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インディアンの子供達を「殺した」教育ーアリゾナ日記第0夜

0.0 インディアン寄宿学校で見つかった215人の子供の墓地

カナダのインディアン寄宿学校の跡地から、215人もの子供の墓地が見つかったことが大きなニュースとなっていました。アメリカ教育史を授業で取った人なら、

①インディアン寄宿学校でメチャクチャ死亡児童が出たこと

②当時の交通手段や通信手段の問題などから亡骸が故郷に戻る事無く埋葬されたケースが一定割合存在していること(そしてそれは往々にして埋葬されてから親に知らされた、ないしは長期休暇や卒業の時期になっても戻ってこない我が子の状況を問い合わせて初めて知らされた、ないしは子供が既に死亡していることを知らされないまま親も虐殺された・死亡した。恐らく今回の件はこの3番目のパターンかなと思います)

③被害の全容は完全には明らかに出来なさそうなこと

の3点を知っているので、これはもちろん悲劇的な話ではあるものの既知の問題の氷山の一角に過ぎない事を理解しています。なので、改めてここまで大きく報道されたことは驚きで、特にメディアを中心とするアメリカのエリート層の白人達の間でインディアン寄宿学校の認知度が想像以上に低い様子なのは驚きを通り越してショックでした。現代のエリート白人層は、過去に自分の先祖達が行った教育を通じた暴力について、知識が欠落しているようです。

教育が暴力だと言った時に、大きく二つの意味に分かれます。一つは、今回のインディアン寄宿学校の報道のように、生物的に人を殺す・殺させる教育です。インディアン寄宿学校では数多くの子供達が命を落としましたが、教育が人を殺す・殺させるというのは、古今東西広く見られる現象です。例えば、先日「Final Account」という映画を見てきたのですが、これはナチスドイツのユダヤ人虐殺について、ドイツ人の老人達にインタビューをしたものでしたが、前半のメインテーマの一つは、ドイツ社会がバグった結果どのように公教育が狂い、ユダヤ人虐殺に加担する人間を生み出していったのか?でした。また、現在の国際教育協力においても、紛争地において学校が襲撃のターゲットになることは、ボコハラムに数多くの女子が誘拐された事件は衝撃的でしたし、私が理事を務めるサルタックというNGOが活動するネパールでは学校教育がマオ派の少年兵育成に流用された歴史があります。

しかし、現代の教育政策を考える上でより重要なのは、もう一つの暴力である、教育が人のアイデンティティ・尊厳を殺す方です。今回ニュースで取り上げられたインディアン寄宿学校も、教育でアメリカン・インディアンの子供達のアイデンティティを「殺す」ために作られたものです。報道を見ながら、この教育の暴力性の認知度が白人エリート層の間で低いんだなとショックを受けていたら、ふと、この教育学部出身者ならうなづいてくれるであろう「教育は暴力だ」、という認識が非教育学部出身の政策関係者の間で欠けている事が、1983年に発刊されたA Nation at Risk以降のアメリカの教育政策の大混乱の背景にあるのではないかと思い始めました。

これをブログにでもしてみようかと思ったのですが、色々と忙しい中で勉強し直して記事にするのはめんどくさいしだるいなという思いもありました、人間だもの。しかし、これを思い直させる出来事がありました。

0.1 アメリカン・インディアン達の静かな行進

前回の「大学で分断された女性達ーOur Boys Matter」という記事の中で、州議事堂の周りを社会見学ジョギングしているという話をしました。ジョギングの方がよっぽどだるいだろ!というツッコミはさておき、6月6日のジョギングは忘れられないものとなりました。

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この日は良く晴れた暑い日でした。州議事堂の前では写真の通り、大音量を流しながらパーティーが行われていました。多分、どこかの学校の卒業パーティのようでした。そして、その横を一風変わった服を着た10人ほどの集団が通り過ぎていきました。

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何だろなと思って近づいてみたのですが、写真の通り何かプラカードを掲げているわけでもなかったので、何の一団なのかが分かりませんでした。意を決して回り込んでみたところ、白人でも黒人でもアジア人でもヒスパニックでもない顔だちをした人たちが、215+と大きく書かれたシャツを着て練り歩いました。

この人達は誰で、なんのために行進しているのか瞬時にはわかりませんでしたが、この人達はアメリカン・インディアンで、件のカナダのインディアン寄宿学校の跡地から215人もの子供の遺体が見つかった件について行進しているのだと気が付きました。教育を通じてアメリカン・インディアンの子供達を殺した白人達の子孫が青空の下パーティをしている横を、ただ静かに、そして誰にも気に留められることなくアメリカン・インディアンの人達が少人数で行進しているそのコントラストは、その静寂さがBLM運動の騒がしさとの対比も相まって、インディアン寄宿学校を学び直して、記事にしてみようと思わせるには十分すぎるほど残酷な光景でした。

0.2 はじめに

(余談ですが、アメリカ教育史は博士課程の1年目に取った授業の割に、意外とインディアン寄宿学校の事を覚えているなと思っていたら、このトピックでグループプレゼンをさせられていたからだという事に気が付きました)

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というわけで、今回から4夜に渡ってインディアンの子供達を殺した教育について記事にしていきます。構成は以下の通りで順次公開していきますが、子供達により良い教育を届けるために奔走している仲間の皆様に何か参考になる所があれば幸いです!

①教育政策的な背景(第一夜

②アメリカン・インディアン政策的な背景(第一夜

③インディアン寄宿学校というシステム(第二夜

④インディアン寄宿学校で具体的に何が行われていたのか?(第三夜

⑤ハード博物館に行ってきた&現代の教育政策への示唆(第四夜)

5番目のトピックについて、おや?と思った方もいるかもしれませんが、アリゾナ州フェニックスに、アメリカン・インディアンに関する全米最大規模の博物館があり、そこにインディアン寄宿学校に関する常設展示があります。ただ授業で学んだ事を復習するだけではつまらないですし、ワクチンも打ち終わったので、アリゾナまで旅に出る事にしました。

旅に出るなら移動手段はサイコロでしょう!というわけですが、ダメ人間なので案の定夜行便の目が出ました、まあ夜景と朝焼けが楽しめるので良しとしましょう。。。

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(深夜のアリゾナ)

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(シカゴの夜明け)

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(広告)私も理事を務めるネパールの教育支援をしているNGOサルタックでは、月額500円以上のご寄付でサルタックフレンズとして、Slackのオンラインコミュニティにご招待しますので、是非今回のブログの内容について質問がある、議論をしたい、ないしは国際教育協力や進路に関する相談をしてみたいという方は、サルタックフレンズにご加入ください。また、不定期に開催されるウェビナー後のQ&Aセッションにもご招待しますので、お楽しみに→サルタックフレンズになる

サルタック・シクシャは、ネパールの不利な環境にある子供達にエビデンスに基づいた良質な教育を届けるために活動していて、現在は学校閉鎖中の子供達の学びを止めないよう支援を行っています。100円のサポートで1冊の本を子供達に届ける事ができます。どうぞよろしくお願いします。