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1分で署名に参加できる時代に、責任を忘れたくないと思う。

  Change.org というオンライン署名を行うWebサイトを初めて使ったのは、2年前だった。きっと、アナログの署名でもそう時間は変わらないと思いつつも、ものの1分で署名がスマホでできてしまうことには、すこし恐怖を感じた。いや、正確には、まず、驚いたのだった。ついさっきまで感じていた自分の中の怒りが、機械的に消化させられたように感じる。そのあっけなさに、私は驚いていた。

  そして、次に考えたのが、悪用まではいかなくても、遊びのように浅い理解やジョークとして、署名行為が扱われてしまう危険性への恐怖だったのだ。実際、私は、一度署名に参加すると、2回目、3回目と署名を重ね、つい先程、4回目の署名を終えている。

  当たり前のことだが、私は私に責任を持ちたいのだ。さらに言えば、いつ何に署名したかを忘れたくなければ、その瞬間に署名できたことを誇りに思いたいと思う。

  スマホで数回タッチしただけだけど、頭の中で、署名会場に出向いたことを想像してみた。すこし迷ったのは、野外のアナログな署名会場にも、その場の出会いをきっかけに気軽に署名に応じてくれる人がいるということだ。その行為が気軽に見えても、それを非難する権利は私にはない。彼らには彼らの正義感があり、そもそもの署名システムを作った人にも、パーソナリティに基づいた正義感があるからだ。そう考えると、デジタル署名の精神的なハードルの是非はあくまで、私個人の側の問題だと分かる。

  署名に参加した後から、「大丈夫。私は間違っていない。」と結局、以前よりも悩んでいるのは、やはり滑稽かもしれない。しかし、きっと大丈夫なのだと信じよう。

https://www.change.org/


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