それでもやっぱり女子教育も必要なわけ

そういえば2023年もそろそろ終わるな―という感じですが、日本に丸一年いたのは2007年以来になるので、感慨深いものは特に何もないですが、一年を〆とくかということで、12月頭に秋田の国際教養大学で行ってきた教育とジェンダーの授業記録を残して、2023年を〆たいと思います。下記の授業は全部英語でしたが、多分英語で書くと誰も読んでくれないので日本語にしておきます。

1. 世界に認識され始めた落ちこぼれ男子問題

授業の内容に入る前に、以前記事を書いたこともあるので、少し寄り道をします。Of Boys and Menという米国の弱者男性を扱った本がヒットし、この本の紹介記事も書きましたし(弱者男性が救われる日は…多分来ない)、2017年9月にはWezzyで「女子の大学進学率が男子より高い状況も問題。アメリカの「落ちこぼれ男子問題」は日本でも火を噴くか?」という記事を執筆しましたが、この落ちこぼれ男子・弱者男性問題は、今年ノーベル経済学賞を受賞したハーバード大学のゴールディン教授が議論するところの、静かな革命・子育てと男女間の賃金格差の裏表になるので、ぜひ少し勉強してみてください。経セミのこちらの記事なんか簡単で良いと思います→2023年ノーベル経済学賞はジェンダー格差の構造を経済史・経済学的アプローチしてきたゴールディン教授!

2. Gender and Education in Nepal: What can we do to support them as UN/NGO staff? 

授業の内容ですが、上の通りになりますが、5は関係ないので全カット、4は一部だけで行きたいと思います。

a. 教育とジェンダーの今日のグローバルな状況

時代に取り残されたまま生きているような人は、途上国の教育支援というと、未だに貧しくて女の子であるが故に学校へ行けないケースを想像するようです。しかし、これは誤りで、既に9割の子供は小学校を卒業し、8割の子供は中学校を卒業し、そこには男女差が見られません。

1990年にタイのジョムティエンで開催されたWorld Conference on Education for Allで普遍的な初等教育が取り上げられて、世界銀行とユニセフという経済・人権の異なるアプローチをとるマルチだけでなく、JICAにUSAIDといったバイも連携して、全ての子供達が小学校に行けるようにしようという機運が醸成されました。

これを加速させたのが2000年に成立したミレニアム開発目標です。MDGsの中にはたった8つしか目標がないのに、Goal2で全ての子供が初等教育を修了できる、Goal3で全ての教育段階における男女間格差の解消が取り上げられたため、1990年に醸成された機運が加速することになりました。桃鉄ワールドで言えばロイヤルEXカードぐらい加速します。

上の図が示すように、2000年時点では顕著に残っていた男女間格差も、小学校卒業・中学校卒業での男女格差はMDGsが終了する2015年頃には解消され、今世界ってやるときはやれるんだなーとえらく感心しました。今ではむしろ、少なくとも初等・中等教育に絞って言えば、学校に行けない女子よりも男子の方が多くなっています。驚きですよね。

しかも驚くことに、これはもはや初等・中等教育だけでなく、高等教育についても当てはまります。上の図で、紫色で塗られたところは男子の高等教育修了率が女子よりも10%%以上高いところ、黄色はその逆、青は男女間の高等教育修了率格差が10%%以内に収まっているところです。

灰色はNo Dataの国ですが、データがあれば大体紫色から青色になりそうな国々だなと思います。それはさておき地図を見ると、紫の国は世界的に見てもかなりレアな所で、男子の方が顕著に高等教育を修了しているのはもはや北朝鮮とか北朝鮮とか北朝鮮ぐらいしかありません。逆にすげーな北朝鮮。日本をはじめとして大半の国が青で、欧州を中心に黄色の国も見受けられます。このように、高等教育段階でも顕著に女子が不利を受けているという問題はあらかた解消できたようです。素晴らしい!

私が世界銀行にいた時の教育分野のトップは、エリザベス・キングという博士で、エリザベスでキングですから名前からして超強そうなのですが、私なんか畠山で勝太ですからね。それが何なんだというあれですが。それはさておき、ブルッキングスという、日本ではあまり名前を知られていないような感じがしますが、世界最強のシンクタンクであります。キングさんは世界銀行を定年退職した後に、このブルッキングスの研究者と一緒に世界の女子教育問題を論じたレポートを出版しました(興味のある人は、ダウンロードはこちらからどうぞ)。

色々と興味深いレポートなのでぜひ目を通してもらいたいのですが、このレポートの一番の肝は、女子教育の問題を扱ったレポートでありながら、もはや今日では女子教育は深刻な問題ではなくなったと論じている点です。ただ、深刻ではなくなったとはいえ、他の社会阻害要因、例えば貧困であったり、障害であったり、カーストであったりが、ジェンダーと組み合わさったとき、これをintersectionalityと呼んだりしますが、ジェンダーが問題となって浮かび上がってきます。ネパールの農村の低カーストの貧しい女の子達とかは、確かに今でも小学校を卒業できていなかったりすることもあるのかもしれません。

もう一つ肝になるのが、女子教育の問題はSTEMへの進学率が低い点です。STEMはSushi, Teriyaki, EdaMameという日本食セットの事・・・ではなくScience, Technology, Engineering, and Mathの略でいわゆる理系のことを指します。著作権は取っていないので、STEM教育は日本食教育だとボケたい人は是非ボケてください、100%滑ります、今みたいにね、ちっきしょー!!!冗談はさておき、皆さん大学にいて実感すると思うのですが、理系女子って日本だけでなく世界的に見ても多くないんですよね。これも依然として残る男女間の賃金格差の原因の一つだったりします。

さて、キングさんの報告書でも男子の読解力問題が指摘されていましたが、ユネスコという国際機関があるのですが、そこが去年画期的なレポートを出しました。落ちこぼれ男子についてです(ダウンロードはこちら)。

国際学力調査の結果を見ると、確かに数学・科学では男女がほぼ五分で、若干男子が優勢かなぐらいの所もあるのですが、こと読解力に関して言えば、ほぼ例外なく大差をつけられて男子が劣勢に立たされています。就学状況を見ても、実はやはり学校への入学に関して言えば女子の方が劣勢なのですが、男子の方が早々と学校を退学していくので、まとめてみると男子の方が不就学者数が多くなっているという状況にあります。

原因は色々と言われていて、例えば小さい頃は男女の発達差が1年ぐらいあって同じ小1でも、男の子の発達状況は女の子より遅れています。その同じ教室の中でもさらに、3月生まれと4月生まれの子がいて、そこでも約1年間の差が生じているわけなので、4月生まれの女子と3月生まれの男子の間で同学年でも2年分ぐらい成長差があって、それが教師や親の扱いから自己肯定感格差などにつながって、うんぬんかんぬんといった感じです。例えば、私も3月生まれで、妹は2学年下の4月生まれですが、確かに小さい頃は妹よりも背が低かったので、いやーそれでも現役で東大に行けたので私天才でよかったわー、ふー、危ない危ない。…冗談っすよ?

というわけで、現代で教育とジェンダーといったときに女子教育を思い浮かべるのは時代遅れかもしれません。でも果たしてそうでしょうか?もしそうでないとしたらSTEMへの進学以外でどのような領域に見られると思いますか?グループで話し合ってください。私はその間スクワットしてますね。

補足:Japanese Exceptionalism

世の中にはAmerican Exceptionalismなんて言葉があったりしますが、教育とジェンダーに関して言えば、Japanese Exceptionalismがあります。

これらの図はGender Parity Indexと言って、男女間の就学率格差を表しています。1より大きいと、その%分だけ女子学生の比率が高いということになりますし、その逆は逆ということです。

それで、世界的に見ると先進国では大学の中をぱかっと開けてみると基本的に女子学生の方が多いところが大半です。日韓ぐらいが例外的に女子学生の方が少なくなっています。

ただ、これが大学院になるともっと状況がひどくて、日本の女子院生の少なさは、先進国の中では断トツなんですね、トルコなんかはOECD加盟国ですけど、所得水準で言えば中進国なので。学部では日本と仲良く先進国の最下位グループにいた韓国にも、大学院になると水を大きくあけられて、日本は断トツの最下位になります。逆に凄いですよね。これを解決するためには、マイナスにマイナスをかけるとプラスになるので、うーん…、もうどうしようもないんで、若い君達に後は任せた。

それはさておき、ここからの議論で重要なのは、Japan as an exceptionなので、自分の日本の大学での経験を基に考えていくと、教育とジェンダーの世界情勢を考えるときに大外しするので、お気をつけあそばせ、ほほほ。

b. ネパールの過去

宿題で2本の論文を課しましたが、皆さん読んできましたか?宿題と締め切りは守る方が悪いなんて言葉があったりなかったりしますが、この2本の論文、ある共通点があったのですが、皆さん気が付きましたか?

ネパールだ、女子教育だ、というのは当然なのですが、2本が使っているデータが同じものだって気が付きましたか?論文を読むときは色々と注意しなければならない点があるのですが、どのデータを使っているのか?というのは意外に見落とされがちな重要点だったりします。

それではまず、Panthhe and McCutcheon (2015)からいきます。こちらの論文は、出版年こそ2015年ですが、世界銀行が実施支援をしているNepal Living Standard Measurement Survey (LSMS)の2003-04のデータを使用しています。このLSMSは…、ダメだ、上手いジョークが思いつかなかった。このLSMSは世界銀行が実施支援をしている家計調査です。

この論文のポイントは、就学年数を見ている点です。就学率は今現在の就学状況を見られる指標ですが、就学年数はどれだけ教育を受けてきたか、つまり、過去を見る指標になります。

それでやはり、就学年数に男女間格差があるわけですが、これが都市と農村であまり変化がない点は注目です。なぜなら、キングさんのレポートではintersectionalityが主張されていましたが、ネパールでは農村&ジェンダーのintersectionalityは少なくとも数値上は存在していないことになるからです。後は枝葉末節になるのですが、何かこの論文を読んで疑問質問いちゃもんドラえもんがあれば遠慮なく言ってください。ちなみに私がよく飲むお茶は伊右衛門です。

次に、Khanal (2018)です。こちらは主に就学率や教育支出を見ています。この両方において男女間格差が存在しているのですが、この論文の肝は教育における男女間格差が発生する要因を議論している点です。

子供の数が多くなって、子供一人当たりの教育費が減ると、そのインパクトは女の子に偏って出るというのが、この論文の発見です。何を言っているかわかりづらいと思うので、具体的に説明します。

今ここに、男の子が一人だけいる家庭Aと、女の子が一人だけいる家庭Bがあったとします。この家庭AとBを比較すると、そこには男女間格差は見られません。しかし、ここに子だくさんで男・男・女・女という子供を持つ家庭Cがあったとします。この家庭Cの子供達を見ると男女間格差が存在しているということになります。ここ、非常に重要なポイントなので、疑問質問がある人はマジで言ってくださいね。ここ大事なポイントなので、今私は疑問質問の後にドラえもんをつけませんでしたよ、いいですね?いいですか?

この2本の論文をさっくりまとめると、昔のネパールには男女間の教育格差があったものの、その大きさは世代と共に縮小してきています。その中で一つカギになりそうなのが合計特殊出生率です。大家族になり子供一人当たりに割けるリソースが希薄になると、そこで男女間格差が発生します。しかし、子供の数が少なく、子供一人一人に十分なリソースを割けるようになると、それは縮小します。では、今のネパールって大家族なのそうじゃないの?ってのがカギになります。あと、授業料がかかる私立学校の存在も一つのカギになりそうです。あと、キングカズは魂みたいなものは向こうに置いてきたと言いましたが、え、カズ知らないの、マジで?じゃなくて、キング博士はintersectionalityが教育とジェンダーを理解するカギだと言っていましたが、ネパールにおいてはそうではないのかもしれません。では、時計の針を現在へと進めましょう。ところで、マジでカズ知らないの?サッカーの?

c. ネパールの現在

さて、教育に移る前に、ネパールの社会経済的な状況に関して今を見てみましょう。この中で特筆すべきは、合計特殊出生率です。ネパールのそれは1.9と既に人口置き換え水準を下回っていて、そう遠くない将来に人口が減り始めます。これ、開発経済学を学んでいるとえらいこっちゃというのが分かるのですが、まあ今回は教育の授業なので、先ほどとの絡みで、もうネパールでは大家族は珍しいものになりつつあるという所を押さえておいてください。

あと、少し面白いのが海外送金ですね。海外送金の額がGDPの1/3から1/4の間ぐらいあって、出稼ぎ労働が盛んなんですよね。これは内戦が終結した国に多く見られる現象で、2006年ぐらいまでドンパチやっていたネパールもその例外ではないということです。

国内労働者の2/3ぐらいは農業に従事しているので、普通ならそこの生産性改善を狙った教育政策を組んでいくことになるのですが、それよりも大きな金額が出稼ぎ労働で得られているので、自分たちの子供を海外に送り出すための教育政策を組んでいくことになります。前者だと、農薬の計算や指示書を読むために、基礎的な読み書きの保障がターゲットになるのですが、後者だと外国語や異文化教育など、全然違う目標になってくるので、あーもうくっそめんどくせー国だなー、おっと口が滑った。

最近の教育政策では、就学と学力の二つの観点から分析することが主流になっているので、何となく私もそれに従っておきます。データは、ユニセフが実施支援をしているMultiple Indicators Cluster Survey(MICS)です。

まず就学からですが、これはAge Specific Enrollment Rateというものです。教育段階はおいといて、ある年齢の子供が何%ぐらいまだ教育システムに残っているかを計測したものです。要するに、留年とかそういった難しいものは一旦置いといてというやつですね。

見てもらうと分かるように、アジアで二番目に貧しい国であるネパールであっても、実は14・5歳の子供の9割ぐらいは学校に行っているんですね。しかもそこには殆ど男女間格差は存在していません。

キング博士が言っていたintersectionalityが存在するのかどうかだね。まず、ジェンダーと農村で見よう。このグラフはさっきのものを都市と農村で分けたんだけど、確かに農村部は16歳だけ見ると若干の男女間格差があるように見えなくもないけど、まあほぼ誤差でしょう。

次に、最貧困層と最富裕層に分けてみた。ジェンダーと貧富のintersectionalityだね。これもやっぱり出ない。最貧困層であっても、学校へ行くということに関しては男女間格差が無いんだね。

じゃあ次に学びだ。Foundational Learning Skills(FLS)という概念があって、これはざっくり言えば小学校3年生が身に付けているべき基礎学力のことを指します。当然、身に付けているべき学力なので、3年生相当の子供の100%が身に付けているはずです。

ネパールの子供達のFLSの習得状況はどうなのか?というのを上の図は示しています。14歳の子供でも6割ぐらいしか読解の基礎学力を身に付けていないだなんてどういうことだ?と思う人もいるかもしれませんが、これが今途上国が直面している課題で、学校に行ってはいるけど何も学んでニャースという。学校に行っても読み書きすら身についていないんだから、学校に行く意味がないよね。そう、君たち若い人が途上国の教育支援ですべきなのは、途上国の学校を行く意味があるものへと変貌させることなんだけど、それはまた機会があればお話しします。

話をジェンダーに戻すと、世界的に見ると読解力というのは大体どこでも女子が男子を上回っているものだけど、ネパールも同じで、女子の方が5%%ぐらい良い感じです。数学は逆に男子が5%%ぐらい女子を上回っている感じです。まあ、学びに関しても顕著な男女間格差はないと言ってよいでしょう。

算数と読解力をそれぞれ、都市と農村・貧困層と富裕層でスライドをここに載せるとスペースを喰い過ぎるので、講義と違ってここでは割愛するけれども、就学と同じで、算数でも読解力でもジェンダーと農村・ジェンダーと貧困のintersectionalityは認められなかった。

おい、エリザベス・キング!と言いたいところだけど、キングカズが君臨していた時代にはまだ顕著にintersectionalityが残っていたけど、そこから少し時が進んでそれが解消された、という可能性は全然あるかな。

しかし、ここまで私が示してきたデータでは、アジアで2番目に貧しく、しかも女性差別がきついと言われるネパールでは、少なくとも教育(就学と学び)においては男女間格差は存在していないし、ジェンダーと他の社会阻害要因のintersectionalityも存在しているとは言えない。では、本当にネパールは教育とジェンダーの問題を克服できたんだろうか。カップラーメンが出来るまで待っていてあげるから、隣の人と話し合ってみてください。時間を守ってくれないと麺が伸びちゃうから気を付けてね。

では、教育とジェンダーの問題が解消されたかというと、そうではないということを示すデータがこれです。お金がかからない公立学校へは女の子が多く行き、お金がかかる私立学校には男の子が多く行っています。つまり、宿題で出した論文が指摘していた、LSMSが実施された2003年に存在していた「男の子の方により多くの教育資金が割かれている」問題は、MICSが実施された2018年になっても解消されていなかったのです、就学や学びといった教育問題は解消された様に見えるし、大家族問題もほぼ消滅したのに、だ。

なぜこのようなことが起こるのかというと、原因は一つと言っていいでしょう。それは、女子教育の問題を引き起こしている根本的な原因に対処せず、その根本的な現象が引き起こしている問題にばかり対処してきたからです。ちょっと分かりやすく説明するために、私のマラウイでの失敗をシェアしましょう。

私がユニセフのマラウイ事務所で働いているときに、Joint Program on Girls Educationというプロジェクトを実施しました。これ本当はブリティッシュイングリッシュのスペルなのですが、私はアメリカで長年過ごしてアメリカが好きなので偏見によりアメリカ英語で行きます。それはさておき、このプロジェクトは女子の中等教育へのアクセス問題に取り組んだのですが、ユニセフの仕事の一つに女子トイレの建設がありました。

中学生ぐらいになると生理が始まりますから、女子トイレが無いというただそれだけの要因で女子は不就学になったりします。そう考えると、女子トイレをユニセフが建設してあげることは素晴らしいことのように思えます。しかし、果たして本当にそうでしょうか?

自分が従事したプロジェクトではあるのですが、私はこれは不正解だと思っています。なぜなら、学校は建設されたのにそこに女子特有のニーズが反映されなかった根本的な原因があって、女子トイレの欠如はあくまでもその根本的な原因によって引き起こされた問題にすぎないからです。この根本的な原因に対処しない限り、問題を叩き続けても、それはモグラ叩きに過ぎず、また別の所から違う問題が噴出してきます。これが、就学と学びの問題は解決したように見えるのに、そして少子化が進んだのに教育費の問題が解消されていないということなのです。叩かなければならないのはモグラではなく、その根本的な原因なのですが、なぜ国連はそれに対処できないのかというと、まあ国連職員が揃いも揃って無能というのもありますが、国連機関を取り巻く環境というのもあります。次にその話をしましょう。ちなみに、実家にはジュリアさんというネコがいたのですが、私が帰省するとウェルカムモグラを咥えてやってきました。国連職員だった私よりもきっとモグラ叩きがうまかったはずです。

話を国際機関に移す前に、一点だけ補足。今、世界的に教育の民営化が加速していて、ユネスコが出しているGlobal Education Monitoring Reportという国際教育協力業界の趨勢を左右する重要な年次報告書があるんだけれども、前回のトピックが正に教育の民営化でした。

アジアで二番目に貧しいネパールでもそれは例外ではなく、近年、数多くの私立学校が出来ています。これが社会格差を生み出してしまっていて、例えば貧困層は大半が公立学校に行っているのに、富裕層は逆に大半が私立学校へ行っています。これ自体もキッツい問題ではあるんだけど、教育費の男女間格差問題というのは、授業料が無償ではない私立学校の拡大とも関係があって、やはり根本的な原因を叩かない限りは、こうやっていたちごっこの形で女子教育の問題はどこかに出てくるもんなんだね。ちなみにうちのジュリアさんはイタチも捕まえてきたことがある、南アでライオンを見たときに、なるほど同じネコ科だなと思ったよ。

d. なぜ国連は女子教育の問題を解消できないのか?

なぜ国際機関が途上国の女子教育問題を解決できないのか、その大きな原因として国連職員の無能さは確実にある、残念ながら。沢山言語をしゃべる、いろんな国の人と働ける、確かにそういった能力に長けている人は多い。だけど問題が何なのか識別して、それに対処するためのevidence informed policyを打ち出せるだけの知識や専門性に致命的に問題を抱えている人が多い。統計ソフトを使った計量分析が出来ません、質的データの分析ソフトを触ったことがありません、論文も読んでいません、でも資金を獲得するためにエビデンスではなく政治の手垢にまみれた最新の援助動向だけは追っています、これで専門家面をされてはたまったもんじゃないよね。

まあそれはさておき、さておいてはいけないんだけど、国連が女子教育問題を解決できないのは構造的な理由もある。ではここで問題です。2015年にネパール国内で使われた教育費のうち、豊かな国からの支援は何%ぐらいになるでしょうか。ヒントは、ネパールはアジアで2番目に貧しい国だということです。5択で行こう、順番に聞いて行くからこれだと思ったところで手を挙げてほしい。

答えは6.8%、つまり一番近いのは選択肢1の10%だね。みんな大丈夫、この問題いつも正解する人がいないから。人間は人にしてもらったことは忘れて、してあげたことはいっぱいしてあげたように思いこんじゃう生き物なんだね、かわちいよね、きゅんです。使い方あってる?

さて、世界銀行、ユニセフ、ユネスコ、アジア開発銀行、日本、アメリカ、イギリス…、と色んなアクターがネパールの教育支援をしているけど、その金額は全部合わせても10%にも満たない。国際機関というと何でもできるように感じるかもしれないが、そもそも資金量が絶対的に不足していて、意味があることなんて緊急支援を除いては殆どできない。むしろ開発の文脈で何かできたと思っている国連職員がいたとしたら、そいつは多分頭が悪いか、超天才のどちらか。

さらにきついのが、ユニセフはその限られた資金量以上に資金が限られている点。皆さんの中にはユニセフ募金をしてくれた人もいると思うけど、大体これがユニセフの資金の1/3ぐらいになる。これの多くは自然災害や紛争に起因する緊急支援へと向かっていくので、あまりネパールやマラウイのような比較的平和な国には回ってこない。

次に、国連本部から来るコア予算で、これも大体ユニセフの資金の1/3ぐらいを占めている。ただ、これの多くはマネージメント層の給与で吹っ飛んでいく感じ。そうなると、プロジェクトのためにまともに使えるのは、ノンコアと呼ばれる資金になる。これは各国の大使館にプロポーザルを書いてお金をもらうことが多い。日本人の私もマラウイでは日本の大使館に…あれ、書いたことねーや。私のような教育の統計分析はノルウェーの大好物だったので、私はノルウェーの大使館にプロポーザルを書いて、政府の能力強化プロジェクトをやって、そのヘッドカウントが私の給与になっていました。

ただ問題になるのがプロポーザルの中身で、やはりこれはどうしても大使館の本国の意向を逃れることが出来ない。中にはユニセフのマンデートと関係ないものをやらざるを得ないこともある。職員の専門性からそもそも国連職員が途上国の課題を解決できるとも思えないけど、できたとしても、このように資金には政治的な縛りがついてしまうんだ。だから仮に解決策が分かっていてもそれを実行できるとは限らない。私のノルウェーからの資金を受け取ったプロジェクトも、致命的な欠陥があったんだけど、向こうの意向でやらざるを得なかった。やはり結果として、マラウイでは今でも殆どの子供達がちゃんと学べていない。

この大使館からお金を引っ張ってくる能力を持って優秀な国連職員という人がいるけど、そういった能力は途上国の社会経済問題を解決する能力との相関は低いなと私は感じたかな。

資金的にきついのは分かってもらえたと思うけど、資金だけでなく、やれる活動にも縛りがある。国連機関だからと言ってフリーハンドで何でもできると思ったら大きな間違いだ。

基本的にどこの政府も計画は立てる。日本政府も色々と立てているよね。この中で重要になるのが、5か年程度の中期開発計画だ。国連はResidential Coordinator(RC)制度をとっていて、RCの下に一致団結するという事になっている、実態が意図通りになっているかどうかはさておき。そして、国連も一致団結して計画を立てるんだけど、これをUN Development Assistance Framework (UNDAF)と呼ぶ、今はSDGs Frameworkと呼ばれているようだけど。

このUNDAF、基本的には国の中期開発計画に沿った内容になる。絶対そんなことはあり得ないんだけど、中期開発計画に女子教育が入っていないのにUNDAFに入れるというのは難しい作業になる。だから、国際機関は国が中期開発計画を立てるときに色々と働きかけるんだけどね。この働きかけに失敗するとUNDAFも酷いものになりかねない。

そして、このUNDAFを基に、各国際機関はそれぞれの中期計画を立てるんだ。だから、さっきと同様に、UNDAFに女子教育が入っていないのにユニセフが中期計画、カントリープログラムで女子教育を入れるというのは難しくなる。そして、カントリープログラムに根拠がないプロジェクトは成立させづらい。つまり、各国連機関は、そこの国の政府の意向にガッチガチに縛られるわけだね。

もちろんこれは悪いことではない。開発のイニシアティブは常にその国がとるべきものだからね。これをオーナーシップと呼ぶんだけど、例えば、もし日本の政策がアメリカの言いなりになったりしたらおかしいだろう?全く同じことは途上国政府と国連の間にも言えるんだ。

要するに、女子教育の問題は解決したように見えるけど、根本的な原因が放置されているがためにモグラ叩きやいたちごっこのようになって、問題が解決していない。国際機関がこれに取り組むためには資金も限られ過ぎているし、活動内容にも強い縛りがある。

じゃあどうすればよいか。…分からないんだな、これが。ここまで私も偉そうに解説してきたけれど、私も解決策は分からない。間違いなく私の世代もモグラ叩きやイタチごっこに終始して、ジュリアさんにすら敗北すると思うにゃー。冗談はさておき、若い皆さんがたくさん勉強して解決策を見つけて下さい。これだけ勉強に打ち込んでいる皆さんならきっと大丈夫です頑張ってください、心から応援しています。私なんか余裕で追い越して行けますよ。なぜなら私は学部時代の就活で学生時代に打ち込んだものは何ですかと聞かれて、勉強ではなく麻雀牌をうちk以下略

3. なぜ女子教育は重要なのか?

以前Wezzyで、私がものを書き始めた時からついてくれている優秀な編集さんと共に「女子教育が世界を救う」という連載をしていました。

この女子教育が世界を救うは、最初から最後までしっかり読んでもらえば、なぜ女子教育が重要なのか、日本と世界はどのような女子教育の課題に直面しているのか、どういった施策が効果的なのか、政策形成上で留意すべき点は何か、という私の英知が詰まっています。まあ、上でも分かんねーと言っているように大した英知ではないですが、日本人で実務と学術を私の水準で兼ね備えて女子教育問題を論じられる人はいないと思うので、最先端のimplementableな英知だとは思います。

ただ、残念な事にWezzyは今年度の末で閉鎖になるそうです。というわけで、連載記事も今年度末で消滅します。編集さんには自由に再利用してくださいと言われていますが、どうしたもんですかね。本にする話もあって途中まで進んだのですが雲散霧消した感じです。もし、今回の内容や「女子教育は世界を救う」の内容を掲載ないし出版したいという媒体・出版社さんがいればご連絡ください。

あとWezzyの編集長さんとお仕事したいという方があれば、ご本人がどうされるかは分かりませんが、取りあえずお取次ぎはしますのでご連絡ください。今回の授業の内容を見ても分かりますが、インターンさんに「畠山さんって、書いているものや経歴を見ると凄く怖い人に見えますが、実物はただのふざけたオッサンですよね。私の憧れを返してください」と言われたりしますが、書かれたものがふざけずにちゃんとシリアスに見えるのはwezzyの編集長の手腕です。色んな編集の人に会いましたが、皆さん本を沢山読んで色んな事を知っているので編集者って凄いですよね、話してて退屈しないので、結婚したい職業ランキングでかなり上位に来そうな職業だと、私は勝手に思っています苦笑。

それではみなさん、have a wondeful holiday!、って誰がただのふざけたオッサンやねん!!!

サルタック・シクシャは、ネパールの不利な環境にある子供達にエビデンスに基づいた良質な教育を届けるために活動していて、現在は学校閉鎖中の子供達の学びを止めないよう支援を行っています。100円のサポートで1冊の本を子供達に届ける事ができます。どうぞよろしくお願いします。