Cleo Sol 『Mother』
今更ではありますが、昨年リリースされたCleo Solの『Mother』について。今年に入ってからも愛聴しているアルバムです。
Cleo Solは、イギリスのシンガーソングライター。昨年、Little SimzやAdeleといったアーティストのプロデュースで名を馳せたInflo率いるグループ、Saultのシンガーとして知られています。そのInfloがプロデュースを手掛けたのが本作『Mother』です。オーガニックなサウンドを基調としたネオソウル作品となっています。
Cleo SolことCleopatra Zvezdana Nikolicは、ウエストロンドンのラドブローク・グローヴで1990年に生まれました。ギターとフルートのプレイヤーであった母親はセルビア人とスペイン人のハーフ、ベースとピアノのプレイヤーであった父親はジャマイカ人であり、二人の間に生まれた7人兄弟のうちの一人が彼女です。しかし、彼女の家庭環境はあまり芳しいものではなく、子どもたちは、母親の気分の浮き沈みの激しさに悩まされてきました。アルバム1曲目の「Don’t let me fall」の冒頭の「孤独な夜 シェリーからの叫び声がまだ聞こえてくる 「お願いだから殴らないで」 私はシーツの下で子どもだった」という歌詞は、彼女の家庭環境の厳しさを物語っています。
そうした過酷な幼少期を経て、彼女は16歳の時に歌手を志し、10代後半に「Cleo Sol」として活動を始めました(Solは、スペイン語で「太陽」の意味。晴れの国スペインの伝統への敬意を表したものなのだそう)。その後、彼女の参加するグループであるSaultでの活動と並行して製作されたのが本作ということになります。
彼女は、アルバムリリースと同じ年の6月に子供を出産しています。リリースされたのは8月なので、かなり急ピッチで製作が行われたことがわかりますね。このアルバムのタイトルである『Mother』は、出産を経て自分が母親となったという体験をもとにつけられたものですが、この『Mother』というタイトルには、我が子にとっての母親である自分自身だけではなく、自分自身の母親の存在の意味も含まれています。本作において彼女は、我が子の誕生を心から祝福するとともに、母親との苦闘の日々を振り返っています。
1.「Don't let me fall」
アルバムのオープニングナンバー。アルバムの曲の中でも特に自身の母親に対する想いが強く表れている曲ですね。情感溢れる歌唱とメロディーの美しさが際立つ名曲です。
2.「Promises」
「Don't let me fall」からシームレスに続きます。母親から愛されなかった彼女は、自分自身を愛することさえも難しくなってしまいます。Promisesとは、「自分自身を愛する」という私的な約束のことで、彼女はなんとか自分を愛そうと努めています。ミニマルなピアノフレーズのリフが印象的です。
3.「Heart Full of Love」
1曲目、2曲目と彼女の苦悩がひしひしと伝わってくるような曲が続きましたが、この曲は幸福な感情に満ち満ちています。我が子の誕生を心から祝福しているのです。彼女のボーカルと共に響くコーラスは、生命の誕生の神秘を讃えているかのようです。
4.「Build me up」
情感のこもったピアノの演奏と、ゴスペルのように厚みのあるコーラスが印象的な曲。中盤のドラムが加わる瞬間にテンション上がりますね。私が一番好きな曲です。終盤で「Love in the Sunshine, I see」と繰り返し、次曲「Sunshine」へと続きます。
5.「Sunshine」
苦しい日々の中で、何か太陽のように光り輝くもの、心を預けられるようなものはないだろうかと、救いを求めるような歌詞ですね。この曲もそうですが、このアルバムの曲は終盤で転調して独特の余韻を残して終わるようなものが多くて面白いです。
6.「We Need You」
コーラスにのせて鳴り響く愛情に満ちたメッセージは、天から届けられた福音のよう。苦境の中でもがいていた昔の自分がかけて欲しかった言葉を、生まれたばかりの我が子へ送っているような感じでしょうか。
7.「Don't let It go to your head」
「調子に乗らないで」という強烈なタイトルの一曲。気分の浮き沈みの激しい母親を咎めるような歌詞で、ギターのリフとパーカッシブなビートが印象的です。
8.「23」
本作の白眉ともいえる一曲。「私は傷ついたのよ」と自身の心の傷を訴えながら、「23歳みたいな振りをするのはやめて」と母親を批判する強烈な歌詞。そういった苦悩すら包み込んでしまうような優美なアレンジが素晴らしいですね。特にハープの上品なサウンドが展開をドラマチックに彩ってくれています。
9.「Music」
アップテンポな「23」から一転して、穏やかなムードの楽曲です。「We Need You」から続くメッセージソング。この曲も終盤の転調が面白いですね。
10.「One Day」
「Build me up」から続いて8分を超える長尺曲。できるだけ子を支える存在であり続けようするという強い意志を感じる一曲です。
11.「Know that you are loved」
美しいピアノフレーズと共に「愛されていることを忘れないで たとえあなたが自分を愛していなくても」と繰り返される曲。どこかインタールード的な雰囲気があります。
12.「Spirit」
思いやりのある、優しい魂(Spirit)が私のもとへ来てくれるよう、祈りを捧げる曲。その祈りは、自分自身、我が子、自分の母親、そしてこの曲を聴いている人にすら向けられているように聴こえてきます。
本作は、引き算的な美学を反映した、オーガニックなサウンドプロダクションが印象的なアルバムです。一曲一曲が長いのもありやや単調に感じられるようなところもありますが、随所にラテン的なパーカッシブなリズムを取り入れたような楽曲などもあり、聴き手を飽きさせない構成になっているなと思います。特にコーラスワークは素晴らしく、その神聖な響きに思わず心を奪われます。
そして、このアルバムは「母子関係」をテーマとしたコンセプトアルバムでもあります。アメリカの心理学者メアリー・エインワースによれば、子供にとって母親とはいわば「安全基地」のような存在なのだそうです。母親という自己の安全を保障してくれる存在がいるからこそ、子どもは外の世界を自由に探検することができるようになっていく、ということですね。つまり子どもにとっての母親とは、家族以外の他者とのつながりを構築する前に最初に現れる他者ということになります。しかし、その最初の他者たる母親とのつながりを愛情と共に構築することができなければ、自分自身を愛することも、そして他者を愛することも難しくなっていきます。自分の子供を愛することができなくなったとしても不思議ではありません。
このアルバムに収められているのは、母親という最大の他者から愛されていなかった彼女が、自分自身を愛し、我が子という最も身近な他者に豊かな愛情を注ぐことができるようになるまでの闘争の記録です。自身の過去と真摯に向き合い、悲劇の再生産を阻止しようとする彼女の美しい魂が、聴く者に深い感動をもたらしてくれるのでしょう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?