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床屋と図書館 その2 


 横山理髪店のおじさんが死んでしまい、真文はバーバー金子ヘ通うことになりました。バーバー金子は真文の通っている小学校に近く、少年野球チームに属していない男子の多くは、ここで髪を切っています。

 これを機会に髪を伸ばしたい。

 真文は密かにそう考えていました。
 真文は、今、スポーツ刈りです。
 小学生になるんだからすっきりしておいた方が良いわ、というお母さんの意見に従ってこの4年間を過ごしてきました。
 幼稚園のころは坊ちゃん刈りでした。
 子供の髪型というものは、この二択しかないのだと真文はずっと思っていました。
 ですが、4年生になってから、同じクラスの中野や羽賀はなんだかとても格好いい髪型をしています。スポーツ刈りでも坊ちゃん刈りでもなく、耳や目に掛かるほどにう伸ばした髪を頭の真ん中あたりで分けて、風が吹けばさらさらとなびく、なんとも大人っぽい髪型をしているのです。

 中野は4年生にして少年野球チームのエース打者です。
 ですが『キャプテン翼』が大好きで、将来は、サッカー選手になりたいと言っています。
 真文たちは、毎週、水曜日の放課後に校庭でサッカーをします。水曜日は4年生が校庭を優先的に使える決まりです。真文のいる4年1組対4年2組で対戦することもあれば、1組と2組の全員でグッパーをしてチーム分けをすることもあります。それを決めるのはいつも中野です。
 中野はサッカーをする時、長い前髪が目に入らないようにヘアバンドを頭に巻きます。まるで、本物のプロサッカー選手のように見えます。
 勉強は苦手ですが、運動会ではぶっちぎりでゴールを切る中野を見て「あの子なら本当にプロになれるかもね」と、お母さんたち同士が楽しそうに話しているのを、真文は聞いたことがあります。

 羽賀はクラスの問題児です。
 授業中に大声をあげたり、掃除をさぼったり、機嫌が悪いとすれ違った同級生の男子の腹を、突然、パンチしたりします。
 真文は腹パンチをくらったことはないのですが、羽賀と隣合わせの席だった4年生の1学期に「カンニングをさせろ」と命じられたことが何度かありました。
 真文は先生にバレないか心臓が痛くなるほど緊張しながら、机の上の答案用紙をそっと羽賀の方へ寄せました。
 不思議なのは、そんな時でも羽賀はいつもだいたい50点くらいなことです。カンニングをしていない時の羽賀に比べれば良い点ですが、真文の100点満点の答案をカンニングしておいて、なぜ、その半分の点数しか取れないのか、真文は不思議で仕方ありません。
 ですが、羽賀自身はまったくそんなふうに感じていないようで、いつも中野とじゃれあっていました。

「すげえじゃん!53点」
「オマエは25点かよ。バカだなー中野は!」
「いいんだよ俺は! サッカーで食っていくんだから勉強なんかどうでもいいんだ!」

 中野がそういうと、女子の誰かが「プロになったら私に一番最初にサインちょうだい!」と叫びました。すると「いや、俺が先だ」「私が最初よ」とあちこちから声が上がりました。まるで、今回のテストで一番良い点数を取ったのは真文であることなどクラスの全員が忘れてしまったかのように、中野のサインの件でクラス中が盛り上がっていました。

 中野と羽賀は近頃よく、サッカーのユニフォームのようなTシャツを着ています。赤やブルーの明るい色で、胸のあたりに誰かがさらっと手で書いたような英語の文字が入っていて、とても格好良いのです。

 同じようなTシャツを、真文はお母さんと近所のイトーヨーカドーヘ買い物に行った時に見つけました。

「あれ買って」
「え、 あのTシャツ? あんな派手なの着るの?」
「うん」
「やあねえ、あんたも色気づいちゃって」

 お母さんが困ったように眉間に皺を寄せながらそう言ったので、真文は慌てて「やっぱり、いい」と首を振りました。

「いいわよ。買ってあげるわよ」
「いらない」
「今、欲しいって言ったじゃない」
「やっぱり、欲しくなくなった」
 
 真文は早足で逃げるように子供服売り場から離れていきました。「変な子ねえ」と笑うお母さんの声を背中で聞きました。


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