【「引き寄せ」ができる科学的理由】私たち人間はどこから来たのか?(1)
この世界が仮想現実空間であるということ
ゲームと同じかも…
この世界が自然発生的なものではなく、仮想現実空間ではないかということは、既に多くの科学者が主張しているところである。
いわゆるシミュレーション仮説と言われるもので、私たちのこの世界はすべてシミュレーテッドリアリティ(仮想現実空間)であるとする考え方だ。
提唱者としてスウェーデンの哲学者ニック・ボストロム、アメリカの物理学者フランク・ティプラーなどが知られている。
しかし何と言っても、有名なのは何と言ってもイーロン・マスク氏の言葉であろう。
2016年6月に開かれたあるカンファレンスでマスク氏は「ベース・リアリティ(基底現実=私たちが実際にあると思っている現実世界)の中で我々が生きている可能性は10億分の1にすぎない」と述べ、この世界がシミュレーションである可能性を肯定したとされている。
このような考え方は、一見きわめて突飛な発想のように思われるが、バーチャルリアリティーの技術やシミュレーションゲームの高度な発達状況を目にすれば、その延長線上におそらく仮想現実の世界が出現することは実に論理的な推測であって、むしろこれを否定するための説得的な論拠が実は非常に少ないことに気が付く。
進化論への疑問
「ダーウィンの進化論があるじゃないか。ヒトは古代のサルが進化したものだ」そんな批判をする人もいるかも知れない。
しかし進化論自体が最近では懐疑の目で見始められている。
考えてみてほしい。「サルが人に進化した」という事で私たちは学校で「猿→猿人→原人・・・」などといった変化の図を見せられるので、つい「そういうものか」と考えてしまいがちであるが、中間種(進化の過程で現れる種)はなぜ目にすることができないのだろうか?
簡単に言うと、動物園には現在のサルがいる。それを見ているのは高度に進化した人間たち。じゃあその間の中間に進化した生き物はなぜ見かけないのかということである。
サルから少し人間に近づいた生き物や、もう少し進化した生き物、サルと人間の中間くらいの生き物、それより人間にごく近い生き物・・・そういった生き物がいるはずではないかと考えるのが普通であるが、実際には「サル」と「人間」しかいない。
しかしこの両者の距離はどうだろうか、限りなく遠い気がするのは私だけであろうか。
進化論の中には突然変異という考え方があるようであるが、どのような種もあるとき突然別の種に変身するというのであろうか?
だとすると人間もある時期に突然、巷で描かれているような宇宙人っぽい頭が大きく身体が小さい未来人へと変化するのだろうか?
こんな素朴な疑問からでも、進化論の不自然さはすぐ感じることができる。
事実科学者の中にも進化論を否定する者が割といるようであり、さらに元々創造論(この世界は誰かが創造したものであるという考え方)を信じる人も世界には多い。
創造論は簡単に言えば創造主がすべての世界を創造したものという考え方であり、世界の多くの一神教はこの考え方に依拠している。アメリカでは4割を超える人々が進化論ではなく創造論を信じているというデータもある。
生命が地球上に自然発生する確率
これもよく言われる話であるが、地球上に生命が生まれる確率は「25mプールに、ばらばらに分解した腕時計の部品を沈めて、それをかき混ぜたら自然に腕時計が完成して動きだす」程度にきわめて低いものであるそうである。
偶然とも言えないくらいの低い確率ではあるが、これも素人目に考えてごく当たり前の話に聞こえる。
なぜならば、現在の科学でも人類はまだ小さな花の1つも創り出すことができない。というよりもその中の細胞一つさえ創造することができない。ナノロボットが最近ようやくできるようになってきたところであるが、あれを生き物と呼ぶことはできない。
生命であると言えるためには、自律性があり増殖が可能であるとともにその固体が自ら進化できることなどが必要であると思われるが、そういう機能を備えていない。
2020年ゼノボットと言うものが登場した。アメリカのバーモント大学とタフツ大学の共同研究チームが開発した世界初の「生命のロボット」と言われるものだが、これとてもアフリカツメガエルの幹細胞を利用したものであり、何もないところから細胞を作った訳ではないだろう。
「人体という完璧な乗り物」は量子脳理論からの帰結
このように見てくると、人間というものがこの世界に存在するようになるまでには、私たちの想像をはるかに超えた驚異的な過程があったという事に気がづく。
一神教の宗教が皆採用しているように「神」のような創造主が人を創造したというのは、実は十分に合理性のある考え方なのだ。
特に私たち日本人は、小学校中学校高校と学校で「進化論が絶対不変の真理であり、人間を誰かが創ったというような話は、宗教で言われるおとぎ話的なものだ」と暗に教え込まれている。
そのために進化論以外の発想をしたことがない人が大半である。
確かに代替案が「神を信じますか」というものであると思い込まされているので、そうなるのも無理がないところであるが、逆に言えば進化論という洗脳下に置かれてしまっていると言っても良いかも知れない。
日本人の多くは仏教徒であるが、それは今日祭祀継承的な意味や習俗的な意味合いが極めて強くなっており、実質には無神論者が大半である。
それは別の言い方をすれば科学万能主義であり、畏敬すべき超常的な存在を否定するという思考を皆が持っているということになる。
その結果、私たち日本人は「人間はどこから来たか」という私たちの存在についての根源的な問いを哲学的に考えることがもっとも少ない民族になってしまっているような気がしている。
では改めて問う。人間とは何か?そして人間はどこから来たのか?
実は私は人間というものは、この仮想空間の中で通常80年程度私たちの「意識」がそれに乗り込んでいる、きわめて完璧な乗り物なのではないかと考えている。
つまりシミュレーションゲームでいうプレイヤーであり、ロールプレイングゲームで言えばアバターであって、その背後には「意識主体」という真の操作主体がいるのである。
(2)に続く。
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