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借金1000万円から5年でセミFIREした33歳の自己紹介⑤負の連鎖の始まり

前回までの流れを要約すると
裕福ではない幼少期
奨学金720万円を背負い大学卒業
葬儀会社で感じた限界と将来不安
外資系生保の裏側を知り絶望
独立系FP会社の設立

とやっとここから!という流れでしたが、ここから私の転落が始まります。

そもそも、独立系のFPを設立したのにも三役あるうちの1つを僕が担当しただけでした。

オーナー→収益不動産社長
代表取締役→私のFPの師匠
専務→私

私は会社の資本金1円も出しておらず、オーナーからみた時の保険?のような存在だったと思います。

私の師匠は知識、経験も本物であり、営業もできる方でした。
しかし、人を動かすくらいなら自分でやる
というタイプで名選手=名監督ではないという事を肌で感じました。

もしかしたらオーナーとの相性も良くなく、師匠も本領発揮できなかったのかなと思います。

要はすでに成功されているオーナーと実力・実績のお持ちの代表に縁あって拾ってもらえたからFP事務所の設立の役員として参画できたと言うわけです。

しかし、ここでも結局、オーナーの収益不動産をメインで紹介しないといけない雰囲気になったり、代表のお客様に対するスタンスとの差が生じてうまくいかなくなってきました。

1年経過したあたりで、代表より知り合いの資産運用のアドバイスで成功している会社があるからそこに行ってみれば?と言われました。

そこはFXや暗号通貨で実績のあるところで富裕層も多い
また、出た利益の一部で子供の教育事業を応援していると

極め付けが私の知り合いの知り合いの親族の方が経営されていると知り、安心してそちらへ移ることになりました。

しかし、ここまで振り返ってみると志はあったものの「自分で稼ぐ」「自立する」という勇気が持てずなんやかんやで役員報酬があるや事務を担う分お金がもらえる

また稼いでいる人のそばにいれば成功できるという

どこか依存の弱さがあったなの反省します。

結局、割愛しますがこの次の方も事業で失敗をし1年ほどお世話になり、去ることになります。

ここまでで私が関わった仕事は
生命保険
収益不動産
証券会社のIFA
暗号通貨
FX
スモール企業の事業投資
などなど多岐に及びましたが

心からお客様ファーストでできる商材もなく
一瞬の利益は望めるが結局失敗する内容のものばかりでした。
結果、奨学金やカードローンなど含む借金が1000万円ほどになりました。

これが2018年の8月あたりでした。

正直、この時期は本当にもう無理と思い、命を断とうとしたことも多かったです。後悔、情けなさ、申し訳なさなどでたくさん泣いていましたし、自信も失いかけていました。

成功するためにと北新地でお付き合いし、帰るタクシー代がないので1時間近く歩いて帰ることなんて余裕でありましたし、24歳から28歳まで休日なんて数日しかなかった気がします。24時に帰るのが珍しい方で営業のために2時まで会食し、8時に起きて10時から仕事というような日々でした。
そんだけ頑張れたのも自信があったり使命感があったり成功への欲求が高かった方です。しかし、根本的に自信がなく要領や策に走ったのが失敗に原因だなと思います。

次回にここから逆転が始まったについて書かせていただきます。



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