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"す"の話:好き

好きと聞いて思いつくものはたくさんありますよね。

● 好きな人
● 好きなもの
● 好きな時間
● 好きな場所 etc....

人間誰しもに好き嫌いがあります。
『好き嫌い』ではなく、正確には『合う合わない』という表現が正しいのかもしれません。

『 好き 』は僕自身にとっては永遠のテーマです。
好きって言われることは嬉しいし、好きなものに囲まれた空間は自然と笑顔になります。

年月によって好きなものは移り変わっています。
その中で変わらず好きなものもありますよね。
反対に、好きだったものが嫌いになることもあれば、嫌いだったものが好きになることもあります。

トマトが大嫌いな僕はなんと、未だに嫌いなままです...笑(余談が過ぎました)

今の僕は、
自分自身の好きに囲まれて日常を過ごしていけることが幸せです。
そのことに気がつけたことは最近で、身近な好きをふと見つけられてきたことが大きな理由です。

● 人と話せること
● 一人の時間で黙々と集中して作業をすること(集中力は短いですが...)
● お気に入りの場所でアーモンドミルクラテが飲めること(大好きなんです)

これまでも何気なくありふれていた時間。
ですが、何気ない時間のように見えて実は様々な思考や感情が動いている時間。
その瞬間が好きなんだと気が付きました。

自分と向き合おうと決めた昨年11月から、1日の時間をこれまでよりも大切にするようになったからこそわかったことです。
おそらく『好きなものはこれだ!』と断定して意図して見つけようとしていたら、これだけの好き発見はなかったと思います。

『もしかしたら好きなのかも』といった『maybe的感覚』で捉えていたことがプラスに働いたのかもしれません。

好きに囲まれる中で改めて感じたことは『好き= 楽』ではないということ。
『好きなことをやっている人は楽でいいよね』といった言葉を聞いたときのことを思い出しました。
もちろん、十人十色の考えがあるのでこの思考が間違いだとは思いません。

あくまでも、僕自身の考えですが、好きなことをとことん楽しんでいる人は
『苦しみをすべてを受け入れる覚悟の中で好きを貫いている』
ことを徹底していると感じています。

苦しみと向き合うことは誰もが嫌なことです。
ただ、好きにこだわりたい以上は避けては通れない大きな門だと思います。
受け入れられる覚悟を持って初めて『好き』にすることができるのかもしれません。

僕自身が持っている『好き』にはまだ苦しみからどうしても逃れようとしている場面があります。
苦しみが現れれば、好きではなく苦しいこととだけ捉えて逃げるモノゴトが過去にありました。

本来は好きなのに「苦しみがあることは好きなことではない」と決めつけていたから。
でも今は少し捉え方が変わりました。
小さなステップですが、どうすれば苦しみを受け入れるか考えることができています。

ステップの一つが『細分化』です。
『細分化』することで、好きをもっと楽しめるようになる。
『好き』が永遠のテーマになるからこそ面白みがありそうです。

今よりもこんなこと・ものが好きなんですと胸を張って言い切れる自分を常に追いかけます。

『好き』の完成形はまだ見えていませんし、ないのかもしれませんが
自分自身の『好き』に向き合います。

小学生のころ、何も考えずに無邪気に笑っていた時間。 そんな時間を成長した今こそ楽しみたい。 『楽しく笑って面白く』人生を歩むことが僕の目標です。 素敵な空間素敵な時間を共に過ごしたい。 ありのままの素直な自分を表現して、歩きます。