『生きがい=貢献感×没頭感』
この方程式を一言で表すならば、
「自分のやりたいことに、貢献感を感じながら没頭している状態」
『生きがい』を感じ、自分の人生を存分に謳歌しているあなたが、不幸になることは決してありません。
本書があなたにとって、今後の人生で生きがいを持って歩んでいけるヒントになっていたら、著者としてとても幸せです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
あなたのような素敵な人に読んでいただけて、とても光栄でした。
この本が必要なくなったら、どうか「あなたが大切に思う人」へ託してあげてくださいね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
…………………….終わりか。
さんざん慣れ慣れしく話しかけてくるなぁと思ったけど、最後は意外とアッサリ終わったな。
……….大人になればなるほど、人は自分の興味や好奇心に従って生きることは難しくなる。
改めて言葉にしたことこそなかったが、まぁ実際はそんなものだろうと思っていた。
お金、時間、立場。
大人になるといろんなものを背負うようになり、自分の都合で生きていくことは難しのだろう。
実際、俺の兄貴もそうだ。
昔は「兄ちゃんは全世界を旅するんだ!」と俺に豪語していたが、今ではその面影もない。
会社に入ってから初めて実家に帰ってきたときには、「モラ、お前も大人になったらわかる。社会に出たら自分の好きなことばかりやってられないんだ。」と、どこかで聞いたような言葉を口走っていた。
俺も「まぁそういうものだろう。」と、諦めに似た納得をしていた。
それが普通だと思っていた。
….でも、今は違う。
この本を読んだ今の俺じゃあ、絶対に納得できない…!
もしかしたら、普通に生きる方がラクなのかもしれない。
誰にも否定されない。後ろ指さされない。
「アイツ、いい年して何やってんだ。」とからかわれない。
「真面目に働いてるね。」
「努力しているね。」
「大人になったね。」
誰かが作った期待を満たす方がラクかもしれない。
…でも、俺は嫌だ!
そんなんじゃいつか絶対後悔する!!
誰かの期待を満たすための人生なんてまっぴらごめんだ!
俺は、誰かの期待に応えるために生きているワケじゃない…。
俺は…..誰かが描いた人生を歩んでいきたいワケじゃない!!!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「先生、ありがとうございました。」
「いえ、とんでもございません。」
「…むしろ、私の方こそお父さんにお礼を伝えなければいけません。」
「何を言います。あなたが息子にあの本を渡してくれたおかげで、あの子は何か大事なものを取り戻したようです。」
「大事なもの……?」
「そうです。『生きがいに溢れ、自分の人生に夢中になる』勇気です。」
「自分の人生に、熱中する、勇気…..。」
「ええ、あの年で失うにはあまりにも早すぎる勇気です。」
「あの子は、高校入学時から…いや、もっとずっと前から、何かと我慢することが多かった。」
「私の体を気遣ってか漁師の手伝いをしてくれたり、妻が体調を崩した時も家事をしてくれた。」
「それにお恥ずかし話、稼ぎもギリギリの状態です。」
「高校3年間、旅行に連れて行ってあげるどころか、洋服の1枚も買ってあげることができませんでした…。」
「おまけに昔から夢を豪語していた兄が、社会人になった途端に真面目に働きだした。」
「もちろん、それが悪いと言っているわけではありません。」
「都会に引っ越し、慣れない地で社会に貢献してる兄を、私は心から誇りに思っています。」
「しかし、良くも悪くも、あの子は『年を取るほど我慢することが多くなる』と捉えてしまった気がするのです。」
「その心を、私はどうにかして解いてあげたかった…..。」
「そこで今回、こうして本を作り、先生にお願いした所存です。」
「私からあの子に渡しても、絶対素直に受け取らないですからね。(笑)」
「……..そんな背景があったのですね。」
「はい。先生、そしてクラスの子たちには本当に申し訳ないことをしたと思っています。すみませんでした。」
「いえ、大丈夫ですよ。他の生徒には、私がこだわり抜いた『大学受験に役立つ穴場問題集』を渡しましたから。モラ君にも今度渡そうと思います。」
「…ありがとうございます。そう言っていただけて救われます。」
「いえいえ。……あ、そうだ!あの後モラ君、私にこの本を返しに来てくれました。」
「何か大切なことに気づいたような顔で『先生、俺はまだこの本を渡す側にまで当分かかりそうだから。』と言って、私に返してくれました。なので、お父さんに返しておきます。」
「…そうですか。………....あの……..もしよろしければ、この本、もらっていただけませんか?」
「え!?」
「無理にとは言いません。ただ、この本はもう私にも、そしてモラにも必要ないと信じたいので。」
「ああ、そういうことですか…。」
「…..やっぱりやめときましょうか。迷惑ですよね。」
「いえ!迷惑なんてとんでもございません!」
「じゃあもらってください。もちろん、読んでいただいても構いません。先生に拙い文章を見られるのは少々恥ずかしい気持ちでもあるのですが。(笑)」
「………………。」
「どうしました?先生」
「…..お父さん、すみません。実は私、モラ君に渡す前にこの本を読んでしまいました。」
「あぁ、そうでしたか。」
「本当に申し訳ございません。」
「いえ、何も謝ることはありませんよ。先生のような素敵な方に読んでいただけたなら私も本望です。」
「…….お心遣い、ありがとうございます。」
「…..では先生、日が沈んできたことですし、この辺で。今日は、あの子…モラが三ツ星レストランを超えるフカヒレチャーハンをふるまってくれるそうなので。(笑)」
「フカヒレチャーハンですか!美味しそうですね!しかしまた、三ツ星レストランを超えるなんて大きく出たもんだ!(笑)」
「アイツ、吹きますからね~。」
「フフ、それはよく存じております。」
「でも本当に美味しいんですよね、あの子が作る料理。昔から料理が好きだったんですよ、特に魚料理が。」
「あ、だから進路希望で料理の専門学校を書いてきたんですよね。モラ君、ずっと家を継ぐと言っていたので驚きましたよ。」
「すみません。先生には大変迷惑をかけますが、どうかあの子の進学をサポートしてやってください。」
「もちろん!まだ受験まで3カ月あります!モラ君が希望している専門学校は少し難易度が高めですが、合格できるように全力でサポートします!!」
「先生、ありがとうございます。あの子が一体どういう意図をもって進学を決めたのかはわかりません。ですが、私に進学費用について頼み込んできたあの子の目は、それはそれはキラキラしていましたよ。」
「素敵ですね。……..他の生徒と差別するわけではありませんが、私はモラ君とお父さんに出会えて本当に幸運でした。人生の宝です。」
「そうですか、そう言っていただけて嬉しいです。先生、本当にありがとうございました。」
「こちらこそ、ありがとうございました。」
「では、今日はこの辺りで。モラの受験が終わった暁には一緒に食事でもしましょう!もちろん、あの子の手料理で。(笑)」
「はい!喜んで!!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本作品をお読みいただきありがとうございました。
いかがでしたか?
あなたにとっての『生きがい』を見つけられましたか?
あるいは、あなたの心に潜む『興味』という名の炎を燃やす準備が整いましたか?
本書の冒頭でリードが言ったとおり、実は私も「生きがいなんて、別になくてもいい」と思っています。
ここまでのすべてを台無しにしかねない発言ですが、改めて明確に言っておきます。
「仕事終わりの飲み会が楽しい。」
「休日に漫画を一気読みするのが大好き。」
今生活に満足し、楽しく生きることができているのならもうそれでOK。
正直、僕も「毎日楽しく生きていけるならそれ以外何もいらないでしょう」とも考える性格です。
ただ、やっぱり心のどこかで何かがひっかかっている。
いや、引っかかっているというより、「おーい、俺のこと忘れてないかー。」とアイツの声が脳にこだまする。
その「アイツ」の正体こそが、『生きがい』だったのです。
経営者、起業家、作家。
アスリート、歌手、YouTuber。
教師、会社員、ラーメン屋の大将。
喫茶店のママ、世界を旅するお坊さん。
「生きがい」の正体に強烈な興味が湧いた僕は、とにかくいろんな人に会ったり、その人の本を読むことにしました。
そこで辿り着いた自分なりの答えが『生きがいの方程式』、つまりは「貢献感」と「没頭感」だったのです。
特に世界的名著『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』は、とりわけ大きな衝撃を受けました。
大学生の頃に買った本で、これまでの人生で何度も読み返してきたはずなのに。
初めて読んだ時の数百倍以上のインパクトを感じたのです。
作中でも話した通り、『貢献感』は生きがいの方程式を構成する上で絶対に欠かせないと確信しました。
そしてもう1つの変数『没頭感』
これはいろんな人ー生きがいを持って、日々に熱中している人ーとかかわるうえで、いつの間にか僕の心に浮かんできた言葉でした。
「大会に出るわけでもないのに、毎日3時間平気で筋トレをするマッチョ。」
「お金がもらえるわけじゃないのに、試合に出まくる格闘技オタク。」
「すごく冷ややかな視線を送られているのに、毎日駅前でギターを弾いてるおっさん。」
彼らは心の底から楽しんで、自分の人生を謳歌していました。
これは僕の思い込みでしかありませんが、彼らは十分なお金をもっていたかというとそうではなかったと思います。
むしろ自分の活動にお金を費やし過ぎて、食費を節約している。
それくらいの雰囲気がありました。
「お金は十分じゃないけど、今の人生めっちゃ楽しいんです!」
このような刹那的に生きる人たちに対して、「いや、強がってるだけでしょ。」と否定の烙印を押すのは簡単です。
生きがいに満ちているわけではないけど、そこそこお金もあって、バランスよく趣味の時間も確保できで、それなりに幸せで。
世間一般的に「正しい」側の立場から、そうでない立場の人を否定するのはすごくラクなことです。
でも僕は間違いなく彼らー刹那的に生きる人たちーから学ぶものあると直感しました。
それが2つ目の変数「没頭感」だったのです。
貢献感を感じることで、幸せに生きられる。
没頭感を感じることで、楽しく生きられる。
じゃあ2つをかけ合わせたらー?
そうして生まれたのが『生きがいの方程式』
何度も言いますが、別に『生きがい』を感じる人生だけが素晴らしいとは1㎜も思っていません。
人生の歩み方なんて十人十色、人ぞれぞれあるでしょう。
ただ、やっぱり「俺はこれをするために生まれてきたんだ!」と、人生の生きがいをとことん追求していきたい人間。
自分が世界の主人公だと勘違いしている、いや確信している生き急ぎタイプの人間もいるんですよ。(笑)
じゃあもうとことん追求したらいい。
世間体とか、将来性とか、計画性とか。
そんなもん無視してまずは手あたり次第、自分の心から湧き出る「興味」に体当たりしていけばいい。
いろんな興味を実際に体験していった後、どれかが「貢献感」「没頭感」の両方を高めた『生きがい』になるんだと思います。
モラは幸いなことに「料理」という、昔から没頭でき、かつ仕事にして多くの人に貢献できそうな生きがいを持っていました。
今、没頭できることがある人はそれにとことん夢中になり、同時進行で人に貢献できる方法を模索してみてみる。
逆に今、没頭できるものがない人は「お金にならない」「将来役に立たない」というブロックを一度横において、自分の興味があることに一歩踏み出してみてはいかがでしょうか。
僕は欲張りなので、「本を書く」というすでに生きがいを感じていること以外にも、もっともっとたくさんの生きがいを見つけようと思います。(笑)
改めて、最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
参考図書
※1 岸見 一郎, 古賀 史健 / 嫌われる勇気-自己啓発の源流「アドラー」の教え / ダイヤモンド社 / 2013.12
※2 岸見 一郎, 古賀 史健 / 幸せになる勇気-自己啓発の源流「アドラー」の教えⅡ / ダイヤモンド社 / 2016.02
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?