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これまでの人生を振り返る〜心ゆくまで遊んだ大学時代〜

前回の続きから書かせていただきます。



堕落した高校生活を送ってしまった僕は大学受験も思ったようにいきませんでした。


東京の大学を目指しており、いわゆるマーチ(明治、青山、立教、中央、法政)を夢見て受験勉強に励ました。

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最初は学校の近くの塾に通っていたのですが、なんか違うなと思い、埼玉県のターミナル駅、大宮の代々木ゼミナールに通っていました。



受講料は安くはなかったのですが、講師の方々がやはり流石でした。めちゃくちゃわかりやすい。



なんていうんでしょう。先生の知識量や教え方はもちろんですが、キャラが立っていると言いますか。


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とにかくメリハリがあり、大事なところは強調するし、声も大きくなるし、たまに挟む雑談もめちゃくちゃく面白い。



頭ツルツル(他人事じゃない)の英語の先生がいたのですが、特にその方は強烈でいつも席が満席でした。



そんな最強の布陣を敷いて大学受験に挑みました。



しかし結果は惨敗・・・
マーチへの夢は叶いませんでした。



結果として神奈川県にある私立大学に入学することになりました。



実家は埼玉のため、神奈川まで通うのは厳しく、そこで初めての一人暮らしを経験します。



最初は寂しすぎて死にそうでした。未開の地で友達もいない中、料理やら洗濯やらしないといけないのはなかなか大変でした。


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僕はA型ですが、部屋は汚くなるタイプみたいで、散らかしっぱなしだし、冷蔵庫を見ると固形化した牛乳や溶けたキュウリや紫色になったお米が量産されておりました。



今でも自炊はほぼしないのですが、「残したら腐らせてしまう」という事実を初期に刻まれたせいかもしれません。



大学在学中にいろいろな経験はできました。
一人暮らしのため、何時に帰ろうが、うちで騒ごうが(隣からよく壁ドン食らってた)自由だったのが大きかったと思います。



一時期バイト友達(みんな大好きあの回転寿司チェーン)の巣窟にされてしまって、全員喫煙者だったため、部屋中がタバコ臭くなるという事件がありました。



狭い部屋だったため、服にもタバコの匂いがついてしまい、友達にうざがられるようになります。



とうとう嫌気がさして僕が怒りをあらわにして、バイト仲間は解散となりました。



友達のことは大好きだったのですが、こればかりは仕方ありません。
みんな今頃どうしているかな。



そこから居酒屋のアルバイトをいくつかやりました。
奄美大島のおやじが店長だったため、そこでお酒の飲み方や盛り上げ方を教わりました。



みんなとてもいい人でとても楽しかった記憶があります。
南の島の人たちっておおらかで朗らかな人がホント多いなと思いましたね(酒にはアホみたいに強い)



バイトの話ばっかりになってしまいましたがサークル活動もひっそりやっていました。



最初は軽音楽サークルに入部。
前回の記事でも書いたように幼い頃から聞いていたGLAYの曲「グロリアス」を課題曲として練習しました。



周りのみんなは「アジアンカンフージェネレーション」とか弾いてましたね。
夏頃の合宿が披露の場だったため、必死に練習しました。



僕はギターを担当だったのですが、ギターがあんなに難しいもんだと初めて痛感しました。



当日はなんとか形になった記憶があります。
でも間も無く辞めてしましました。理由は覚えておりません。なんで辞めたのかな。



その後は友達に誘われた有名大学の野球のインカレサークルに入りました。
そこは野球というなのただの飲み会って感じでした。
酒好きの面白い人たちとたくさん出会いました。



バイトつながりで初めての彼女もできました。
あ、中学の時にが初めてだったかな?(でも3ヶ月くらいで終わった気がする)
親の目が遠いところで彼女ができたもんだからもうお猿さんのように好き勝手してました笑


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ここまで読んでいただきお気づきの方も多いと思いますが、大学在学中、勉強はほぼしてません!
人生の夏休みを早めに謳歌してしまいました。



大学生ってとにかく遊び呆けている人と、勉強する人と別れるんだと思うんですよね。
今思えばちゃんと勉強しときゃ良かったなんて思ったりもします。



3年生になったらゼミの研究室が始まりました。
僕が入った研究室はとにかく緩くてびっくりしました。
なんと卒論がワード4〜5枚でもOK



もちろんちゃんとやっている人もいましたが、他の研究室はパワポとかちゃんと使って40〜50枚とか書いてましたからね。



就活大丈夫かな?と心配もしましたが、紆余曲折あり、あのお茶の会社と、ITの上場会社に2つ内定をもらうことができました。
おそらく100社近く受けたので打率は鬼低いです。



悩んだ末、お茶の会社が自動販売機の設置の営業とかだったのでつまらないかなと思い、IT会社へ入社を決意します。



ここで仲の良かった友達もお別れ。
高校までは地元の子たちばかりでしたが、大学って様々なところから通っている人たちも多く、今でもつながっている人はほんの数人です。



長くなってしまったのでここで区切ります。
次回は社会人編を書きたいと思います。

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