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【見つけた!この世界が作り物である証拠】進化論が否定されたら論理的に歴史は嘘になる?(2)

歴史は存在しない?

歴史への疑いを主張する人々の台頭

 歴史に対する違和感については、すでに最近では多くの動画チャンネルで伝えられるようになっている。
 歴史の嘘を伝える「マッドフラッド」であったり、短期的な歴史の修正として「マンデラエフェクト」などが有名である。興味のある方は検索してみてほしい。
 ただ、人々が歴史を疑い出したというのは、実は無理からぬことなのである。
ご存知の方も多いと思うが、昨今情報を独占していた政府やマスメディアが国民の生命や財産を軽々と奪うような巨大な嘘を流している疑いがあることが、SNSの発達によって世界的に知られることになってしまった。
 こうして彼らが自分に都合よく情報を軽々と書き換えること自体を目の当たりにしてしまった民衆が、「それならば、歴史も嘘かもしれない」と感じたとて不思議ではない。

 インターネットの発達により、一方的に情報を教え込まれてしまっていたこれまでとは異なり、色々な人がそれぞれの立場から本当に自由に発信をできるようになったことは素晴らしい事である。
 もちろんそれらの情報は実際には玉石混交であるかもしれないが、重要なのは発想の自由度ということではないか。

 おそらく実際には、さも自分の考えであるかのように誤信してしまっている気もするのだが、何か情報へ対する疑いを口にすると、それに対して「そんなことはあり得ない」「陰謀論に過ぎない」という発言をかなり強硬にする人が、最近は身近にも多くなった。
 それは冷静に観察してみると、特定の一方向への思考だけについて論理を展開していく事を決して許さず、それ以上の思考を止めてしまおうとする傾向であるわけだが、実はそれは、その人自身の見解と言うよりも、従来からの既得権益側の情報発信者(学校やマスメディア、あるいは利権団体)の見解に知らず知らずのうちに強い影響を受けていることが多いということに気づかなくてはならない。

思考実験

 学問の世界に思考実験というものがある。
 思考実験とは、実行できるかどうかという可能性にとらわれずに、原理的に可能と考えられる条件を想定して、そこで起こると考えられる現象を理論的に追究してみることであるが、「あり得ない」と思う前に少なくとも「思考実験的」に物事を考えてみるというのは建設的な態度であろう。
 本来は物理学などにおいて用いられるものであるが、幅広く活用ができるのではないか。

 柔軟な思考をすることに慣れている人は、この思考実験的な論理実証を普段から自分の頭の中で行っているとも言われる。思考停止を防止するには、これは大変有益な方法である。 
 そこで今回は思考実験的に、この「歴史が存在しない」という条件について考えてみよう。

世界5分前仮説

 ここでこの分野に詳しい人ならすぐ頭に浮かぶであろうものが「世界5分前仮説」であろう。
 バートランド・ラッセルによって提唱された思考実験であるが、「世界は本当はたった5分前に始まったのかもしれない」という仮説である。そしてこれを確実に否定することはできないとされた。

 あなたが昨夜レストランで豪華なフランス料理を食べて満ち足りた気分で今日の朝を迎えていても、その豪華な晩餐は実際にはなかったかもしれず、ただ「そのような経験があるという嘘の情報」があなたの脳にインプットされているのかも知れない。
 実は次のようなことである可能性も否定できないのだ。
「あなたはこの世界と共にたった5分前に登場した。それ以前の世界の情報はすべてインプットされた単なる情報であったに過ぎない」
もし仮にそうであったとしても、実際にはあなたはそれが真実かどうか確かめようがないのである。「世界5分前仮説」というのは、そういうことである。

 あなたの経験という記憶は、今現在実在するものでなく情報に過ぎないため、これを脳にインプットさえできれば、それは本当かどうかはわからないのである。

もしも「歴史が存在しない」なら

 もしも「歴史が存在しない」とする。だとすると現在のこの現実世界とその事とはどう整合性を保つことができるだろうか。

 いくつかのパターンが考えられる。

 まず最初に考えられるのは「世界5分前仮説」のように、世界は「ついさっき」誕生したというパターンである。
この場合、世界を創造した者がおり、その者の力で世界は仮想現実空間として何らかの目的の下、「ついさっき」誕生したということになる。
 荒唐無稽に感じるが、これが誤りであると断言する事はおよそ人類には不可能である。なぜならこの世界の外的事象については、人間が知ることができないからである。
反対に、これが真実だとしても永遠に証明することはできない。そしてきっと「何らエビデンスがない陰謀論ですね」と言われてしまうだろう。
 ただ論理的にはそうでも、世界が「ついさっき」誕生したというのは違和感があり過ぎる。なぜならたとえば私は、昨日も一昨日も「世界は5分前から始まったのかも知れない」などと考えていたから、その思考さえ作られた情報というのがどうにも実感しにくいのだ。
 これは単なる推論になるが、そんな5分程度の幅を持った時間で世界を創造するのはコスパが悪いのではないかとも思う。もちろんその後数万年続けるつもりかもしれないが・・・
 そこでもっと現実的にありそうな思考実験的想定をしてみよう。

どこからか歴史が始まり、そして誰かが嘘を書いている。

 こういうのはどうだろうか。
 今私たちが信じ込まされているような形では「歴史は存在しない」が、どこかの時点からこの仮想現実空間の歴史が始まった。それ以前の「ある」と思い込まされている歴史は、すべて情報だけが私たちにインプットされていて、いわばゲームにおける環境設定であったという考え方だ。
 そういう意味での作られた歴史であるならば、この世界が仮想現実空間であることとも整合性が持てるであろう。

 創造者の立場から考えてみるとすぐわかることであるのだが、彼が仮想現実空間を作る時に、最初から現在の高度な人類をその中に配置する際に、当然、人類が「なぜ自分たちはここに存在するのかについて疑問を持つだろう」という想定をするはずである。
 そんな時に人類が疑問を持たないでスムーズにゲームをプレイするためには、このような「歴史」という環境設定的な情報は不可欠であると考えるはずだ。
 
 ただこれはあくまでも実感として思う事であるが、その環境設定としての「歴史」に対して、(仮想現実空間を創った者ではない)現世界にいる誰かが「偽りの歴史」を付加設定して流布している可能性も高いのではないかと思う。
情報と言うものはどのような形でも書き換えて嘘を流せるという意味で、人を操作するためには便利なグッズなのである。

歴史に紛れ込む嘘

 ここからは「引き寄せを科学する」という立場からの記述になるが、人々に「怖れ」を抱かせることによって、幸せな引き寄せが困難にさせられることの危険性については、こちらの記事でも書いたところである。

 「怖れ」を人々が持つような「偽りの歴史」を流布することは、民衆を支配するにはとても効果的な方法だったのではないか。

 まず、そもそも歴史に関する情報というものは、潜在的部分で人々の行動に影響を及ぼす。

 たとえば、わが国では他の国の人たちに比べて特異的に自殺者が多い。
いろいろな背景があり、またもちろん個別事情もあるために軽々に論ずることはできないが、ご存知のように日本には、歴史上「切腹」という世界的に見て特殊な行動原理があり、また悲劇の歴史として「特攻隊」というものもあった。その背景には「武士道」という倫理感が厳然と存在していたことも確かであろう。
そういった数々の歴史が、潜在意識の部分で、わが国の人々に影響をしている可能性は否定できない。

 また逆に、マスメディアの情報操作を用いれば、民衆がどのような行動性向を有しているかについて、人々の持つ本来の歴史情報に関する潜在意識を簡単に変えてしまうこともできる。
 たとえば、マスメディアでは「日本人は他国の人と異なり暴動などは行わない民族性」というようなことを、何か起こるたびに最近しきりに伝えているが、果たして本当にそうか。
 1905年に東京の日比谷公園で行われた日露戦争講和条約への反対集会をきっかけとした日比谷焼き打ち事件や、1918年に第一次大戦による米の価格急騰にともなって富山県から全国に広がった米騒動などは、もう忘れてしまったのか。
むしろ日本の民衆については、歴史情報が正しいものだとの前提に立てば、身分の上下を問わず「一朝事ある時には毅然として立ち上がる民族性」だと解釈する方が自然とも思われるがどうだろう。

 このような歴史情報の意図的な改変は、実際にマスメディアを信用している人々に「日本人は暴動などはしないおとなしくて平和な民族」という意識を知らず知らずのうちに持たせて、そのことを通じて「どんなに圧政が行われても実力行使はできない」という選択肢の消去による無力感を持たせてしまっている。為政者にとって大変都合が良い事ではある。

 ここからはあくまで思考実験的な話として聞いてほしいのだが、もしも歴史を使って何かを作為しようとする者がいた場合に、その者が有利になる情報が歴史に追加設定されたとすれば、人々の潜在意識上に意図的な反映がされてしまうということは不可避である。
 そして特定の方向で人々の行動を制御することが、案外簡単にできてしまうのだ。

 繰り返しになるが、以上はあくまで思考実験的な考えの道筋である。
すべては仮想現実世界に実体のある「歴史が存在しない」ということ、そして追加で「偽りの歴史」が書き加えられたという前提の話の中での過程なので、その点はご了解いただきたい。

 ただ、以上のような事が思考実験的に見た場合に正しいとしても、「偽りの歴史」が歴史においてどの部分にあるのかというようなことは、残念ながら正しい情報として得る事は不可能である。

どこからが本当の現実かはわからない。

思考実験の結論

 このように思考実験的に考えてみると、「歴史が存在しない」かもしれないと仮定したとしても、実際には「どこからが本当の現実と呼べるものなのか」「偽りの歴史」はどの部分なのかということはわかりようがない。
 結局仮想現実空間内の人類には何も知ることができないということが、むしろはっきりとする。
 当然と言えば当然のことであるが、そんな中で私たちはどう考えればよいのだろうか。

 大変難しいことであるが、これだけは言えるであろう。
 歴史と言うものは、それが「そもそも存在していないもの」であるにしても「実在していたもの」であるにしても、現在のあなたにとっては単に情報に過ぎない。
 だがその単なる情報が、上述の例をとってみても明らかなように、私たちの心理や潜在意識をいたずらに刺激し続けるものであるということだ。

 でも果たして、その歴史情報により意識を揺り動かされるあなたにとって、その情報は本当に重要なものであるのか。それによってすべての行動を制御される必要が本当にあるのか。
それをもう一度、考えてみなくてはならない。

目の前の現実を生きる。

過去も未来も存在しない。

 ここでこの話は、引き寄せの原理や考え方とつながることになる。
 仮想現実空間に自分が生きているものだと仮定した場合に、過去も未来もここにはなく単に「今ここにある」ものだけが現実であり、そこでどう判断するべきかこそが問われているということは以前も書いた。

重要なのは「今ここ」という現況であり、その現況の生き方と楽しみ方を選択することがこの世界では一番重視されているということではないのかという話である。

 あなたの中には、生まれてきてから現在までの累々と積み上げられてきた歴史の記憶がある。そして人類のこれまでの歴史についても学んで知っている。さらに宇宙の歴史さえも学習の結果、その頭脳の中に記憶を持っている。
 しかし宇宙の歴史も人類の歴史も、あなたの人生の歴史さえも、すべては今実際に確かなものとして実在するものではなく、それは単にあなたの記憶の中にある「情報」に過ぎないということは明白である。

 どうしてなのかはわからないが、私たち人間がこの仮想現実空間というゲームの中で常時「思考と行動への選択」を試されているプレーヤーであるという事はどうやら間違いがないようだ。

歴史の意味とは?

 あなたは、過去を実際に経験したのかも知れない。あるいはそうでなくて、単に情報だけ与えられている(与え続けられている)だけかも知れない。
もちろん実際に経験しようがしまいが、現在のプレーヤーに必要なものは情報だけなので、それはどちらでもよいことである。

 このことはより大きな意味で、歴史についても同様であり、実際に歴史が実存していたものだとしても、あるいはすべてが単なる与えられた情報であっても、実はどちらでもよいのである。
 だが人々は、歴史の情報のような大きな情報については、より簡単に潜在意識を左右されてしまうのも確かである。影響力の大きさで言えば、最も大なるものが歴史による情報なのかも知れない。

 SNSを見ていると実感できることであるが、SNSで虚偽の情報を流して人々を攪乱することなどは比較的容易にできてしまう。その証拠に、明らかな嘘と思われる情報にも、扇動的なものほど多くの賛同・驚き・更なる付加情報などのコメントがついていたりする。人間は基本的にお人よしで騙されやすいのである。

 このことから私たちが知らなくてはいけない本当の真実は、情報はいかなるものでも必ず改竄できるという事である。

引き寄せを科学的に成功させる方法

 幸せな引き寄せをあなたが上手くできない最大の理由は、あなたが「今ここにある」現実をしっかり見つめておらず、過去や未来の、実際には実在しない情報の中に生きていることにある。
 そしてそれは単に自分自身の過去への後悔や未来への漠然とした不安にかかわる情報によるものだと考えがちであるが、実はこれだけではない。

 あなたの受けた教育、そして歴史の情報というもの、そしてマスメディアの伝える様々な情報、そういうすべてのものが私たちの潜在意識に強く働きかけて、実際には自分に関係のない様々な雑音を伝え続けている。
あなたは、その中で「どのように自分は選択と決定をしていくか」と言うことを日々問われているのである。
 だとすると実は、そのような雑多な情報こそが、この仮想現実空間で刺激的なゲームを体験するために創造者によって準備されたものではないか、そんな気がするのである。
 
 真実は無論わからない。だがもし仮にそうだとすれば、引き寄せを成功させるのに科学的に最も有効な手段は、「今ここにある現実」のみに焦点をあてて、それ以外の情報を極力排除して潜在意識を「今生まれた赤ん坊」のようにクリーンな状態にしておくことなのではないかと考える。
そしてこの事こそが、実は引き寄せの際に一番重要なポイントとされている「エゴを排除する」ということの正体なのではないかと考えるのだ。

「エゴ」は創造主があなたのドラマを盛り上げるために準備したガイドであり、あなた自身ではない。
あなたはガイドに従うも従わないも自由なのである。ガイドに従えばハラハラドキドキする心をすり減らす人生を体験できるが、ガイドを無視して天真爛漫に日々を楽しむこともできるのである。
引き寄せは後者を選択した者用のコースだと言えよう。

 このように考えていくと、歴史を含めた情報というものは、実は引き寄せを妨げる大きな障害であると言えなくもない。

 そして更にこの考えを推し進めていくと、進化論が不動の真理のように流布されて徹底的に教育されている背景には、「人々が自由に引き寄せという幸福な科学的行動をとってもらっては困る」という支配者側の危惧もあるのではないかという点に考えが及んでしまうわけだが、この稿の趣旨とは少しずれるので、今回はこれくらいにとどめておきたい。

 願わくば拙稿を参考にして、一人でも多くの人が、この科学的な行為である「引き寄せ」を行い、この世界の幸福を十分に堪能してもらえたらと考える次第である。

 引き寄せの効果的なコツについてはこちらに詳しいので、是非併せてお読みいただきたい。



 

 






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