お守りの言葉(筆者:あおいみかん)
ぼくが大切にしていること
慌ただしくランドセルを背負い、水筒を首にかけ、玄関に向かう小学校二年生の息子。
ぼくは、彼のあとをゆっくりとついていく。
息子は玄関で靴を履き、マジックテープをきつく締めると、玄関の扉についている二つの鍵を回して、扉を押し開ける。
「いってきま〜す!」
こちらをチラッと見て親指を立てると、登校班の集合場所へ向かう。
「いってらっしゃい。気をつけてね!」
ぼくは、息子の背中に間に合うように言う。
この
「いってらっしゃい。気をつけてね!」
をぼくは大切にしている。
「“気をつけてね” は、その言葉をかけられた人を守る魔法の言葉なんです」
いつだったか、TVで誰かがそう言っていた。
残念ながら、それが誰だったか、今は思い出せない。
だけど、ぼくはそれを信じて、それ以来、家を出ていく家族に、この言葉をかけることにしている。
明日は約束されていない
ぼくたちは、家族が家を出る時、当たり前に「ただいま」と帰ってくると思っているのではないだろうか。
「きっと、明日は必ず来る」
普段ぼくたちは、大抵そう思って疑わない。
明日が来ないかもしれないなんて、考えたことがない人も多いのではないだろうか。
また、毎日が忙しすぎて、もしくは日々をやり過ごすことに一杯一杯で、そんなことを考える余裕なんてない、という声も聞こえてきそうだ。
でも、明日は誰にも約束されていない。
それどころか、一瞬先でさえ、誰にも約束されていない。
だけどぼくたちは、"無常"であることに、得てして無自覚だ。
来なかった明日
2011年3月11日の東日本大震災をはじめ、ぼくたちは、たくさんの「来なかった明日」を経験してきた。
今年(2024年)の元旦に起きた、能登半島地震はまだ記憶に新しい。
「目の前で死んでいく家族を助けれれない。この気持ちがあんた達にわかるか!」
崩れた我が家の前で、カメラに向けられた心の叫びは、ぼくの胸を締め付けた。
最後だとわかっていたなら
この詩は、2001年9月11日、アメリカ同時多発テロのあとに、作者のノーマ コーネット マレックの意思とは関係なく、チェーンメールで世界中に配信されたものの一部だ。
ノーマは、アメリカに住む女性で、10歳で亡くなった長男に、伝えたかったけれど伝えられなかった数々の言葉や想いを、一篇の詩に託して1989年に発表した。
ノーマの長男のサムエルは、弟と水辺で遊んでいた時、遠くで小さな子どもが溺れているのを見つけ、それを助けようとして自分も溺れてしまったのだそうだ。
ノーマの深い悲しみは、この詩に込められている。
そして、ぼくたちは、この詩を読むたびに、ノーマの悲しみを追体験することになる。
ラジオの人生相談の教え
確かに、ぼくだって、ケンカをした後なんかは、相手が家を出ていくときに、「勝手に行け」って思ったりする。
それに、今手が離せないと思う時だってある。
でもぼくは、そういう時でも必ず玄関に行く。
そして、
「いってらっしゃい。気をつけて!」
と気持ちを込めて言う。
それには、二つの理由がある。
一つは、もうすでに述べた。
もう一つは、ある時ラジオから流れてきた、こんな話を聞いたからだ。
ぼくの大切な習慣
「ただいま!」
これを書いている時、息子が元気に学校から帰ってきた。
ランドセルと水筒を放り投げるようにして、再び玄関へと向かう。
「遊び、いってくる!」
急いで靴を履いて玄関を出ていく。
ぼくは、
「いってらっしゃい。気をつけてね!」
と追いかける。
お守りの魔法の言葉を届けるために。
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