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自分の弱さを受け入れるMTG的自責思考論

何かを学び、受け入れ、成長するために欠かすことができないものがある。

自分が弱く、間違いを起こす存在であるということを知ることだ。

「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」

負けた時こそ、間違を起こした時こそ成長の機会であると知る必要がある。

「運が悪かった」
「環境が悪い」
「相手のメタがキツかった」

こう言って、負けた時の苦しい感情を霧散させるのは簡単だ。

けれど問いたい。その発言から次に向かって得られる経験はあるのか。

自分以外の何かに物事の責任を押し付けることを「他責思考」という。

他責思考は、自身の即応的なメンタルヘルスには有効だ。

他人の所為にすれば自分の苦しさは一時的に和らぐし、それが人であれば責任を押し付けた他者に対して精神的な優位に立つこともできる。さぞ気持ち良かろう。

しかし、責任を他に押し付けたところで、自分の行動を変化させられなければまた同じことが起こる可能性が高い。同じ事象が発生し、フラストレーションを抱え、何度も何度も他責的な方法で発散することになる。

それならばいっそ「自責思考」になるべきだ。他者ではなく、自身の行動や考え方を変化させるべきだ。

「馬を水辺に連れていけても水を飲ますことはできない」というイギリスの諺があるが、他者の行動や自身の力の及ばない状況をコントロールするのは難しい。自分を変える方がいくらか実現性は高い。

「プレイに選択肢があったがその可能性を検証しきれなかった」
「別の選択肢を採った場合により良い状態になる可能性があった」
「デッキ選択や構築の際にメタゲームを読み間違っていた」

こういった思考は、自身の間違いを認め、弱さを受け入れ、その能力を疑うことである。

もちろん、口だけで「おれは!!!!弱いっ!!!!」と言っても意味がない。発言としては自責的ではあるが、それでは自責思考には至っていない。

MTGだけでなく、仕事でも「やったことない」「知らない」「できない」など理由をつけて行動しない人は多い。今までやったことなくて、今は知らないし、今の自分にはできないとしても、これから努力すれば実現できる可能性があるとしても行動に移すことは容易ではない。

そして、できるようになるために行動しないならば、自分ができないことを知っていても意味はない。

正確に自身の能力を捉え、受け入れ、分析し、実現に何が必要かを考える。自身の行動やその間違いと相対しなければならない。

これは自己(の精神)への攻撃であり、ストレスとなる。考えることが多いために脳の処理能力にも負荷がかかるし、度が過ぎればメンタルヘルスを損なう可能性もあるだろう。

だからこそ成長も大きくなるのだ。

しっかりと考えて出した答えは、ただ教えられて受け取っただけの正解よりも自分の中に深く根を張る。答えが自身に根付いてさえいれば、忘れにくいし、その答えから発展させて思考することもできる。

弱いことも間違うことも悪いことではない。だが、弱さや間違いから目を逸らし、成長を諦め、今のままであることを消極的に選択するのは限りなく黒に近い。

20代後半の頃に「何歳から“おばさん”だと思う?」と聞かれたことがある。

その質問には「(年齢ではなく)挑戦することを諦めた時から」と答えた。

人生が長くなればなるほど、経験が積み重なることで“今”の価値は相対的に小さくなる。そして、積み重なった“過去”と経験に行動が支配されるようになる。

いままでに得た知識や経験から抜け出せず、自身の行動を振り返ることなく、過去の経験に照らし合わせて短絡的に判断してしまう。その時、新しい判断や可能性を模索することはできず、自責思考は発生しない。

「最近の若者は・・・」なんて言葉もそういった過去に縛られ現在を認識できていない人の他責思考から生まれる発言であり、これは2,000年以上前から変わらない人類の問題でもある。

MTGプレイヤー(特にエターナル)も高齢化が叫ばれて久しい。

ただ若者に苦言を呈するだけの年寄りにならないためにも、自分自身の成長のためにも、自責思考することを積極的に選択していかなければならない。

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