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和紙漉き 1 和紙は美しい

和紙を漉いて遊んでいる。楮を少し育て、12月に刈り取り、皮はぎ、蒸しなどやって、叩いて繊維を解砕する。和紙十工といい、基本的に10段階の工程がある。粘剤のトロロアオイの根はあまりとれなかった。

手持ちのタイコウゾも煮熟、材料は充分だ。
和紙を始めて、12、3年になる。小川町の和紙学習センターの教室に参加して、楮畑でのさぎょう、刈り入れ、蒸し、皮剥、などなど、覚えた。
和紙の染め付け、切り絵、諸々のアート作品の作り方を習った。
夢だった和紙の工程に触れて、和紙産地の越前、美濃、阿波、土佐、身延などの工房を回った。それぞれ歴史を踏まえて、まだまだ息づいている。
小川の細川和紙が世界文化遺産に指定されて、活気づくと思ったがそれほどでもなかった。
近所のあきる野に軍道和紙という和紙があって、市の施設がある。
そこで一日自由に小判サイズの和紙を漉いていた。

漉いた時の水と一緒の和紙は美しい。

写真を和紙へプリントすることが基本にあるので、自由な和紙の制作を可能にした。身延の和紙工房で知り合ったチェコから来ていた写真家のブラントン(BRUNTON)氏と知り合った。彼はネパールなどアジアを回りながら、最終的に日本で和紙漉きをマスターした。チェコを代表するアート写真家だ。父親も写真家かアーティストだった。チェコの解放の時、大統領となったハブルの写真も撮っている。ブラントン氏にはアーティスト仲間、わし仲間が10数名いて、和紙を中心として集っている。彼はチェコで和紙工房を家に作って、道具を自作した。パート女性を雇って和紙を漉いている。道具もよくできていて、手作りで忠実だ。漉き技術も丁寧で、日本人よりもうまいレベルだ。寒い国だが楮も植えて栽培している。

さらに彼らのサポートでイスラエルのノイマン氏がいて、知り合った。ノイマン氏はイスラエルの国の少し北側の海岸近くの街で工房を開いている。楮も植えて収穫している。時々、日本へ観光案内係として参加して、攻防巡りをしている。一度、イスラエルに来てくれと言われたが、少し行きにくかった。ハイテクの国で行く機会はありそうだったが。行けなかった。今や戦争をしている国となってしまった。
しばらくして、ブラントン氏からプラハで展示会をやるのでお誘いがあり、のった。小川町の気の合った和紙仲間二人と計画を練って、大きい作品で行こうと、製作に乗り出した。A1サイズの大型のプリンターを持っていたのでA1サイズで長尺のロールを制作することにした。長さは2、3mだ。
和紙センターには木枠で網を張った流し込みの枠があり、そこへバケツに入れた和紙材料を流し込んだ。乾燥機も大型のものがあり、乾燥機に貼り付けた。結構のノウハウだった。簀桁で簀桁で漉く時は、前後左右に揺するが、大きく揺すれないので楮繊維の絡みは少ない。越前では、両側を持って上下して流し込み、大きな紙を作っている。素人ではそこまでうまくいかない。


オープニングパーティー
プラハでの展示会
バグパイプの演奏が盛り上げた

付録 この展示会は、チェコ国内とスロバキアでも2か所開催された。

なんと自分の作品が教会につるされている。
和紙の長尺和紙写真
和紙写真 富士山とチェコの作品
和紙仲間KANOさんの作品
書家 日々軌先生の書 方丈記から


スロバキアで
チェコのアート写真家第一人者Brunton氏と仲間たち

和紙漉き仲間が今も活動している。チェコのアーティストはすばらしい。
ドイツには親戚もいて、よく出かけていたが、現在はなかなか難しくなってしまった。

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