弱者男性が救われる日は…多分来ない

はじめに

2017年にアメリカのいわゆる落ちこぼれ男子問題に焦点を当てた記事を書きましたが(アメリカの「落ちこぼれ男子問題」は日本でも火を噴くか?)、この落ちこぼれ男子問題を放置した結果、米国でいわゆる弱者男性が生み出され続けています。

そして、この弱者男性問題を取り扱った、Of Boys and Men: Why the Modern Male Is Struggling, Why It Matters, and What to Do about Itという本が昨年出版されました。Brookings研究所という、国際教育協力でも影響力が大きい、世界最大手のシンクタンクに所属する研究者が執筆しただけあり、学術的なエビデンスやデータに基づいて、なぜアメリカで弱者男性が苦境に立たされ、このイシューを解決するためにどのような対策を講じられるのかを議論していて、非常に面白いものでした。切り口は弱者男性なのですが、保守派とリベラル派の米国の分断がどのように起こっているのかも理解できるし、米国の教育政策の議論もかなりインテンシブに為されているので、ジェンダーに興味関心がある人だけでなく、米国に興味がある・教育政策に興味がある人にも相当に面白い本になっています。

ぜひ一人でも多くの人に読んでほしいなと思うので、以下に個人的に面白いなと思った箇所の要約と、本の中で議論された教育政策について私の意見を少し書いてみようかなと思います。ぜひ買って読んでみてね。

(いわゆる弱者男性と言われると定義が曖昧な感じになりますが、本を読むと低学歴・低収入・未婚という層が弱者男性になるのかなと思います。ただ、低学歴・低収入層の離婚率が高く、それが育児の貧困として社会問題になってもいるので、未婚よりは独身(バツイチを含む)というワーディングの方が適切かもしれません)

本の概要

Of Boys and Menは、弱者男性の問題を、教育・労働・家庭の3つの側面から分析しています。教育問題については後ほど触れるので、それ以外の箇所について興味深いなと思った点を紹介したいと思います。

労働力としてすら不必要な弱者男性(2章)

米国経済では、機械化とグローバル化による途上国の安い労働力の活用によって、スキル偏重型の経済成長が起きています。ザックリと言えば、機械(ICT)や途上国の労働力を活用できる高スキル層と、ウーバーの配達員のような低スキル層への労働需要は高まるものの、一般的なホワイトカラーやブルーカラーへの労働需要は弱まり賃金も低下していく、というものです。2018年頃の私がナイスにもこれの解説をしていたので、興味がある人は読んどいてください(高学力だけでは不十分な時代に求められる「教育とスキル」は何か)。弱者男性というのは、基本的にはブルーカラーワーカーなので、雇用も無ければ低賃金、という状況に置かれています。

また、近年男女間の賃金格差は縮小してきていて、これは主に女性の賃金が上昇したことによるもので、男性の賃金はここ数十年変わっていません。実際問題として、独身男女間の賃金格差というのはほぼ消滅していて、男女間の賃金格差は、子供が生まれてから小学校に入る迄ぐらいの間の出産・育児格差に由来している感じ。これもまた2018年ぐらいの私がナイスにも解説していたので、興味がある人はどうぞ(出産・育児によって広がる男女間の賃金格差 社会はキャリアの在り方を見直す必要がある)。

米国社会における弱者男性(3-5章)

家庭の在り方がずっと男性大黒柱だったのに、この50年ほどで一気に共稼ぎへと転換したけど、経済のこの速い変化に文化や慣習が追いつけておらず、男性が家庭で居場所を失っている(この辺の話は、エマニュエル・トッドのOù en sommes-nous?を読むと、よく理解できそう。ついでに米国以上に日本でこの問題が深刻になるのも理解できる良書。日本語訳はこっち⇒上巻下巻)

あと、黒人×男性のintersectionalityが特にマズい。これも2020年頃の私が解説していた、ナイスちょっと前の俺(生まれた瞬間から不利…黒人が直面する「構造的差別」の深刻すぎる現実)。

さらに、米国では絶望死(自殺・アルコール・薬物)が急増していて、特に薬物のオピオイド中毒なんかは社会問題として有名ですよね。自殺率単独で見ても、米14.1vs日16.8となっていて、私が小さい頃は米国には自殺が殆ど無いとか聞いた事があったような記憶があるんですが、絶望死全体で見ると、もはや米国の闇は日本よりも濃く深い感じがします。そして、この絶望死の中核を占めるのが弱者男性だという、なんとも救いようがない話。

生まれと育ちーNature and Nurture (7章)

ジェンダーの議論が平行性をたどりやすいのは、生まれ育ちの議論を単純に捉えすぎ、生まれ育ちで考えてしまっている人達が多いからです。実際は生まれながらに存在する男女の様々な違いは存在していて(どのような点において違うのかは、ぜひ本を読んでみて下さい)、ただし重要なのは、①その違いが社会・政策的に強化されたり緩和されたりもするし、②平均が違うとはいえ分布をみると少なくない男女が同じ領域内にいるという点です。

①について、男女間に先天的な差はないと主張する人(生まれ育ちか思考の育ちに陥っている人)は、導くべき社会・文化的な政策を誤ってしまうし、男女間に先天的な差が存在しているからと現状を肯定する人(生まれ育ちか思考の生まれに陥っている人)は、社会・政策的に強化されたり緩和されたりするという側面を見過ごしてしまいます。②については、生まれか育ちか思考の育ちに陥っている人は平均の差を無視していますし、生まれ側に陥っている人は分布の重なりを無視してしまっている感じです。

しかし、生まれ育ちで考えられる人は、①については男女間の先天的な差に配慮した望ましい政策を立案できるし、②については集団的な差に基づいた集団に対する支援策を打ち出しつつ、決してその集団の特徴をもって特定の個人をジャッジしない(統計的差別)、ということができるようになります。

筆者は上記のような主張でこの章を〆るのですが、私は、この男女間の差にまつわる生まれ育ちの議論を多くの人ができないのは、生まれと育ちの実際の割合が不明で、somewhere in betweenという不確かな中を手探りの中で歩んでいくことの知的負荷があまりにも高すぎるからではないかなと思いました。例えば、本書の中では、男性は「物」、女性は「人」に注意を払う、という先天的な差について言及がありますが、これは保育士や看護師といったケアワークを担う人材における男女比率に結び付いてきます。現在の日本では、保育士でも看護師でも男性の比率は10%を割り込んでいます。「物・人」に関しても男女間で分布がかなりの重なっているのに、日本では社会文化・政策的な理由で、このような極端な値になってしまっており、是正が必要だ、というのが生まれと育ちの議論です。しかし、では保育士・看護師における男性比率を一体何パーセントに引き上げるのが望ましいのか?となると、経済環境的にX%程度というのは言えても、社会文化・政策的に現状はこの程度歪んでいるのでX%というのは言えません(遺伝子研究の進展で、将来言えるようになる可能性はあると思いますが)。このように、「明らかに歪んでいる」というところに頼らざるを得ないのが生まれと育ちの議論の難しさだろうな、と私は思いました。

リベラルも保守もどっちもダメ(8章と9章)

何もジェンダーの話に限った事ではありませんが、リベラルも保守も、この弱者男性問題に関して、どちらも現状認識が間違っているし、従って考案される解決策も何の役にも立たない、という状況に陥っています。

リベラル側の問題点としては、①生まれつきの男女差を病的なものと見做してしまう(例えば、有害な男性性)、②ジェンダー以外の問題では、何か問題が起こると社会構造を批判するのに、ことジェンダーになると個人批判に回ってしまう(例えば、黒人同士の殺人事件が多いことに関しては、黒人を取り巻く社会経済的な環境を問題視するのに、殺人犯に男性が多いことに関しては、男性性が悪い、となる)、③平均における先天的な違い、という科学を無視する、④ジェンダー問題を女子からの一方通行でしか考えられない、という4点が記述されています。

保守側の問題点としては、①男性の苦境を火に油を注ぐ形で政治的主張のために搾取している、②先天的な違いの分布は結構重なっている、という科学を無視する、③未来を全く見ていない、という3点が記述されています。

私が興味深いなと思ったのは、リベラルも保守も、どちらも過去ばかりを見て、現在や未来を見ていない点ですかね。ただし、リベラルは過去にあった男女間格差だけを見て現状が見えていない、保守は二度と戻れない過去に解決策を見出す、という意味での違いはありますが。

弱者男性救済案(11章と12章)

STEMからHEALへ

労働市場における弱者男性救済案として、HEALへの男性のプッシュが議論されています。HEALとは要するに対人ケアワークで、教師や保育士、看護師、ソーシャルワーカーなどが想定されています。このHEAL職は現在女性が大半を占めていますが、賃金も悪くないものがあるし、何もよりも雇用が増加しているので、もっと男性がHEAL職に流れるように支援をしよう、というものです。さらに言えば、男性にHEALされる方が好ましい場合もある、というのは中学生の時に頭の血管が詰まって入院した際に男性の看護士さんがついてくれた私にはよく実感できる話でした。

確かにHEALの対極にあると言ってよいSTEM系 (Science, Technology, Engineering, and Math)の専攻・職業に女性を増やすことにある程度成功してきているので、その逆をHEAL系・男子でやれば良いというシンプルな発想です。

ただこれ、男子のHEALは女子のSTEM実現よりも格段に難しいだろうなと私は思いました。その理由の一つはスティグマの結びつき方がよりエグイからです。別に女子のSTEM系進出は、犯罪的なスティグマと結びついていません。しかし、男子のHEAL系進出は、本の中でほんの少しだけ言及がありますが、犯罪的なスティグマとの結びつきがあります。例えば、男性が保育士になると小児性愛が疑われる・介護職で相手の体に触れるのは…、といった具合です。本の中では、教育段階での支援が主な方策として論じられていますが、この犯罪的なスティグマとの結びつきという、女子のSTEMには存在しないものがあるので、社会のステレオタイプへのより積極的なアプローチが必要となるはずです。しかし、そこへの言及が薄いのは、そもそもこれ無理なんじゃね?という感じがしました。

そしてもう一つの理由は、HEAL系へ男子を誘導するための教育予算がまず取れない点です。米国の教育予算は過去よりも増加していますが、これは主に障害児やEnglish Learnerのための予算増に起因していて、一般的な生徒に対する一人当たり教育予算はあまり増えていません。つまり、HEAL系誘導のための教育政策は、①そもそもの教育予算額を拡大させてそこから、という昨今の政治状況的に難しい選択肢を取るか、②他の教育予算を削って持ってくる、という教育分野内での血で血を洗う争いを勝ち抜くか、を通じて実現されるものになります。多分、どちらも難しいです。

男性が父親として活躍できる社会へ

男性が家庭で居場所を無くした問題に対して、如何に男性が育児に関わることが子供達にとって有益なのかを既存のエビデンスを基に論じた後に、男性の育児参加を可能とするために、①男性の育休、②チャイルドサポート制度の改善、③男性の育児参加に優しい会社の支援、の3つの政策が議論されています。

なるほど確かにこれらの政策が実施されれば、男性の積極的な育児参加は促進されそうです。ただ、男性が家庭での居場所を失っている問題は、絶望死が独身男性に集中していることを考えれば、父親としての男性よりも夫としての男性の方にイシューがあると思うのですが、そこを完全にスルーしたのは、この本の最大の欠点に映りました。これ多分、筆者の息子持ち既婚者という属性が影響してしまっているんだろうなと私は思いました。

本の中で議論された教育政策の妥当性

前提ー落ちこぼれ男子(1章と6章)

アメリカの「落ちこぼれ男子問題」は日本でも火を噴くか?、の中で紹介したように、米国では男子大学生の人数が女子学生より40%程度も少なく、留年・退学も多いし、そもそも成績も良くないという、落ちこぼれ男子問題が深刻化しています。その中で、これは私も知らなかったのですが、有効な教育介入を行った時に、その効果量を男女でdisaggregateしてみると、男子への効果量がほぼゼロで、女子への効果によって全体で見ても有効になっていたというケースが散見され、男子には教育介入が効きづらいという特徴があるようです。

解決策①男子の小学校入学を一年遅らせる件について

落ちこぼれ男子を救うための教育政策としてまず議論されていたのが、男子の小学校入学を一年遅らせることです(RedShirtingといいます)。これは、筆者の息子の経験と、相対年齢効果に関する研究から来ていますが、相対年齢効果に関する研究をジェンダーに結び付けた発想が面白いし、説得力も高い議論でした。

相対年齢効果、と言われると難しく感じるかもしれませんが、簡単に言えば早生まれは不利だという話です。3月生まれは4月生まれより、小学校入学時点で約20%程度生きている時間が短く、どうしてもその分の成長の遅れから、学力・身体能力的に4月生まれの子より劣ってしまいます。本来、この成長の遅れは、年齢ととともに解消されていくはずなのですが(例えば、5歳になりたてとほぼ6歳を比較すると、その差は約20%になりますが、18歳になりたてとほぼ19歳を比較すると、その差は約5%に縮まっている、といった感じです)、相対年齢効果研究の肝は、学力や賃金に現れるその差が解消されないという点にあります。

RedShirting最大の欠点は、1年間小学校入学を遅らせることによって、生涯を通じた労働期間が1年間短くなることです。人が1年間働いた時に稼げる金額を考えると、これは小さなコストではありません。しかし、米国の場合、留年・退学が多いことから、RedShirtingによってこれらを減らすことが出来れば、元々留年で労働期間が一年間短くなっていたものと、ある程度相殺されるので、実は大したコストにならないのでは?というこの本の議論は説得力があると感じました。ただ、日本のような、元々留年も退学も少ない国では、まともにコストを被ることになるので、米国のようにはなりませんが。

男子だけ小学校入学を一年遅らせるなんて政治的に到底できるとは思えませんが、実現できれば確かに将来の弱者男性を減らすことはできそうです。

解決策②普通科だけでなく、職業科にもっと力を入れる

日本でも工業高校に圧倒的に男子高生が多いように、男子は女子よりも工業科を好みます。そして、米国では男子の大学生は女子の大学生よりも40%も少ない状況です。これらの男子の特性を考慮して、もっと高校や短大での工業科にお金をかけようという提案です。

これは、解決策①よりは実現可能性がありそうですが、逆に問題を解決する力は殆ど無いと映りました。上で筆者はHEAL系の職業に男子生徒を誘導する必要があると議論していますが、職業科に力を入れることと噛み合っていないと思います。さらに、そもそも、教員やソーシャルワーカーといったHEAL系の仕事は、学部どころか修士号を持っていることが米国では求められます。これとも、高校や短大での職業科の充実は噛み合っていません。

確かに解決策②は男子生徒のattainmentやachievementを改善するポテンシャルは秘めていますが、それはスキル偏重型の経済成長とシンプルにかみ合っていない形のattainmentやachievementである、といった感じです。

解決策③男性の教員を増やす

教員の属性と生徒の属性がマッチしている時、生徒の学力が向上しやすい、というのは、人種問題だけでなく、女子教育においても当てはまります(詳しくは→女性教員の存在が女子学生の能力を引き出す 女性教員比率が先進国で最も低い日本日本の女子教育の大きな足かせ 日本の女性教員比率は先進国で最も低い)。

言われてみれば当然ですが、私が気付いていなかった点として、同様のことは落ちこぼれ男子にも当てはまるようです。しかし、アメリカの小学校教員の9割は女性で、特に落ちこぼれ男子の言語能力の育成に好ましい環境ではないようです。これは先のHEAL系の男性を増やそうとも整合性が取れている政策だし、単に女性教員が男性に置き換わるだけなので追加で大きなコストが必要になる政策でもなく、行けるんじゃないかなと思います。

感想

解決策①は、まず実現しないと思いますが、面白い発想だと思いました。解決策③は、実現可能性もあるし、落ちこぼれ男子問題に効果がある良い施策だと思います。

ただ、筆者が掲げる解決策の根本的な問題が解決策②に現れていると思います。経済構造が大きく変化したわけで、教育システムもそれに対応した変化が求められています。解決策①と③は落ちこぼれ男子問題には対応するものの、この経済構造の変化に対応したものではなく、解決策②がこの変化に対応した施策となります。筆者は、高卒と大卒の賃金格差の拡大も止まったっぽいことからも解決策②を支持しますが、これは一点大きな見過ごしをしています。それは、米国経済での高卒と大卒の賃金格差拡大の停止は、大卒と院卒の賃金格差拡大を伴ったものであるという点です。

じゃあお前、全員院卒にさせるのかよ?と言われると、流石にそれは無理というのは分かりますが、私も正直、この現状を前にしてどういう教育政策を打つべきなのかは分かりません。労働需要が低下している中程度のスキル層に国民を放置しておいてよい訳はないのですが、かといって労働需要が増加しているからと低賃金の低程度のスキル層に国民を押しとどめるのも違うでしょうし(これ、移民に担わせる、が正解なんですかね?)、国民の多くを高スキル層に導くのも難しい…。そうなると、11章で筆者が議論したHEAL系教育に男性を誘導するぐらいしか正解が無さそうで、そこを中心に据えた教育政策を構築していくべきなんでしょうね。

看護師や保育士の半分が男性になる社会が弱者男性問題の解決のために目指す社会、というのはデータを見せられるとそうなのかなとも思いますが、何かを見落としている違和感を感じて、私はなぜそう感じてしまうんだろう?

おわりに

率直な感想を述べると、1章から9章までの現状分析が非常に優れた良書です。ただ、10章から12章で議論された解決策が、スキル偏重型の経済成長に晒され、さらにそれに伴う社会文化的な変化にもついていけていないし、教育システムもそれに対応できていない、という弱者男性の3大原因を真正面から捉えに行っていないのが気になりました。またそもそも、議論されている解決策も、feasibilityを無視したものが多く、そんなものに頼らないといけないのかと厳しい印象を持ちました。これは恐らく、現在の我々が有する知識の中には弱者男性問題の解決策が存在していない、ということに起因しているんだろうなと思いました。

何か劇的なソーシャルイノベーションが起これば話は別ですが、多分、弱者男性が救われる日は来ないんだと思います。紹介した本を読んだうえで、いやいやそんなことは無い、ないしはちょっと議論してみたいという方がいましたら、私もぜひ話を伺ってみたいなと思うので、新大久保辺りのネパール料理屋で、ネパールアイスを片手にダルバートとモモでもつまみながら、お話ししましょう!連絡お待ちしてます!

あ、いい解決策を思いついた!沢山ベンチプレスをやって、食事に気を付けて、朝倉未来さんの「強者の流儀」でも読めば、弱者男性も強者男性に変身するんじゃないかな。以前書いたベンチプレスの記事(ドラミングというイノベーション)と、食事の記事(元気に国際教育協力を頑張るためのラクに痩せられる食事術)のリンク置いときますね。

…違う、そうじゃない…。。。

サルタック・シクシャは、ネパールの不利な環境にある子供達にエビデンスに基づいた良質な教育を届けるために活動していて、現在は学校閉鎖中の子供達の学びを止めないよう支援を行っています。100円のサポートで1冊の本を子供達に届ける事ができます。どうぞよろしくお願いします。