見出し画像

2021年8月15日 終戦の日に思うこと


太平洋戦争終戦後、黒川開拓団の満州からの引揚の際、ソ連兵から援助を受けることと引き換えに、数えで18歳以上の未婚の女性12名から15名が、約9ヶ月間、性接待を行った。避妊せず複数人から強姦された為、性病やチフスによって4名が現地で死亡。帰国後も、ある女性は弟に「満州から帰ってきた汚れた娘は誰も貰ってくれん」などと言われた。多くのサバイバーがセカンドレイプに苦しんだ事は想像にかたくない。
何より驚くべきは、この事実が2013年になってやっと明るみに出た事である。
それくらい、性被害について声を上げる事は難しい、と言う事なのだろう。

二日市保養所において引揚者の麻酔なしの中絶手術が行われていた話から推測するに、本来は公にケアや謝罪を受けるべきサバイバーは沢山いると思われるが、そこら辺はどうなっているのだろうか?

心からの同意の無い性行為が容認される瞬間など存在しない。

改めて、太平洋戦争中に被害にあった韓国のサバイバーの方々やそのサポーターが声を上げた事、上げ続けている事に敬意を表したい。


上記では混乱下の性暴力性被害についてふれたが、その他にも第二次世界大戦に関する史料や作品には多くの理不尽な暴力がしるされている。
この暴力は、人種や民族、性別、特性、主義思想などを理由に振るわれた。とにかく、全くもって理解のできる理由ではない。
理解できなくて当然である。なぜなら、どんな理由があるにしても、人の命や尊厳を奪って振るってもいい暴力など存在しないからである。

全ての人間が人間である、という事実が変わることない。どんな性でも、どんな人種でも、どんな歳でも、どんな思想を持っていても、どんな特性を持っていても、人間は人間だ。
そして、
人間を殺していい理由など存在しない。何かを理不尽に強要されていい人間などいない。

何か理由があれば人の尊厳を犯してもいいと考える人間や、そんな考えに基づいたルールやシステムは未だに多く存在する。そんな人間やルール、システムに囲まれて育つ私たちは、自分が他人の領域を犯しても気が付かなかったり、犯されてもそれを自覚できなかったりする。それでも、先人たちの不断の努力によって、今を生きる私たちは多くのチャンスと希望を与えられている。8月15日は今一度、自身が他人を無為に踏んでいないか、踏まれていないか見つめ直す日となったらいいなぁ、と私は考える。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?