考えることについて考える。
改めて考えるということについて、考えてみたい。たとえば、noteをしている人なら記事の内容を考えないひとはいないだろうし、noteをしてなくても日々生きていれば何も考えてないという人はいない。今日の料理何を作るかでもいいだろうし、好きな人にどうやって距離を縮めていくかを考えるのも当然考えるだと思う。
ひとそれぞれ考える内容は違うだろうけど、とりあえずは何も考えずに生きているひとはいないと考えていいとおもう。それゆえ、考えることについて改めて考えてみたい。
考えるという行為は個人のあたまの中でしか行われてないのに考えるのが上手なひと/下手なひとというのも存在するような気がする。たとえば上手い人でパッと思いつくのは将棋の棋士だったり、ミステリーの作家なんかは物凄く考えるのに長けている人たちなんだろうというのは容易におもいつく。
思考の巧拙はおそらく思考した量と情報をインプットした量が圧倒的に他者より多いひとなのだろうけど、そもそも考える時ってどんな時にどうやって考えることを言うのだろうかを自分の足りない頭で自分なりに考えてみたのですが、うまく言葉に出来なかった時にこんな本をみつけました。
上の本は哲学者の野矢茂樹さんが、考えることについてエッセイ調にわかりやすくまとめた本です。興味があるひとは覗いてみてください。さて、野矢さんは哲学者なのであたりまえですが、考えることについてはプロです。
持論ですが、なんでもプロがやってることを真似すればとりあえずは人並み以上にはなれると自分は安直な人間なので信じて疑わないので、この本を読んでみて色々考えることについて自分も考えたわけですが、考えるとは何をすることか?を自分なりに答えるとすると「わからないことに出会い、それがなぜわからないのかをとりあえずは捻り出すこと」が考えることです。
ここからは自分のはなしを例にしながら、考えるについて実際に文字に起こして追ってみようと思います。はじめに唐突ですが自分は職を転々としており、基本的に仕事が続かないので身内に「あなたは何がしたいの?」とよく言われます。これの返答に自分は本当に窮します。なぜならば、出来ることなら仕事はしたくないですし、自分だって何がしたいかなんてわからないですもの。
物凄くこのやり取りが自分は嫌いなのですが、このやり取りのお陰で考えるための入り口に立てました。『自分はあなたは「何がしたいの?」という質問』には上手く答えられません。つまり、この問いはわからないということです。
答えられない=わからないは若干違いますが、一応は身内なので脅されてるから答えれないわけではなく、若干不都合な質問なので答えられない側面もありますが自分は本当に何がしたいのか?よくわかりません。しかし、出来ることなら仕事はしたくないということだけはわかります。
当然ですが、ここでの「あなたはなにがしたいの?」という問いは自分にあなたは何で生活していくつもり?という意図でぼくに質問してきてます。俺だって知らないんですよ!と声高に言いたいですが、それでは収まりがつかないですし、ここでは考えることがどうゆうことなのかを自分なりに発表する場なのでなんとか捻りだしてみましょう。
その前に一回ここまでの考えることについて考えたことを整理します。
シンプルにまとめると、上のようになります。再度、どうしたら双方納得する考えを提示できるか考えてみます。「あなたは何がしたいの?」にどう答えれば双方納得するのでしょうか。当たり前ですが、「仕事なんてしたくねーわ!」では収まりがつきません。
むしろ状況は悪化します。しかしながら、嘘もつけません。嘘をつくと一緒に住んでる以上直ぐバレて家での肩身は非常に狭くなります。ぼくも勿論生きていく以上仕事はしなければいけないのは実感してますが、いまのところ考えなくてもわかってるのは「仕事と名」がつくものは極力なにもしたくありません。
不思議なもので、書いているとこんな短い文章でも何を考えてるかがわかり、何を考えなければいけなく、どう答えるべきかすこしだけみえてきました。自分がいま考えなければいけないことをまとめます。
大体こんなところが考えるポイントとわかりました。このままだと、ダラダラと不毛な自己問答がつづきそうなので、考えることについて、考えたことをまとめます。
こんなところだと思います。書いてて気づきましたが、書くことは考えることかもですね。逆もまた然りかもですが。また色々更新していければと思います。雑ですが終わります。ここまでお付き合いしてくれた方ありがとうございました!
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