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発言の重要性を考える(自作小論-解答編)

「“”手に“”論文を書く」人、“勝小”です。
(当noteの前提・諸注意等については、こちらの投稿をご参照ください。)

問題編:問題の紹介+周辺知識の確認(情報の整理)
・解答編:実際に解答文を作成する(答案用紙のようなもの)
・補講編:問題から派生した考察、蛇足など(試験後の雑談)

2回にわたり「思考途中」編を挟みましたが…ようやく「解答編」です。

【問題】

「発言した者」と「発言した内容」どちらが重要か
という議論について、あなたの考えを述べなさい。
(勝小自作)

勝小の解答

 発言における「発言した者」及び「発言した内容」は重要な構成要素である。発言した内容がその発言者の実体験に基づく場合や、発言した内容に対して発言者が深い知見を有している場合は、そうでない場合と比較して発言の信憑性や重要性が相対的に高くなると考えられる。これを発言の”重さ”と表現することにする。また、発言者の社会的地位やSNS上のフォロワーの多さ等により、当該発言者が発する情報が世間に広まる影響度が異なることが考えられる。これを発言の”拡散力”と表現することにする。

 当該表現を前提とすると、「”重さ”が重く”拡散力”が強い情報」には、公的機関の正式発表や著名人自身に関連する情報の自己発信などが該当し、「”重さ”が軽く”拡散力”が弱い」情報には狭い身内間での雑談等が該当すると考えられる。また「”重さ”が重いが”拡散力”が弱い情報」は、当該情報を欲している人にとって情報入手難易度が相対的に上昇しているという点で難点を有していると言えるが、”拡散力”が弱いため当該情報が与える影響は限定的と考えられる。一方で「”重さ”が軽いが”拡散力”が強い情報」は、拡散された情報が誤りであったり受信者に誤解を与えたりする懸念があるという問題を含んでいる。そのため”拡散力”に偏った発言に対しては、その悪い方向への影響力を危惧するような反応が多くみられることがある。このような状況が「発言した者が誰であるか」が注目される背景の一つと考えられる。このような懸念を払拭する手段の一つに「拡散力の高い人に対して、発信する情報精度の確保や影響度の考慮を要請する」ことが考えられる。ただし、当該要請により不必要に誤った情報等の拡散が抑制される結果が得られたとしても、その効果は拡散力の弱い人の自由な発言権を一部制約するという犠牲の下で成り立つ状況であるため、理想的な状態とは言い難い。さらに、近年の情報拡散の速度及び範囲が著しく増大している環境下においては、先述の「”重さ”が軽く”拡散力”が弱い情報」も、発言者の意図した範囲を超えて拡散されることがある。従って、自身の”拡散力”が強くないことは、必ずしも発言に対する責任が低いことが許容されることにはつながらず、すべての発言者が一定程度の責任を自身の発言に対して負っていると考えるべきである。すなわち、情報発信者側の観点で見ると、”拡散力”の強弱に関わらずすべての発言者がその発言の”重さ”に対して一定の責任を負うことが望ましいと言える。

 以上のことを情報受信者側の観点で見ると「発言者が誰であるか」という議論は、発言内容と発言者の背景にある知識・経験等がどの程度整合しているかという点で判断されることとなり、「発言した者が誰であるか」も「発言した内容が何であるか」も不可分に重要であると考えることができる。

(1165字)

参考図

14.誰何01

14.誰何02

思考途中編②より)

解答あとがき

1000字目標でしたが少し超えてしまいました。
・発言を"重さ"と"拡散力"で分解して考えてみること
・「誰が言う」も「何を言う」も重要であること
を主眼で書いてみましたが、あまり上手な方針ではなかったかもしれません。(まとめるのにそこそこ時間がかかってしまうくらい、散らかってしまったということもあります。)

考えられる原因として、
"拡散力"は「誰が」に属するものである一方で、"重さ"は「誰が」と「何を」に共通する属するものであること。が、挙げられます。
理想的は「誰が」に属するものと「何を」に属するもの2つに分解して議論する事だったのだと思います。
上手な分け方等があれば、お伺いしたいところです。

次回「補講編」に続く…か、「思考途中」編を2回やったのでスキップするか、検討中です。

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