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【おしえて!キャプテン】#26「……絶対に、妥協しない」~ロールシャッハ誕生秘話~

『ロールシャッハ』ついに邦訳

2020年から2021年にかけて刊行された、トム・キングとホルヘ・フォルネスによる『ロールシャッハ』の日本語版がいよいよ今月刊行されます。読者の皆さんの中にも待望していた方が多いのではないでしょうか。

『ロールシャッハ』書影

『ウォッチメン』から35年後の世界。アメリカを二分する大統領選を前に、民主党の対抗馬である共和党のターリー知事暗殺未遂事件が起きた。その犯人は35年前に死んだはずの男、ロールシャッハ。この信じがたい事件の真相を暴くため、一人の探偵が雇われる。

事件の真相――ロールシャッハの足取りに近づくにつれ、探偵は大いなる陰謀に巻き込まれていく……。

アメコミの金字塔『ウォッチメン』の未来を描いた話題作がついに刊行!

同書は、ヒーローコミックス界の金字塔『ウォッチメン』の続編の一つとして発表時から大きな話題を呼んでいたタイトルです。自分も原書を毎号、完結までずっと買っていました。ですが非常に複雑な要素が絡み合った内容だったため、途中で一度ギブアップ……。完結してからまとめて読み、これはすごい! と唸った次第です。今回、一冊にまとまり、かつ中沢さんの翻訳で読めるのはまたとない機会ですので、ぜひ手に取って頂きたいですね!

そこで今回は、ロールシャッハというキャラクターの源流から始めて『ロールシャッハ』誌に至るまでの歩みについて簡単にご紹介しようと思います。

鬼才スティーブ・ディッコの遺産、Mr.A

『ロールシャッハ』誌の鍵になるのは、隠者のような暮らしを送る漫画家、ウィリアム・マイヤーソンというキャラクターです。彼には、そのキャラ造形のモデルとなった実在の人物がいます。その人物こそ、マーベル・コミックスでスパイダーマンを作った偉大なアーティスト、スティーブ・ディッコなのです。

2018年に亡くなったスティーブ・ディッコは、ポップカルチャー史上に残る業績を残しながらも一切の栄誉を拒絶していました。取材にも応えず、ファンの前に姿も現わさず、思想信条を曲げずに自分の作品のみをメッセージとして世に送り出していたという伝説的作家です。彼は自費出版誌を中心に、Mr.Aというヒーローのコミックを掲載していました。このMr.Aは、白装束と金属の仮面に身を包み、物事は白と黒にはっきり分けられると信じるヒーローでした。善悪のあいだのグレーゾーンなどまやかしにすぎないと断言するMr.Aが、ロールシャッハの源流になります。

▲2008年に刊行された伝記。筆者はディッコについてこれで学んだ。ディッコがコミックに与えた影響や、人物についての概要がまとまっている。現在は遺族が監修したもっと詳しい伝記も出ている。

1967年の『Witzend』誌3号に掲載されたMr.Aのコミック。ここではMr.Aは「加害者への同情は被害者への侮辱だ」と言い放ち、社会の善意につけこむ少年犯罪者を見殺しにしている。
1978年の『コミック・クルセイダー・ストーリーブック』より。悪人が焼け死ぬところをただ黙って見ているMr.Aの姿は、『ウォッチメン』のロールシャッハの誕生エピソードに通じる。

このMr.Aに限らず、ディッコが個人で作っていたコミックはとにかく直接的に彼の思想を語るツールでした。なので、読むと面食らう内容も多く、また意味の分からない作品も多数あります。自分が子供の頃の話ですが、世情や社会についてベニヤ板に延々と長文を書き、それを家の外に貼り付けている人が通学路沿いに住んでいました。その世界に近い印象をディッコのオリジナルコミックからは感じます。

作品や姿勢から、ディッコ本人には偏屈なイメージがつきまとっています。ですが、出版社からの依頼があればトランスフォーマーの塗り絵本や、チャック・ノリスの漫画を描いたり、マーベルのためにスクイレル・ガールをデザインしたり……と、プロフェッショナルに徹していた一面もありました。業界内でも奇人扱いされていたようですが、ある若い編集者が原稿を取りに行ったら礼儀正しく物静かなお年寄りが出てきて、びっくりしたというエピソードを読んだことがあります。

1984年に刊行された、スティーブ・ディッコが手がけたトランスフォーマーの塗り絵本の一部。
言葉にしがたい違和感があるが、プロは受けた依頼をきっちりこなすというディッコの姿勢も透けて見える。また人物の描き方は確かにディッコの線だ。
1987年に刊行された、ハンナ・バーベラのアニメ
『チャック・ノリス:カラテ・コマンドー』のコミカライズ。

無貌の探偵、クエスチョン

その後、ディッコはMr.Aのアイデアをチャールトン・コミックス社の『ブルー・ビートル』誌に併録される短編に使います。こうして生まれたキャラクターが、のっぺらぼうのマスクをかぶった探偵ヒーロー、クエスチョンでした。
チャールトン・コミックスの時代のクエスチョンは活躍した誌面が合計で64ページくらいしかなかったのですが、1967年という時代を考えると、驚くほど冷徹なヒーローとして描かれており、強烈な印象を残します。

1967年、チャールトン社の『ブルー・ビートル』#4から。
「お前たちなどのために、私が危険を冒すものか!クズどもにはお似合いの運命だよ!」と、
下水に落ちた犯罪者を見殺しにするクエスチョン。

時代はくだって1983年、クエスチョンを含むチャールトン・コミックスのヒーロー達はDCコミックスに買い取られ、DCユニバースの一員となります。そして数年後の1987年、クエスチョンは誕生から20年近く経ってついに独自タイトルを持ちます。このシリーズはデニス・オニールとデニス・コーワンが主に担当していました。

このシリーズでは、クエスチョンは哲学的な思索にふけりながら社会の腐敗を相手に拳で戦うヒーローとして描かれました。現在の目で読むと人種や女性、またはLGBTQ+描写の点で問題作といえます。しかし当時のヒーローコミックスとしては、性と暴力を限界まで描きつつ、社会性と物語性を両立させた作品でもあるのです。デニス・オニールには数々の業績がありますが、社会問題を真正面から取り上げた『グリーンランタン/グリーンアロー』(小社刊)を手がけたことで特に有名です。同作から13年経ち、彼のストーリーテリングの技がさらに円熟した結果、この『クエスチョン』が生まれたのでは……と感じました。

「今朝、路地裏で犬の轢死体を見つけた…」

上記の経緯でチャールトン・コミックスのヒーローがDCに買われてから、ライターのアラン・ムーアはそのヒーロー達を使ったコミックの企画を進めていました。しかし、DCの上層部は将来のことを考えてキャラクター達の起用を拒否します。そこでムーアがチャールトンのヒーロー達を原型として作ったのが、『ウォッチメン』の面々でした。Mr.A、クエスチョン、そしてバットマンの性格を少々こめて、ロールシャッハが作られたわけです。

ここで興味深いのが、ムーアは「ディッコの、創作に政治性を取り入れた姿勢には大いに尊敬するが、その思想自体には全く賛成していない」とコメントしているところです。ディッコのMr.A、そしてクエスチョンの背景には、彼が傾倒していた客観主義(オブジェクティビズム)が反映されているのですが、これは米国保守層に大きな影響を与えた思想でもあります。基本は無政府主義から左派リバタリアニズム寄りと思われる、ムーアの立場と相容れるはずもありません。彼は客観主義を「白人至上主義者が抱く支配人種幻想でしかなく、お笑いぐさだ」とまで言っています。

だから、『ウォッチメン』をきちんと読むと分かるとおり、ロールシャッハは決して芯を曲げない不屈の人でありながら、レイシストであり、ミソジニストであり、同性愛者を嫌悪する右翼的な人物と描かれたわけです。そういった、人間としては最低でサイコパスすれすれの彼がヒーローらしい行動を取る……というところが、『ウォッチメン』の無数の面白さの一つでもあります。

そのインパクトの強さから、ロールシャッハというキャラクターの一人歩きが始まっているところも、また『ロールシャッハ』の内容と重なってきますね。

おそらく初出は十数年前で作者不詳の、ロールシャッハのアスキーアート。
くだらないスレッドの投稿主を煽るために使われる。キャラの一人歩きと言っても、
こんな形で人口に膾炙するとは、誰も予期していなかっただろう。

ちなみに、前項で紹介したクエスチョンには、なんと劇中で『ウォッチメン』の単行本を買って読むシーンがあります。ロールシャッハの真似をしようとしたクエスチョンは、「やっぱり、あんな奴の真似はいやだな……」という感想を抱くのでした。自分をモデルとしたキャラクターなのに! 実にひねくれたエピソードです。

2020年代のロールシャッハ

上記でロールシャッハについて簡単にまとめましたが、それも『ロールシャッハ』を構成する膨大な背景の一端に過ぎません。『ウォッチメン』は冷戦時代の政治と「現実世界のヒーロー」の関わりが描かれていました。一方『ロールシャッハ』では2020年代の時代の空気が反映され、人が陰謀論に取り憑かれて常軌を逸していき、それがまた周りの人へと伝染していくさまが表現されています。

また『ウォッチメン』はスーパーヒーローの代わりに海賊のコミックスが人気を得た世界の話でもありました(実在の編集者が写真入りで作中世界に登場しています)。そうした、漫画というメディアに自己言及しているところも『ロールシャッハ』誌に受け継がれています。ヒーローの代わりに海賊が人気なので、スパイダーマンの代わりに海賊の映画がブロックバスター大作として劇場公開されているところや、Mr.Aから影響を受けたことを公言している実在の「ある作家」が登場するところなどに、そうした面が現れています。

『ウォッチメン』は読み返す度に新しい発見があるという、長年かけて楽しむことができる作品です。読者の皆さんが『ロールシャッハ』も同じように何度も読み返して楽しめるといいですね。

◆筆者プロフィール
吉川 悠
翻訳家、ライター。アメコミ関連の記事執筆を行いながらコミック及びアナログゲーム翻訳を手がける。訳書近刊に『コズミック・ゴーストライダー:ベビーサノス・マスト・ダイ』『スパイダーマン:スパイダーアイランド』(いずれも小社刊)など。Twitterでは「キャプテンY」の名義で活動中(ID:@Captain_Y1)。

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