見出し画像

誰の心にも「ジョーカー」は潜んでいる

どうもShoSeiです。
いつものおちゃらけた挨拶は無しにして、先に注意喚起をしておく。

今回はこのニュースについて僕の見解を話していく為、どうしても不快に思う人はいるだろう。
僕は、この事件における登場人物を否定も肯定もしない。
ただそこにあるものを、僕の目で見えたように文章を書くだけだ。
この事件に関して否定的だったり場合によっては肯定的な世界に生きている人は閲覧を控えて欲しい。

注意はした。ここからは貴方の勝手な判断に委ねる。

――――――――――

まず「加害者」という考え方について先に触れておきたい。

これはこの事件に関わらず言えることだから、分かりやすいものとして「性犯罪」を例に出そう。

どんな環境で生きて、どんな思考回路でそれに至ったのかは分からないが人の多くは性癖を持っている。

キスが好き、ハグが好き、腹筋が好き、噛むのが好き、叩かれるのが好き、など人にはそれぞれ性に趣向がある。そして中にはそれが法に触れてしまうようなものを持っている人がいるのは事実だろう。

実行しないだけで、そういった欲望を持っている人は数えきれないと予想している。

そこで考えるのが、その欲望自体に罪を持たせるなら誰が悪いのだろうという話だ。その欲望さえ存在しなければ加害者は加害者になることは無かった。


勿論、この世界で罪として定義されるのは「欲望を実行したこと」に対するものだから加害者が肯定されるはずもない。

その事件には被害者が存在していて、その被害者の周りにはそれを悲しむ人が存在する。僕はその絶望に対して少しでも非があるなんてことは全く思わない。人はいつだって大きさに関わらず理不尽に襲われているからだ。

しかし、やはり罪の根源になるのは欲望だ。この世界の美学を今は置いといて欲しい。

例えば僕にそういった欲望が突然植え付けられたとすれば、僕は性犯罪を犯すかもしれない。中毒性のある薬を寝ている間に勝手に体内に入れられたようなものだ。そうならないと願いたいが、そうなってみなければ分からない。

しかし人間の多くは自分には到底理解できないものを「気持ち悪い」で片付けようとする。楽だからだ。それは被害者に寄り添う行為ではなく、自分が理解できないものを悪として片付けているだけだ。もう一度言う、楽だからだ。

性癖なんて、自分で好んで作ったものじゃないはずなのに。そう意味で言えば加害者も被害者の側面を持っている。

被害者の側面よりも加害者の側面の方が大きいだけだ。そして、その側面の判断基準も誰かの絶望への代償でしか無く、自分の絶望は加味されない。


真犯人がいるとするならば、それは世界に溢れる理不尽だろう。


――――――――――

これを踏まえて、この事件に話を戻す。

僕とさほど年齢の変わらない彼を、一体何がジョーカーにしたのだろう。やはりこの世界の理不尽なんだろう。


「全ては自己責任」という考えも理解出来るが、じゃあ何で彼は生まれてきたんだ?多くの自殺者や死刑希望者はこうなると分かっていたら生まれたいと思っていただろうか。生まれること自体理不尽で絶望に満ちているのに。それは僕も貴方も。

後々僕の思う彼の責任については触れるが、その人の生きる地獄を否定してはいけないと思う。

貧乏な家という地獄で生きてきた人、エリートという地獄で生きてきた人、無能という地獄で生きてきた人、性別という地獄で生きてきた人、人間という地獄で生きてきた人、この世の中には無限種類の地獄と理不尽が存在する。

隣の地獄は天国に見えたりするんだ。それは地獄にいるのが極小数の人間だと思い込んでいるから。世界や神や仏は誰もを均等に愛している、それか誰一人として均等に愛していない。

そもそも、そんなものは存在しないとも言える。


これが事実か否かなんてことはどうでもいいが、そうでなければ日本に生きている僕と銃声の聞こえる国に生きている誰かが同時に存在することを説明できない。

お手軽に救われたいから、人間は救済者や加害者を作り出してきたし今もそうだろう。

誰か1人を複数人で同時に嫌うことで高まる結束も存在する。じゃあその1人はどうなる。その人はそいつらを恨むことで救われるだろうか。被害者はその1人だけか?出る杭は打てと言う無言の圧力に負けたその人達は加害者か?前へならわせ続けたのは誰だ?なぜその人は前へならわせるに至ったんだ?

親の教育か?じゃあその親は教育について教育されたか?じゃあアダムとイブが林檎を食べてしまったことが悪いのか。初めからエデンの園なんて存在しなければ良かったのか?貴方なら林檎を食べずにいられただろうか。そそのかした蛇が悪いか?その文章を作り出した奴が悪いのか?じゃあそいつを育てた親が悪いんじゃないだろうか。

人間は決死の思いで、辞書に「理不尽」という言葉を作ったんだろう。


そんな地獄や理不尽に「ジョーカー」になれば、抗えると思ったんじゃないだろうか。


沢山のスマホのカメラを向けられ、震えた手で慣れない煙草を吸いながら、彼は何を思っていたんだろう。沢山の理不尽をばらまいて少しは救われたか?それか更に怖くなったか?

残念ながら素人がナイフで2人を殺すのは難しい。世界は彼を殺してなんかくれない。「死にたいなら1人で死ねばいい」なんていうのは実に浅いよな。君は何度見えないナイフを世界に突き立てられたんだ?そして何度自分に突き立てたんだ?

彼は許されない、死なせて貰えない。
僕個人としては死なないで欲しい。

この事件における被害者の抱えた絶望は、彼の死を望むかもしれない。それはその人の地獄における規律だから否定されるはずも無いし、この世界においてそれは正しい。


しかし、そのやり方では模倣犯も現れ続ける。それは行き場のない怒りに行き場を与えてるだけの行為でしかないからだ。それすら理不尽なんだ。

自戒も込めて、彼のミスをおさらいしておこう。

――――――――――

本当に本当に半端な男だと思う。何が彼をここまで半端にしたのかは分からないが、半端で仕方ない。

繰り返すが、まずはナイフだ。死刑を望むなら凶器はそれじゃないだろ。もっと心のそこから死刑になりたい自分に向き合えよ。

そして、衣装だ。なんであんな中途半端なコスプレなんだ。「ダサい」と思われてお終いだぞ。そういったことを思われるのが悔しくて悔しくて仕方なかったんじゃないのか?最後のつもりだったんだろ。1番かっこいいと思える自分でいろよ。

なりよりも、方法だ。死んだり殺したりするだけで君の理不尽は解消されるのか?自分が殺されればそれで良かったのか?君は一体何に希望を抱いていたんだろう。そんな希望は捨てた方が良かった。その程度では君の生きている世界も君自身の世界も変わったりしない。

理不尽に抗うには、深く深くまで絶望と向き合い、それを受け入れ、抗うことへの意味の無さに納得するしかない。サボるなよ。


その方法しか思いつかなかったこと、全ては君のせいではないが君に非があることは確かだ。

そして、こういっている僕も何かの被害者で誰かの加害者になっている。人はいつだって罪を背負い背負わされている。ならば、何でもかんでも手頃に済まそうとするのは愚策だ。絶望や贖罪にはもっとコストをかけるべきだ。


まあ、そんなことをしても無駄っちゃ無駄だし終わりは無い。でも、だからこそ永遠に暇を潰せるんだ。それが嫌ならスケジュールを予定やら仕事やらで埋め尽くせばいい。体力的な限界がきたらまた考えればいいさ。

貴方はジョーカーにならなくて済むなら、それはそれでいい。

全ての人の無限種類の絶望と無限種類の幸せを願っている。

この記事が参加している募集

最近の学び

美味しいお酒飲ませてもらいます!