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正論を考える(自作小論-解答編)

「“”手に“”論文を書く」人、“勝小”です。
(当noteの前提・諸注意等については、こちらの投稿をご参照ください。)

問題編:問題の紹介+周辺知識の確認(情報の整理)
・解答編:実際に解答文を作成する(答案用紙のようなもの)
・補講編:問題から派生した考察、蛇足など(試験後の雑談)

自作小論文の2021年1月の「解答編」です。

【問題】

「正論」について、あなたの考えを述べなさい。
(勝小自作)

勝小の解答

 正論は、問題に対する最適解ではあるが理想論である場合が多い印象がある。そして、ある問題に直面した際に正論のみを声高に主張する人物は、当該問題の外部にいる、または直接的に解決の実行に携わらない立場の者であると思われる。なぜなら、実現に障害がある正論を主張し続けることは、当該障害の対応を問題解決実施者に対して丸投げすることと同義であり、当該実施者から実現可能な妥協案を奪う行為であるとも言えるからである。その結果、正論は忌避されることがあると考えられる。しかしながら、問題解決の検討の場において、正論を完全に排除する必要はないとも考える。理想論としての正論を示すことは、その実現の障害となり得る事象を抽出したり、当該正論に近づけるための実現可能な妥協案を浮かび上がらせたりする効果が期待されると言えるからである。

 ただし、当該効果が期待される正論の”質”には留意が必要である。正論にはそれぞれの立場や思想等に応じて複数存在するものなのか、あるいは唯一の存在かという論点がある。前者の背景には、「問題に対する最適解はその者の立場・環境・思想等により最優先とする事項が異なり、その解である正論は当然に異なるはずである」という考え方があると思われる。一方で後者の背景には、「立場・環境・思想等により優先される事項をすべて満足するような解が正論であるならば、それは一つに収斂するはずである」という考え方があると思われる。すなわち、問題となる正論について実現可能性という部分以外に不完全な要素が含まれているのであれば、それは正論とは言えず、「ある属性を有する者にとって都合の良い選択肢」という解釈を否定できないこととなる。従って、唯一あるいはそれに近い水準の正論が見いだせていない限りは、その者が主張する正論の”質”は不十分であり、当該主張を前提とした検討には注意が必要であると言える。

 質の高い正論を見出すこと、すなわち、あらゆる立場の者を相当程度満足する解決策を考えることは、現実問題として非常に困難であると言える。従って、自身が正論だと思っている考え方が、他者から見た時に自身に都合の良い妥協案でしかない可能性は常に意識する必要があり、正論と信じて主張することには慎重になるべきだと言える。

(940字)

解答あとがき

正論について考えたことは2つです。
・正論は必要か不要か
・正論は複数存在するか唯一の存在か

この2点についてバラバラに考えたものを、多少強引に1つにまとめてみた者が上記解答となります。そのため、多少論理のつながりが甘い部分があるかも知れません。

私なりに「正論とは」を考え、ひとつの解釈としてまとめてみましたが、こちらについては多方面からのご意見を頂戴したい気持ちもあります。
(議論のきっかけになれば良いなと)

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