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『吹きさらう風』より


 アルゼンチンの作家セルバ・アルマダによる小説『吹きさらう風』を、宇野和美さんの翻訳で刊行しました。すでに訳者の宇野さんによる訳者あとがきを公開していますが、今回はこの小説から一部抜粋してお届けします。宇野さんは本作品について「大げさな表現を避けて、小声で語られるような文章」と評されていますが、この短い抜粋から、アルマダの声を聞き取っていただければ幸いです(第1章と、第7章の一部を公開します)。

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『吹きさらう風』より


セルバ・アルマダ著/宇野和美訳

 自動車整備工は咳きこみ、痰を少し吐きだした。
「肺が腐ってんだよ」手で口をぬぐい、開いたボンネットにもう一度かがみこみながら言った。
 車の持ち主はハンカチで額の汗を拭い、整備工の隣に頭を割りこませた。きゃしゃなフレームの眼鏡をずりあげ、熱くなった鉄の部品のかたまりに目をやる。それから、問いかけるように隣の男を見た。
「鉄が冷えるまで待たなきゃならねえ」
「直せますか?」
「たぶん」
「どのくらいかかりますか?」
 整備工は腰をのばし─車の主よりも手のひら二つか三つぶん、背が高い─、目をあげた。まもなく正午だ。
「夕方までかな、たぶん」
「ここで待つことになりますかね」
「好きにしな。見てのとおり、何もねえよ」
「待たせてもらいます。神様が力を貸してくだされば、思いのほか早く直るかもしれません」
 整備工は肩をすくめ、シャツのポケットからたばねたタバコをとりだし、一本すすめた。
「ありがとうございます。でも、数年前にやめました。さしでがましいようだが、あなたもやめたほうがよさそうだ……」
「飲み物の自動販売機は故障してる。何か飲みたきゃ、冷蔵庫に何本か缶があるはずだ」
「ありがとうございます」
「あの子に降りるように言ってくれ。車の中にいたら、うだっちまう」
「お名前はなんと?」
「ブラウエルだ。グリンゴ・ブラウエル。あっちはタピオカ、使いっ走りだ」
「牧師のピルソンです」
 二人は握手をした。
「あんたの車にとりかかれるようになるまで、ほかのことをやってるから」
「そうですか、よろしくお願いします。私たちにはおかまいなく。神の祝福がありますように」
 牧師は、娘のレニがいる後部座席のほうに行った。座席と床に山積みになった聖書や雑誌の段ボールの間のかろうじて残ったスペースに、ふくれっ面をして座っている。窓をコンコンと叩いた。娘は埃だらけの窓ガラスごしに彼を見た。彼はドアの取っ手に手をかけたが、中からロックしてあった。彼は、窓をおろせというしぐさをした。娘はほんの数センチ開けた。
「直るまで、もうしばらくかかる。降りなさい、レニ。冷たいものをいただこう」
「ここでいい」
「ものすごく暑いから、熱中症になるぞ」
 レニはまた窓を閉めきった。
 牧師は助手席のドアを開き手をつっこんで、後部座席のロックをはずしてドアを開けた。
「降りなさい、エレナ」
 レニが降りるまで、彼は手でドアを押さえていた。彼女が車からはなれるなり、バンと音をたててドアを閉めた。
 彼女は汗ではりついたスカートを直し、整備工を見た。彼は頭をさげて挨拶した。自分と同じ、十六歳前後の少年が、大きな目でそのようすを見つめている。
 父がブラウエルと紹介した男は、顎まで届きそうな、蹄鉄形の赤い口ひげをはやした背の高い男で、油じみだらけのジーンズをはき、ズボンの中にいれたシャツの前をはだけていた。もう五十に近そうだが若々しく見えるのは、きっとひげと、シャツの襟まで伸びた長髪のせいだろう。少年は、くたびれてツギがあたっているが清潔なズボンと、色のさめたTシャツを着て、ズックの靴を履いている。まっすぐな黒い髪は、こざっぱりと短く刈り込まれ、ひげのないつるんとした顔をしている。二人ともやせているが、普段から力仕事をしている者らしい筋肉質の体をしていた。
 五十メートルほど先に、ガソリンスタンド兼整備工場兼住まいである粗末な建物があった。古ぼけたガソリンポンプの後ろにある、ドアと窓が一つしかない、煉瓦を積んだだけの小屋だ。小屋の前にはポーチのようなものがあって、斜めにはりだした、トトラの葉で葺いた屋根が、小さなテーブルと、積み重ねられたプラスチックの椅子と、飲料の自動販売機の上に影を投げかけていた。テーブルの下で眠っている犬が一匹、人の近づく音を聞きつけて、はらばいのまま黄色い片目をあけて、しっぽで地面をぴしぴしと叩いた。
「何かだしてやれ」ブラウエルが少年に言うと、少年は椅子を何脚かおろして、座れるように雑巾で拭いた。
「何を飲みたい?」牧師が娘にたずねた。
「コカコーラ」
「私は水を一杯もらえるかな。一番大きいコップで」牧師は腰をおろしながらたのんだ。
 少年は、ビニールを細く裂いたカーテンをくぐって、小屋の中に消えた。
「神が望まれるなら、車は夕方には直るだろう」牧師が、ハンカチで額をぬぐいながら言った。
「望まなかったら?」レニは、いつもウエストにはさんであるウォークマンのイヤホンを耳にはめながら言いかえした。プレイボタンを押すと、頭が音楽で満たされた。
 小屋のむこうには、道路の路肩の方までスクラップが山積みになっていた。車のボディー、農業用機械の一部、ホイールキャップ、積み上げられたタイヤ。じりじりと照りつける太陽のもと、永久に打ち棄てられた車台や車軸やゆがんだ鉄の、まさに墓場だ。

 レニが覚えている母の最後の姿は、車のリアウィンドーごしに見たものだった。レニは、膝をついて後ろ向きになって後部座席の背に腕と顎を乗せている。外で父がバンと音を立ててトランクを閉め、旅行鞄をとりだして、母の横に置いた。母は腕を組み、長いスカートをはいている。大きくなった今、レニがはいているようなスカートだ。父の後ろ、どこの村にもありそうな未舗装の道のむこうに、明け方の赤らんだ灰色の空が広がっている。レニは眠くて、口の中にねばっこい歯磨きの味がしていた。朝食をとらずにホテルを出てきたからだ。
 母は組んでいた腕をほどいて、片手で額をなでる。父はずっとしゃべっているが、車の中にいるレニには、何を話しているか聞きとれない。手をさかんに動かしている。人差し指を上げ下げし、母を指さし、首を横に振り、声を落としてしゃべり続け、口から放つまえに言葉を嚙み殺すような表情をしている。
 母は車に近づこうとするが、父がさえぎり、母はその場で立ちすくむ。オニが振り返ると動きを止める、銅像ごっこのようだとレニは思う。日曜日のお説教のあと、あちこちの庭でいろんな子どもたちとよくした遊びだ。手のひらを相手に向けて片腕を前につきだしたまま、牧師である父はあとずさりをし、運転席のドアを開く。母は旅行鞄のところに立ち尽くし、両手で顔をおおう。泣いている。
 車が走りだし、土埃を舞いあげる。そのとき、母が車を数歩追いかける。夏休みになって道端に置きざりにされた犬のように。
 それはもう十年近く前のことだった。レニは母の顔をよく覚えていない。背が高くて、ほっそりしたきれいな人だったのは覚えている。鏡を見ると、自分には母の面影があると思う。母親に似ている気がするのは、単なる願望のあらわれとはじめは思っていた。だが、女性らしくなってきた今、よい思い出といやな思い出を同時によみがえらせる者を見るように、父が魅了と侮蔑の入り混じった表情で自分を見ているのに気づくことが一度といわずあった。
 牧師とレニはそのエピソードのことは一度も話したことがなかった。母を置きざりにした町の名を彼女は知らなかったが、もう一度通ったならすぐにわかると思う。ああいう場所は、月日がたってもほとんど変わらない。もちろん牧師は、妻を置いてきたのがどこか、地図上の正確な場所を覚えているに違いないし、もちろんそこを布教のルートから永遠に消し去ったに違いない。
 その日以来、ピルソン牧師は、男手ひとつで幼い娘を育てる、妻をなくした牧師を名乗るようになった。そういう状況にある男性は、信頼と同情を容易に抱かせることができる。若くして妻を奪われ、いたいけな子とともに残され、主イエス・キリストへの愛に燃えて、堅固な信仰とともに前向きに生きている善良な人物の話には、耳を傾けてしかるべきというわけだ。

 タピオカも、母親のことはあまり覚えていなかった。母親に置いていかれたとき、新しい家に慣れなければならなかった。最初に彼の目を引いたのは、古い車の山だった。あきらめて状況を受け入れるまでの数週間、車の墓場と犬たちが心の慰めだった。日がな一日、そこらにある車体にもぐりこんでいた。車を運転するふりをして、いつでも助手席に三、四匹の犬を乗せていた。グリンゴは少年を好きにさせておいた。馴らさなければならない野生の小動物であるかのように、そろりそろりと近づいていった。そこで、グリンゴはタピオカにかつては道路を走り、長い距離を走破してきた車一台一台の物語を語ることから始めた。多くの車は、少年の母親が向かったロサリオどころか、ブエノスアイレスやパタゴニアまで行ったことがあった。グリンゴは自動車クラブの地図をどっさり集めてきて、夕食の後、夜な夜な、彼いわく、そこにある車が走った道を示してみせた。油とニコチンで黒ずんだ太い指で線をたどり、線の色と太さは、その道路の重要性を表しているのだと説明した。グリンゴの指は時として、幹線道路をはずれて、まつげの先くらいの細さの、うっすらとしか見えない線に入っていった。そして、運転手はそこで夜を過ごすので、自分たちも寝なければならないと告げた。
 グリンゴの指は時には、点線、つまり川にかかった橋をとびはねながらたどった。タピオカは川が何かも、橋が何かも知らなかったので説明してやった。
 また、くねくねとした山道を、のろのろと指でたどることもあった。ある時、指は地図の一番端にたどりつき、冷えこみのこと、チャコ地方では知ることのない、何もかもを真っ白にする寒さのことを話した。そのあたりでは、冬になると道路は氷でおおわれ、氷でタイヤがすべって悲惨な事故が起こるのだと。タピオカはそういう場所のことを考えると怖くなり、自分たちがそんな世界の果てではなく、地図のうんと上のほうにいてよかったと思った。
 グリンゴ・ブラウエルは車を、州警察から買っていた。内々の取引きで、屑鉄同然に売ってもらった。たいていの車は事故や火事などで押収されたものだった。たまに盗難車も来た。その場合、警察はグリンゴに整備させてから書類を新たにおこし、登録番号をかえて、ロマの人々に売っぱらう。グリンゴには整備費と、いくらかの協力報酬が支払われた。
 地図をめぐる物語のあいまに、車が持ち主の手を離れ、彼らの元にやってくるまでのいきさつが語られることもあった。まがまがしい物語に、タピオカは目を見開いて聞き入った。最初のうちグリンゴはいつも、車に乗っていた者は命に別状はなく、車は壊れても人は無傷だったと話していた。その後、少年がそろそろ死になじんでもいいころだと考えて、すべての話は血生臭い結末でしめくくられるようになった。しばらくのあいだ、タピオカは夢でうなされた。母親やグリンゴや、数少ない顔見知りたちが、ぐにゃりとゆがんだ鉄にはさまれたり、フロントガラスを突き破って外に飛びだしたり、炎に包まれた車の中で黒焦げになったり、車内に閉じこめられたりする夢だ。だがそのうちに慣れていき、語られた場面を夢に見ることはなくなった。
 悪いのは車じゃない、運転する人間だと、つねづねグリンゴは言っていた。
 母親に置いていかれたとき、タピオカは三年生になっていて、読み書きと計算はできた。自分も学校は了えていなかったグリンゴは、学校に通わせるのが必要だとは思わなかった。一番近い学校でも十キロ以上はなれていて、毎日送り迎えをするのはやっかいだった。八歳までに受けた教育で十分だ。あとは、大自然と仕事から学ばせようとグリンゴは決めた。自然と仕事は学問ではないが、学べばりっぱな人間になれる。

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