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『圭介』  〜1997年 顔が全然タイプじゃない男〜 vol.5 (ゲイ小説)

それから徐々に圭介からの連絡は少なくなって、僕から連絡する回数ばかりが増えた。
圭介からのメールは寡黙で、焦る僕はより饒舌になった。

たまのデートの日は、数日前からあれこれと考えを巡らせた。
圭介が好きそうな場所、圭介が好きそうなレストラン、圭介が好きそうな会話。

当日は、圭介が持ち歩いているふたつの重いバッグのうちのひとつを嬉々として持ち、常に笑顔でハイテンションを貫いた。
僕たちはとても幸なカップルである、と主張するように。
たけど、圭介はいつもどこか上の空だった。

そして、付き合って一年も経たないうちに圭介から「別れたい」と申し出があった。

「どうして?」
「ちょっと、重過ぎるんだよね」

近所の公園の冷たい電話ボックスの中で、いつも重い大荷物を抱えている圭介に「重過ぎる」と言われて僕は戸惑った。

たしかに重かったかもしれない。
だって、僕の圭介に対する想いが軽いわけがないもの。

愛とはそもそも重いものではないか。
軽い愛とは、愛なのか?

ああだこうだと駄々をこね、電話を切ろうとしない僕を、圭介は最後の奉公とでもいうようにじっと待ってくれた。
僕より何倍も頭脳明晰な圭介のことだから、僕を一発でノックアウトする言葉を持っているはずなのに、それを口にしない圭介を優しいと思った。
その優しさにかすかな希望を感じた。
感じたかった。
だから、受話器を置くのを延ばし延ばしにした。

って、言うか。

電話を切ったら、もう、一生、圭介と会えないかもしれない。
話ができないかもしれない。
そんな電話を切れる人間がこの世のどこにいるというのだろう。

30分が経って、1時間が経って、チャリンチャリンと10円玉が落ちてゆく中で、「風邪ひくよ」と圭介がぽつりと言った。

風邪なんて、ひきたい。
大風邪をひいて死にそうになったら、圭介は別れを留まってくれるだろうか。

そんなことを妄想していると圭介はついに「僕も疲れたし」と言った。

その声の冷たさに、これだけが圭介の本音なのだと解った。

「わかった」

僕は言った。

「僕から電話を切るなんてできないから、圭介が切って」

「…わかった」

ありがとうでも、ごめんねでも、さよならでもなく、圭介が最後にそう言って、電話はあっけなく切れた。

ツー、ツー、という無機質な音を聴きながら、あの人は、本当に、心の底から、僕と別れたかったんだなー、と思えて泣けた。

生まれて初めて、振られて終わった恋だった。
だからショックが大きかったのかもしれない。
それからしばらくは泣き暮らした。
空を見ては、街のネオンを見ては、賑わう人々を見ては「ああ、圭介…」と感極まった。
もう、このまま、一生泣き暮らしていくのかと恐怖を感じるほどだった。

だけど、1ヶ月経って、2ヶ月経って、毎日少しずつ圭介のことを考える時間が減っていくのを感じていた。
少し寂しい気もするけど、これでいいのだと思った。

そして、別れて半年ほどして街で偶然に圭介を見かけた。

「え?あんな人と付き合っていた?」

衝撃だった。
恋の魔法が完全に切れていた。
あんなに大好きだった圭介が、ただの「顔が全然タイプではない男」にしか見えなかった。

すぐに、友達に電話をした。

「いまさ、偶然、圭介を見かけたんだけど。僕は、あんなブサイクと付き合っていたのかね?」
「だからアタシたちは何度も警告したじゃないの。アンタは、でも、子供みたいな目をしていて可愛いんだよ、とか言ってたけどね。気持ち悪かったわよ、アンタ」

友達は笑っていた。
明らかに僕を馬鹿にして鼻先で笑っているのが電話越しにも解った。

恋の魔法の恐ろしさを知った。

そして、僕は、決めた。

今後は、世の中100人に聞いて、半数以上の人が「まあ、いいんじゃない」といってくれるレベルのルックスの人でなければ付き合わない。

たとえ、どんなに賢くて、中身の良い人であったとしても、ルックスが一定の基準に達しない場合はバッサリと切る。

人は見た目ではないけれど、恋なんて、どうせいつかは終わるのだから、せめて思い出は美しくありたい。

僕の思い出の出演者として、ふさわしいルックスの男だけと恋をしてゆきたい。

そして、この「圭介ルール」は、僕が30歳になっても、40歳になっても、ずっと根強く僕の中に生き続けることになる。

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