渋沢駅の駅メロは想い出の歌

昨日書いたnoteがなんとなく後味悪いなと思って、今の本当の気持ちでもあるので消しはしないけど、ちょっと違う側面から湘南の話をします。

昨日のnoteでもし気を悪くした方がおられたらごめんなさい。特定の選手への一方的な批判ではないことは理解していただけたら幸いです。

そしてあくまでも私が個人的に感じたことなので、同じベルサポでも、同じサッカー好きでも、いろんな考えがあると思っています。


話題を変えて、今日は駅メロの話(^^)


ベルマーレ秦野フットサルコートの最寄り駅でもある小田急の渋沢駅の駅メロは、上り線の電車が来る時は「負けないで」、下り線の電車が来る時は「揺れる想い」。

2007年に亡くなられたZARDのボーカルの坂井泉水さんが平塚生まれ秦野育ちで、渋沢駅は高校時代通学に使ってた駅でもあり、デビュー後もこの渋沢から六本木までレコーディングに通ってたゆかりが深い駅。


ZARD、坂井泉水さんのファンの方を中心に、神奈川県だけでなく全都道府県から「駅メロにしてほしい」という意見が届いて、2015年の秦野市制60周年に合わせて、この2曲を駅メロにすることが決まって、2014年12月23日からこの駅メロは続いてるみたい。


私は前々から坂井泉水さんという歌手は知ってたけど、その坂井さんが平塚生まれ秦野育ちというのは、だいぶ経ってから知った。


私がZARDの歌を初めて知ったのは小学生の頃。当時住んでた町は、今以上に神奈川から遠い場所だった。

小学生なのに、ZARDの歌の歌詞のこの部分が好きだ、という感性が大人のようなクラスメイトが2人いた。


一人はお兄ちゃんがスポーツをしてたのもあって、いつも私のサッカー話を楽しそうに聞いてくれる子。なぜか席替えしてもいつも近くの席になって、その度にその子はZARDなど好きな音楽の話、私はベルマーレの話をしてた気がする。

もう一人は、家が小学校と私の家のちょうど中間地点にあった子で、特にサッカーがすごく好きだったわけではないけど、チャントが好きな子だった。「テレビで聴いて覚えた」と言って、よくチャントを口ずさんでた。


当時私が通ってた小学校のクラスでは、学級歌というものがあった。学級歌というのは、クラスの目標やこんなふうに毎日を過ごしていきたいという思いに合った歌をクラスのみんなで選んで、帰りのホームルーム(いつもホームルームって言おうとするとホームゲームって言って笑われてたな…笑)の時に毎日歌う歌のこと。

いつも席が近かった子が「私はZARDの『負けないで』がいいです!」と手を挙げて言った。当時まだ小学生だったし、アニメの主題歌などを希望する子たちも多くて、ZARDを挙げる子はなかなか珍しかったと思う。


「この部分の、この歌詞が好きです」その子が一生懸命「負けないで」を推す様子を、私はそばでずっと見てた。私がベルマーレに支えられてるように、その子は苦しい時も悲しい時もZARDに支えられてるんだなと思った。

その子が仲がいい子だとかに関係なく、歌詞をじっくり知って、この歌が学級歌だったらいいなと思ったから、「負けないで」に私も手を挙げた。初めは他の歌がいいと言ってた子たちも、「歌詞がいいね」と言い始めて、他の歌との僅差で「負けないで」がそのクラスの学級歌になった。

その子が「やったー!!」と本当に喜びを表してたのを、今でもすごく覚えてる。


「負けないで」が一番好きだったその子に対して、中間地点に家があった子は「揺れる想い」が一番好きだった。クラスの行事で何か歌を歌うという機会があった時も、その子は「揺れる想い」を歌ってた。


今でこそ、当時住んでたその県にもJリーグクラブがあり、スポーツ好きの間では結構話題になったり盛り上がってる。でも当時は、サッカーはある程度の大都市圏に行って見に行くものだという風潮が今よりはあった。


その県にベルマーレサポーターが私以外にいたはずもなく(これはもし今その県に住んでもほぼいないだろうなと思う…苦笑)、時には心無い言葉を浴びせられることもあった。

「みんなと一緒」「そこから少しでもはみ出せば仲間外れ」小学生の世界にはそういう一面があるように思える。私は突然違う県から家の都合でクラスに入っただけでなく、湘南生まれ育ちでもないのに、ベルマーレの服を着て登校して、おそらくかなり変わった子だと思われてたのは想像がつく。


いつも席が近い子のお母さんは、学校行事で会った時、「Nikoちゃんは人と違っても、自分はこれが好きだと堂々と言うことができる。それはすごくかっこいいことだよ」と言ってくれた。席が近かったその子も「もし何か嫌なこと言う人がいても、放っておけばいいんだよ。これが好きっていうものがはっきりしてるって、Nikoちゃんは幸せだと思う」といつも言ってくれてた。


「揺れる想い」が好きだったほうの子は、学校からの帰り道にいろんな話をした。その中で、私の服装の話をその子がしてくれたことがある。「自分を持っててすごい。Nikoちゃん、大人になっても変わらないでね」。たまたま用事があってその子が当時の私の家に寄った時、そう言ってくれたことも忘れられない。


「負けないで」「揺れる想い」を聴くと、当時住んでた家の周りや、サッカーやってたグラウンドの光景、図書館の本の匂い、いろんなことを思い出す。

知らない地域にある日突然放り込まれる(という言い方は乱暴な気がするけど、当時は本当にそういう気持ちだった)ことが何度もあった子ども時代。孤独や悩みや苦痛も正直たくさんあった。だけど、クラスメイトの中にはこんなふうに励ましてくれる子たちも確かにいた。


おそらく親の影響もあって、あの子たちはZARDが好きだったんだろう。私は、あの子たちがその2曲を私に教えてくれたことを、今でもとても感謝してる。


ベルマーレのホームタウン内で、フットサルコートの最寄り駅でもあり、私個人的にも思い入れが強い渋沢駅の駅メロがこの2曲ということに、私は本当に深い縁を感じる。


初めて小田急に乗った時、「これが小田急か!!」と言って大感動する私に親は笑ってた。それが神奈中バスでも江ノ電でも私の大感動は同じ。本当にめでたい人間だなあと自分でも思いながらも、これだけ長く人生のほとんどをベルマーレ、湘南地域とともに生きてこられたことには、本当に感謝するし周りの人たちのおかげというのもとてもあるなと思う。


渋沢駅近くに、秦野ぼんちというお菓子を売ってるフランドールさんというお店がある。秦野は神奈川唯一の盆地で、そこからこの名前のお菓子になったと聞いた。

大人になってもこういうことで頭がいっぱいで、それが幸せな私は、きっとそういう意味で子どもの頃から全然変わらないなと思う。


もともと思い入れが強い駅だけに、「一年に一回のベルマーレフットサルチームの秦野開催の試合日は、渋沢からバスでメタックス体育館はだのに行くサポさん多いんだよね」「私がものすごく憧れてるスポーツバーも渋沢にあるんだよ。ベルマーレをめちゃくちゃ応援してるんだ!」「はだのじばさんずの隣にジェラート屋さんができて、そこも行ってみたいんだよね」「スイーツといえば、ぱわーすぽっとっていうクレープ屋さんが」とか、ホームタウン内の中でも特に渋沢駅周辺の話はたぶんどこまででもできると思う(他チームサポさんに「渋沢さん」って呼ばれかけたくらい…笑)。


環境が多く変わった子ども時代というのもあってか、そのZARD好きな子たちが今どこで何をしてるかは分からない。

でも、今でもZARDが好きで、毎日健康に笑顔で安全に過ごしててくれたらいいなと願う。

今でもベルサポだ!って笑うのかなあ。それとも「Nikoちゃんはそりゃベルマーレだよね」と大きくうなずいてくれるのかも?

あの2曲が駅メロになってる渋沢駅のこと、知ってるのかな。知ってたらそこから私を少しでも思い出してくれたりするんだろうか。


渋沢に住んだことはないけど、私の子どもの頃の想い出がたくさん詰まった場所。

コロナ禍が落ち着いたらゆっくり“帰って”、心の中の小学生時代の自分とも対話してみたいと思う。

そうやって、ベルマーレやサッカーのおかげで、心が帰れる場所があることも、私の人生の中の幸せのひとつだ。

本当に縁を感じる、心が励まされる話。

5月15日、Jリーグの日もやっぱり私はこうしてサッカーのこと、ベルマーレのこと、湘南地域のことを考える。




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