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【人はなぜ金を稼ぐのか】

稼ぐとは?

人は大体金が好き。
嫌いな人はほぼいないでしょう。

けど、金をいっぱい持つことがゴールなのか?
それがゴールだと言う人もいるかもしれないが自分は違う。

money rich は time rich になれると考えているからだ。

時間があれば自分の知らない世界を見に行くことができるし、人生において最も大切にしたいもの、したい事がクリアに見えて来る。

欲しいものを手に入れ、食べたいものを食べたその先にあるのは?

幸せな家庭?
満ち足りた生活?
親孝行?
慈善活動?

人は何のために働き、稼ぐのか?

ちょっと真面目に考えてみた。


ビジネスは魚釣りと一緒

俺はただ、ビジネスというゲームが好きだ。
そして魚釣りも大好きだ。

魚は釣っても楽しい、食べても美味しい、自然の恵みだ。

しかし、大きな魚を得ようとするとそれなりに苦労もあるもので、大荒れの海や時合い(タイミング)が良くないと何回釣りに出ても釣れなかったりする。

この「釣れない」という事も含めて釣りなのだが。。

ビジネスも小銭を得るのは簡単だが、大金を得ようとするとそう簡単にはいかない。
多くの人々に喜んでもらえるプロダクトやサービスを開発し、ローンチし、セールスし、フィードバックを貰い、より良いものを、、、となる。

自分たちの企業の努力がそのまま対価に反映される訳ではないので、釣りに似ていると言えよう。

どんだけガソリン代をかけて、船代をかけて、釣具代をかけて海に糸を垂らしても、大物のブリからしたら関係ないのだ。

大事なことはどちらも結果。

極論かも知れないが、私の考えは「過程はどうでもよい」のである。

魚を釣るか否か。

大きく稼げるか否か。

結果が全ての厳しくも楽しい世界。
その中で勝ち上がりたいと今は思っている。

イケス=企業 養殖魚=サラリーマン


雇われの身では、頂点は永遠に見れない。

雇われは囚われだ。
稚魚から大事に育てられ、イケスに入ったばかりイキのよかった若い魚たちは、囚われた事実に若いうちは歯向かい「ここで満足してはいけない」「必ずのし上がる」と熱く強い思いも持つも、時間の経過とともに同じイケスの仲間たちに学び、知らぬ内思考停止し、その小さいイケスに安住し、自分の世界の中で戦い、死んでいく。

そんなイケスから自分の力で飛び出て、大海に泳ぎ出したものだけが初めて戦う機会を得る。

あなたはイケスに入っていないか?
待っていれば誰かからが餌をもらっていないか?

イケスは安全だが、アナタの想像し得ない人生は未来永劫作られない。
そんな養殖魚に限って、「宝くじが当たったら〜」なんて言うのだ。

思考停止状態の魚ほど操りやすいものはないから、イケスのオーナーは上手に飼う。

それはまるで夏祭りのテキ屋で、子供が捕まえてきた小さな金魚を水槽に入れ、餌やりを行うが如く。

君は金魚か?餌やりの人間か?



スイミーになれ!

そんな水槽やイケスから飛び出した魚たちは、裸一貫で大海に飛び込むことになるのだ。

しかし、大海は危険だ。

どんな恐ろしい生物が住んでいるか分からないし、見たことのない自然現象に立ち向かわなければならない時もある。

それでも、イケスの中には存在し得なかったご馳走や、景色や、経験に触れ合えれる。

その悦びは、自ら危険を冒して飛び出した「井の中の蛙」ならぬ「イケスの中の魚」にしか感じ得ないよろこびだ。

そのために、スイミーよろしく知恵を振り絞り、脳みそはちきれるまで生き抜く術、戦う術を考え抜いたものだけが、大海での安住を得るのだ。

他人に与えられるものでは決してない

自ら勝ち取る他ないのだ。


戦いきって、もがいて、あがいて死にたい


若いうちからイケスに甘えてもこれからの世の中はエサを与え続けてくれないと俺は思う。

どうせ大物に喰われて死ぬなら、精一杯泳ぎきって戦った上で俺は喰われたい。

だから、俺は21でイケスに入らない人生を選んだ。

この大海で稼ぎ、その財産を持って新たな旅に向かい

時間を有意義に使いたい。

人生は有限なのだから。

 

人は必ず死ぬ時が来るんだと、頭では理解しているつもりだが、他人の死を持って少し臨場感が出る。

君は今日、何をする?

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