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私とは何か 「個人」から「分人へ」

先週から読み始めた平野啓一郎さんの著書「私とは何か 個人から分人へ」を読ませて頂きました。


今回は自分なりに感じたことをまとめていきたいと思います。

余談ですが、昨日の記事でも書かせていただきましたがMacのキーボードが快適です。筆が進みます。


軽く前置きです。
私はこれまで自分てなんなんだろう。どうやって生きていく価値を見つけたらいいんだろう。幸せになるにはどうすればいいんだろう。
なんて思ってました。まぁ誰でもぶち当たる壁って感じ。
私はこの自粛期間、自己分析を粛々と仕事の傍ら進めていく中で出会った本です。文庫本で170ページくらいのボリュームなので非常に読みやすいと思います。
これを読むと生きるのがかなり楽になると思います。他者との付き合い方も酔う方向に変わるはず。本当に自分とは何かが分かります。
ここでは要点だけまとめてお伝えします。

「本当の自分はどこにあるか」

「本当の自分なんてない」もしくは「全ては本当の自分」
僕はこれまで「しっかりと自分というものを持たなきゃな」「人生の軸をしっかり決めて生きていきたい」と思ってました。この本を手に取ったのもそんな思いからです。
人間というものは普段は仮面をかぶっていて、仮面を取れば本当の自分があるなんて思います。会社での自分は猫を被っていて本当はこんな自分なんじゃない。もっと明るく接したいし、友達の前だともっとキラキラしている。そっちが本当の自分だ。でもそんな生き方辛くない?そもそも本当の自分て自分自身でもわかっていないケースが多い。
会社で真面目に働いている自分?それとも友達とはしゃいでいる自分?はたまた部屋で一人でテレビや動画を見ている自分?

考えれば考えるほど沼にはまっていく。いくら考えても答えは出ない。

そんな問題への筆者からの提案が「分人」という考え方だ。

一人の人間、すなわち「個人」とされるものはこれ以上分けられない最小単位として考えられている。僕はこれ以上分けられない。物理的にはもちろんのこと、僕の存在は僕一人しかいない。そう考えるのが一般的だろう。

しかしながらこの「個人」というのはさらに「分人」という単位で分けることができる。
会社で働いている分人
家でゴロゴロしている分人。
友達と家で飲んでいる分人。

ここでは3つしかあげていないがこの分人の全ての集合体が自分であるということ。
全ては本当の自分なのだ。仮面もクソもない。人間は目の前の相手によってかぶる仮面を変えて器用に生きていくということなどできない。説明するには無理がある。どの自分も確かに自分なのだ。

本当の自分など幻想であるに過ぎない

言うなれば人間は玉ねぎのようなもの。桃みたいに中心に種があるのではなく、皮を剥いていった先には何も無い。種があるわけではなく、皮一つ一つが自分そのものなのであるということである。

その一枚一枚の皮こそが「分人」である。
家族といる分人、友達といる分人、会社で働く分人。

分人は無数に分かれている。ここでは特定のグループに対しての分人だが一人の相手との分人まで分かれていく。田中さんと接する時の分人もあれば佐藤さんに対する分人も存在する。似ている分人は存在するだろうが、全く同じ分人は無い。あなたも相手によって接し方はわずかに変わるだろう。

自分とはこの分人たちが入っている箱に過ぎない。箱自体には意思はない。常にいずれかの分人が表に出てコミュニケーションを取っている。

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(驚きの絵心)

コミュニケーションを取る田中さんもまた分人を持っている。あなた向けの分人だ。相手も自分と同じ分人を収納している箱だ。
僕が持つ田中さんに対する分人と田中さんが僕に対する分人はこの二人にだけしか知り得ない。佐藤さんは知ることは絶対にできない。箱の中に入っていて外からは見ることはできない。僕の田中さんに対する分人と佐藤さんに対する分人は違う存在。田中さんと佐藤さんの間でもまた二人だけの分人が発生している。

だから僕が見ている田中さんと、佐藤さんから見た田中さんは似て非なるものなのだ。僕が田中さんを嫌いだと思っていても佐藤さんは田中さんのことをよく思っているかもしれない。二人の間で起こる化学反応のようなものなので他人のことをとやかくいうのはやめたほうがいい。だって他人同士の分人には干渉ができない・影響が及ばないからだ。

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(驚きの絵心)

自分とはたくさんの分人を入れる箱でその時々で出ている分人で物事を考えている。実は一人の時だっていずれかの分人の中で考え事をしている。
恋人とデートをして帰った日はウキウキしているだろう。失敗をして上司に怒られて帰った日は何を考えてもネガティブな方向に向くだろう。
本当の自分があって一人の時に本当の自分になるということも無いということである。必ず他人との分人を通して人生を生きているということだ。

実は分人は人間に対してだけ発生するものでは無く、モノに対しても発生する。例えば読書をしている時、本との分人が発生しているのだ。

ここまで分人とはどういったものなのかを書いてきたが、分人という考えを持って、人生をよりよく生きていくためにはどうすればいいのかを書いていく。

自分はあくまで分人を収納している箱であり、実態はない(本当の自分などない)のだが、感情に関してもその時の分人を通して発生している。当然居心地の良い分人もいれば怒りや悲しみの多いネガティブな分人もいる。

そこで分人を一人一人見つめ直して行こう。その分人の時が楽しく、心地よい分人か。人生とはそんな分人でいる時間をいかに増やせるかということで決まっていくものである。一人の居心地の良い分人を見つけたらその分人を足場にして似た分人の構成比率を増やしていけばいいのである。今いる分人の中にそれを見つけに行ってもいいし、新たな分人を作ることでも良い(新しい人・モノとの出会いによって生まれる)

また、ここで大事なことが2つある。

1つは分人はそれぞれ常に変化・更新されていくということ。
さらに言えば大きくなったり小さくなったりもする。田中さんと出会う回数や話す時間が長くなればなるほど田中さんとの分人は自分の中で大きくなっていく。

2つ目は自分と言う箱の中では分人はお互いに干渉すると言うこと
例えば田中さんとの分人は佐藤さんとの分人に影響される。逆も然り、怒りや悲しみが発生しやすい佐藤さんとの分人が田中さんとの分人にネガティブな影響を与えてしまうと言うことだ。

そのため、ある分人が大きくなっていくと箱の中全体の分人に影響を大きく与えてしまう。会社で嫌なことがあると、その後に話した友達に対しても少し冷たく当たってしまったりすることはまさにそれである。しかしこれには程度があり、時にはほとんど影響が及ばない分人もいる。「あの人の前だといつも前向きになれる」といったケースはたまに聞くケースだろう。

以上のことから好きな分人を見つけたらその分人を大きくしていく、もしくは似た分人を増やす、と言うことが人生をよりよくしていくポイントである。
木村さんとの分人は話しやすく、笑いもあり、何でも打ち明けられてたても楽しいと言うことであれば、木村さんとの時間を長く取れるようにしたり、その周辺にいる人たちとも接触したりするといい。好きな文人が増えるほど自分に肯定的になれる

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(驚きの絵心)

本当の自分を定義しようとすると人生は生き辛くなる。
本当の自分では無い時は楽しいと思えないはずだからである。

「どの自分も自分なのだ」と思えばありのまま受け止めることができる。
ポジティブな分人だけで生きることができればベストだがそうもいかないだろう。
でもそれでいいでは無いか。
幸せとは比較から生まれる。
いろんな分人がいるからこそ幸せを噛みしめることができる。
だからどんな状況下でも幸せは感じることができる。
良い分人を増やしていき、幸せの角度を上げていけばいいだけだ。

以上が本書から学べることを端的に書いてものだ。
深く体験したい方は是非読んでみてほしい。


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