5月の葬儀
忘れられない人
兼業農家では、ゴールデンウィーク中に田植えをするところがほとんどで、都会に出ている子供達も、お米欲しさに田植えを手伝う様子がうかがえます。家族総出で田植えをし、田んぼのあぜ道で昼食を摂る姿は、傍から見ていてもほほえましいものです。おじいちゃん、おばあちゃん、息子夫婦、孫と三世代そろっての農作業です。しかし、そうした時にもご葬儀はあります。
五月にお亡くなりになった方で、今も脳裏に焼き付いている故人様のお姿がお二人ございます。お一人の方は、ご主人が亡くなってから三十年近く一人暮らしをされていたお母様のご葬儀でした。
お子様は三人。お嬢様お二人は県外へ嫁がれ、一番下の息子さんは、知的障害者施設に入所されていました。
喪主は長女のご主人でした。後(あと)出棺のご葬儀でしたので、柩が祭壇前に安置され、私はお顔を拝ませていただこうと、柩の小窓を開けました。お顔のまわりには、色鮮やかなつつじの花がお顔を取り囲んでいます。
私は担当者にお伺いしました。
「つつじの花が入っているけど、どうしたの?ご家族の方が入れたの?」
「いや、庭のつつじが見事でね。おばあちゃん、病院に入ってからしばらく経つけど、庭の手入れをちゃんとしていたらしく、その花をどうしても入れてあげたくなったんだ。それで、俺が摘んで、当家様に入れてもらったんだ」
なんと気がきく担当者でしょう。このつつじの花は、故人様と共にこの家の庭で毎年美しい花を付けていたのです。
故人様の喜怒哀楽を見守っていたつつじの植木です。三〇年近く、お一人で農家の一戸建てを管理していくことは、並大抵のことではありません。
庭も広いし、畑も広いでしょう。雑草を取るだけでも大変です。
年を重ねて行くごとに、家の始末が出来なくなり、荒れ放題になってしまう農家も多いのです。
つつじの花で囲まれた故人様のお顔は、おだやかに心なしか喜んでいるように見えました。近所に住んでいるという小さい子供を連れた若いお母さんが弔問に訪れました。柩を覗き込み、涙をいっぱい目にためて、「まーちゃん、ありがとうね」と孫ぐらい年の離れた女性から「ちゃん」付けで呼ばれておりました。「いつも良くしてくれて、私が小さい時、親が忙しかったから面倒を見てくれたんです」
葬儀には、ご弔問に息子さんの入所している施設の方々が大勢お見えになりました。故人様は、息子さんの施設の父母の会にも熱心に参加されていらっしゃいました。父母会の代表の方が、弔辞を読んで下さいました。息子さんのために、母親として出来ることをやり続けていらした故人様。
自分が八〇を過ぎても、息子が六〇近くになっても、その愛情は変わらず注がれ続けたのでしょう。
親子の情は当たり前と思うかもしれませんが、時代や地域柄を思うと、お母様自身のご苦労は相当なものがあったであろうことが推察されます。
柩の中の故人様は、息子さんに対する心残りがお有りかもしれません。しかし、今、現世での様々なご苦労を浄化されて、穏やかにお浄土へと旅立つことができるのでは、とつつじに囲まれたお姿を拝見して思いました。安らかにお眠りください。 合掌
薫子さまの死
そして、もう一人は、前述した故人様とは真逆の人生を送られたのでは、と思う財閥の奥様のご葬儀です。九十二年の人生、最後までお嬢様と呼ばれた方です。
棺の中のお顔は、しわひとつなく、女優さんかと思うほど、美しいお姿。普段よくお召しになっていたお気に入りの小紋のお着物と名古屋帯で装われていらっしゃいました。
喪主様のご長男様が、「プロのカメラマンに写真を撮ってもらうから、掛け布団をはずしてほしい」と言われ、あわてて掛け布団とドライアイスを撤去しました。
本当に九十二歳かと思う美しく凛とされていて素晴らしいお姿でした。
嫁ぎ先で、若奥様ではなく、お嬢様と呼ばれた由縁は分かりません。
ご主人様を支え、戦後、会社を大きく発展させてきたのも、ご主人様とその方のお力と人望があったからです。
ご子息に会社を譲られてからも、お子様やお孫さまとの海外旅行は全てこの方が費用を負担されていたとのお話もお伺いいたしました。
式場前のホールに流されたDVDには、ご家族で出かけられた海外旅行でお撮りになったお写真が何枚も収められておりました。何もできないお嬢様でなく、その家の中心人物として、家族はもちろん従業員からもお嬢様と呼ばれ、その地域の住人でお嬢様を知らない人がいないほど、敬愛と畏怖の念を抱かれていた方です。
私は、最後まで美しくありたい・・・・と、心から思いました。旅立つ時のお姿は、やはりその人の人生を投影していると思います。
そして、実はこのお仕事、最初は弊社の違う司会者がいくはずだったのですが、急きょ私に変更になりました。後日、母とこの方について話をしていた時、
「故人様が、あなたに司会をしてほしくて呼んだのよ」
と、母は言い、
「あ~、やっぱりそうなんだ。死んでから結ばれるご縁もあるのだな~」
と、妙に納得してしまいました。
喪主様の挨拶の途中で、「秋川雅史の『千の風になって』をかけてくれ!」との意向がありました。
たびたびご依頼されることですが、秋川さんの歌声を静かに聴きながら、涙を流す喪主様を見ていたら、私も思わず涙が溢れてきてしまいました。
天寿
を全うされた女性、母として、妻として経営者の夫を支え、凛とした美しさを生涯保ち、誰からも敬愛された方。しかし、喪主様にとりましては、綺麗なお母様としての存在だったのでしょう。素晴らしい調べは、聞くべきところで聞くと、感動の度合いが違うものです。
その亡くなられた方のお名前は 風薫る五月にふさわしいお名前 薫子様と言いました。
五月一日のお旅立ちです。天寿を全うされた方は、もしかしたら、最初から寿命として決められた通りにお浄土へと行くのでしょうか。痛感しました。
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