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SHOMA.Oと『ホームタウン•浦和』の歩み



Prologue


明後日、僕が大好きなサッカーチームである浦和レッズは、7年ぶり3度目ルヴァン杯優勝を果たすべく、国立競技場で決勝戦を戦う。
と言うわけで、今回は、埼玉県には出生地でもなく、住んだ事もない僕が埼玉県に本拠地を置く浦和レッズを応援するようになったのか、そして、レッズを応援するようになってからのレッズ及び『ホームタウン•浦和』との歩みについて綴っていこうと思う。

埼玉県出身ではない僕が浦和レッズを応援するようになった経緯

前提として、僕は、神奈川県川崎市で生まれ、東京都で育った
ではなぜ、『縁もゆかりもなかった街』のクラブを応援するようになったのか。

そのキッカケは、2つある。

キッカケその1

時は今から16年遡り、2007年。
レッズはその年のACLで初出場初優勝を果たし、12月に日本で開催されたFIFA Club World Cupに日本のクラブとして初めての出場を果たす。
僕が初めてレッズの試合をテレビで見たのが、その準決勝のACミラン戦。
この時点では、ただ、「日本のチームだから」という理由で応援していた。
これが始まり。

坪井慶介選手(赤の2番)とマッチアップするカカ選手(白の22番)
右には阿部勇樹選手もいたりと、懐かしい面々ですね

キッカケその2

もう一つのキッカケは、2011年に入学した中高一貫校のグラウンドがレッズの練習場の近くにあった事。
これに関しては、正直、どちらが先なのかはうろ覚え。
グラウンドがレッズの練習場の近くにあったからレッズに対して親近感を持つようになったのか、学校の資料を見ている時に『浦和』の2文字を目にしたからこの学校を受験したのか。

我が母校の運動場であり、球技大会や体育祭をやった思い出の場所

※校舎は東京都文京区。
わかる人はわかるかもしれないけど、あの辺は、学校、住居、お店などがひしめいていて、広い土地が取れないんですよね。
おまけに、うちの学校の全校生徒は中高合わせて1000人近くいたので、全校生徒を一同に集めるとなったら、全校集会の時に整列させるのが精一杯。
とてもじゃないけど、体育祭なんて出来るような広さじゃない。

『ホームタウン•浦和』との歩み

ここからは、2007年以降、僕がレッズと共にどのような道を歩んできたのかを綴っていく。

2007年に初めてレッズの試合を見る訳だが、いかんせん浦和の街とはあまりご縁がなく、周りにもレッズを応援している人はいなかったため、現地でレッズの試合を見る機会は殆どと言っていいほどなかった。

本拠地である埼玉スタジアムを初めて訪れたのは、2016年の4月。
ACLの広州恒大戦だった。
1-0で勝利を収め、レッズが勝った時にサポーターが歌う”We are Diamonds”を熱唱した。

後半にゴールを挙げた武藤雄樹

当時はスマートフォンやモバイルの地図を持っていなかったため、帰り道では全然違う出口から出ちゃって空腹の中迷いに迷ったのも、今となっては良き思い出。

10月には、この年の途中から大会名称を変更した”Ybc Levain Cup(YLC)”で優勝。
決勝はフジテレビでの中継があるため、レッズのシャツを着て中継を見ていた。
高3の秋と言えば受験期真っ只中だが、大事な試合かつ中間試験最終日だったので、母を説得してその時間は試合に没頭していた。
試合は、前半にアデミウソンのゴールで先制されるも、後半にこの年のYLCで大活躍した高木俊幸が放ったシュートで得たCKを昨日引退を発表した柏木陽介が蹴り、こちらも今季限りで引退する李忠成が頭で合わせ、同点。
最終的にPK戦までもつれ、今や日本代表キャプテンとして活躍する遠藤航が5人目のキッカーとしてPKを沈め、13年ぶりの優勝。
我らが本拠地埼スタでの、ミハイロペトロヴィッチ監督主任5年目で初めて獲得した主要タイトル。
当時のレッズは国内の主要タイトル(J1,天皇杯,ルヴァンカップ)から遠ざかっていたので、久々に迎える歓喜の瞬間に、思わず感涙してしまった。

翌日は初めてのレッドボルテージ訪問。
初めて『浦和』の街を歩き、大学生になったらここに足繁く通いたいという想いを強くした。

真ん中でトロフィーを掲げているのは、
当時のキャプテンの柏木陽介(10)

リーグ戦に関しては、このシーズンは2ステージ制で、リーグ戦終了後にチャンピオンシップが行われた。
レッズは堂々の年間勝点1位でチャンピオンシップはH&A方式の決勝から出場。
アウェーでの第1戦を阿部勇樹のPKで1-0と制していた事で、第2戦を終えて優勝して、受験勉強を更に頑張れると思っていた。
ところが、よもやの逆転負け。
すぐ目の前まで来ていたタイトルを逃した現実を受け入れられず、体全体を震わせながら大量の悔し涙を流した。
結果的には、大学受験で第一志望に落ちた時より泣いた。

大学受験を終えると、リーグ戦が開幕。
横浜Fマリノスとの日産スタジアムでのJ1開幕戦を皮切りに、本格的に現地参戦するようになる。

そのシーズン初の埼スタ参戦こそGWの鹿島戦になったが、春休みに吹田に遠征するなど、僕はすっかり、レッズの試合に参戦する事にハマっていたのだった。

そして、浦和出身ではない僕は、『ホームタウン•浦和』のサッカー以外にどんな魅力があるのか沢山調べ、時折訪問する時にはサポーターの間で人気なお店に食べに行ったり、地元の神社を巡るなどして、サッカー以外の部分でも『ホームタウン•浦和』の事がどんどん大好きになっていった。

また、その年は国内の大会では振るわなかったものの、前述の2007年以来のACL優勝。
自分がレッズを応援するきっかけになったCWCに繋がった大会だ。
自分が応援するようになってからは初めてのアジア王者のタイトルであり、自分が初めて現地で味わった、優勝の瞬間。

表彰式終了後の様子

翌2018年の4月には、レッズがJリーグ初期から使ってきたスタジアムであり現在でも天皇杯や埼スタが使えない時に使う、浦和駒場スタジアムに初訪問。

駒場初訪問はレッズレディースの試合でした

12月には埼スタで行われた天皇杯決勝で勝利し、優勝。

埼スタでの戴冠はこれで3年連続となった。

2018年に全部で33試合参戦し、翌年もそのくらい参戦するつもりだったので、2019年には遂にシーズンチケットを購入した。

2019年は
スーパー杯『生まれ故郷•川崎』との試合
後半にこの年に加入したロンドン五輪得点王のレアンドロダミアンにゴールを決められ準優勝。

スーパー杯史上初の『本拠地優勝』はならず
悔しすぎて試合後は写真撮ってないので、この写真で失礼します

2020年も当然の如く更新するも、コロナ禍に見舞われて、2月から6月までの中断の前の2試合を除いて声出しは出来ず、本格的に観戦を始めた2017年以降初めて、遠征に行けないシーズンとなった。
それでも、7月にリーグ戦が再開されて以降手拍子が解禁になり、太鼓が解禁になり、コロナ規制は徐々に緩和されていった。
2021年はJ1最終節で豊田スタジアムに行く事が出来、2年ぶりかつコロナ禍になって以降初めての遠征が叶った。

1階は取れなかったので、『ワクチンパッケージ』を利用して2階から観戦
それにしても、このスタジアムは傾斜がすごいですね

2022
この年からFUJIFILM SUPER CUPと名前を改めたスーパー杯で16年ぶりの優勝
2019年と同じく、『生まれ故郷•川崎』との試合
コロナ禍で観客数の上限が2万人だった事もあってゴール裏の席は取れずにレッズのゴール裏寄りのメインスタンド上段から見届けた。

カップアップの瞬間
記念に、試合後に買いました

2022年と2023年には、コロナ禍であまり現地参戦できていない時に出会った旅好きの仲間が所属する、TABIPPO主催のBack Pack Festaが南浦和にあるさいたま市文化センターで行われた。

2022年は浦和のシャツを着て行った

2023年には、自分にとって2度目のACL優勝。
日本時間2:30から行われたリヤドでの第1戦は、埼玉スタジアムでPV。
この時間帯にスタジアムに入った事は良い思い出になったけど、それと同時に、前年にカタールでW杯があった事も合わさって、中東での試合に現地参戦したいという想いを強くした。

ACLでは、同大会日本人最多得点を誇る
『浦和のエース』興梠慎三のユニを着て闘いました!
試合当日は風が強かったせいか
自分達の席に大量の金箔が舞ってきました

7月には、サポーターとして1度はやってみたかった、『ホームタウン•浦和』での生活を始めた。
浦和駅周辺と埼玉スタジアムの間ら辺で、どちらも自転車で30分くらい。
東京に住んでいた頃は、レッズのホームゲームを観に行くのは遠足感覚だっったが、引っ越した事で、より一層『浦和の漢』としての自覚を胸に闘うようになった。

最寄駅の近くに飾ってあったポスター
『ホームタウン•浦和』をガンガン感じます🔥

来年以降の現地観戦について

この機会に、来年以降の現地観戦について考えている事も綴ろうと思う。

結論から書くと、日本国内における浦和レッズの現地参戦は、今シーズンで一旦区切りをつけようと思う。

色々なタイミングと理由が重なって今回の決断に至った訳だが、実はここ1年くらい、特に今年度に入ってからずっと考えていた事だった。

大きな理由としては、今年の8月に『20代後半』に差し掛かり、いつまでも『若い』とか『まだ時間がある』とかのんびりと余裕があるような事を言っていられる年齢ではなくなった中で、海外関連も含めて、自分がこの人生をかけて本当にやりたい事に専念する為。

その他の大きな理由としては、観戦中の心境の変化。
これに関しては、スタジアムと画面越しの両方において言える事。
『サッカー観戦をしている』という事自体は子どもの頃から変わってないが、自分の中での捉え方や選手達のプレーを見ている時の心境は、歳を重ねるごとに変わっていった。

これは特に、僕と同世代の人達や僕より上の世代の方は共感できる部分もあるかもしれないが、日頃からサッカー観戦をしているからこそ、同世代の選手達が日本代表や海外のクラブで躍動している姿を見て感化されるようになった。

大学生の頃まではピッチで戦っている殆どの選手が年上だったから、彼らが輝いている姿を見ても、「凄いな」で終わっていた。
ただ、そんな僕も、歳を重ねるに連れて自分と同世代や自分より下の世代の選手が活躍する姿を見る機会が増え、彼らが海外のクラブや日本代表の舞台で躍動する姿を見る機会が多くなる中で、彼らからそれまで以上に刺激を受けるようになり、「自分も海外で活躍したい」という想いを日に日に強くしていった。

夏場に2ヶ月近く現地参戦から離れた事も、一時的にではありましたが、自分の今後のキャリアと向き合う事に集中する為だった。

チームとして大事な試合が続いている中で、ましてやタイトルがかかった試合の直前にこのような話をするのはどうかと考えたのだが、この文章を読んでくださっている皆さんには共有したいと思ったので、自分自身への決意表明も兼ねてこうして書いている。

ただ、誤解してほしくないのは、僕はレッズを応援する事そのものを辞める訳ではない。
それならば、「僕はもうレッズは応援は辞めます」と言っていたと思うし、明後日以降の試合のチケットも買っていないと思う。
でもそれをしないのは、僕はこれからもレッズの事は応援するし、スタジアムの内外で出来た繋がりはレッズ以外の所でも続けていきたいと思っているから。

また、試合観戦に関しては、DAZNは引き続き契約して、リーグ戦やACLは見られる範囲で生で見ようと思う。
他の大会に関しても、ハイライトなどの映像は引き続き見ようと思う。

7年間に渡って何十試合単位でスタジアムに通うほど大好きな浦和レッズの現地参戦から、2ヶ月半とか短期間ではなく何ヶ月も、もしかしたら1年以上離れるというのは大きな決断だし、正直今は想像つかない。
ただ、その分、覚悟を持って自分の人生を歩もうと思う。

そして来月には、レッズの現地参戦に区切りをつける前の最後の最後、僕が『ホームタウン浦和』に住んでいる間に掲げた、”from URAWA to the WORLD”をデカデカと体現するべく、行きの航空券と試合のチケットを確保した。
今年4月を含めて2017年以降のACL決勝では立つ事が出来なかった、念願の場所。
『浦和』の誇りと大和魂を胸に威風堂々闘ってきたいと思う。
詳細や当日の様子などは自分のSNS等で発信するので、楽しみにしてもらえたら嬉しい。

レッズや『ホームタウン•浦和』に対しては他にも色々な想いがあるけど、それも書いたら更に長くなるので、今回はまず先に皆さんに共有だけさせてもらう事とする。

僕からも、みなさんに感謝の気持ちを込めて
ありがとう

Epilogue

最後に突然の発表をした事で驚いている方もいるかもしれないが、明後日は、7年ぶり3度目の優勝がかかった大一番。
僕としても、『ホームタウン•浦和』での生活を無冠で終える訳にはいかない。
『浦和』の街に『優勝』の2文字を持ち帰ろう。

We are REDS!

2023.11.2 SHOMA.O

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