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論理的思考のコアスキルを読んで

今回は「論理的思考のコアスキルー波頭亮ー」を読んだので、自分が学んだことをアウトプットしていきたいと思います。

ここ最近、よく「論理」という言葉を耳にするようになり、論理とは〇〇だよ!と色々言われますが、どれを信じていいのかわからず、「論理」の本質を理解できていませんでした。この本が必ずしも正解というわけではないと思いますが、個人的に目から鱗のようなことばかりだったので、その内容を少しお伝えしていきたいと思います。



論理とは


本書では、「論理とは何か」の前に「思考とは何か」の章があるのですが、そこの内容を含めてしまうと長くなってしまうため、今回は「論理とは何か」に絞ってお話ししていこうと思います。一番初めの「思考とは何か」も学べることも多いので、ぜひ読んでいただきたい部分です。

論理とは、「ある命題(既呈命題)から、推論によって次段階の命題を導かれている命題構造」あるいはそうした命題構造における「既呈命題から次段階の命題を導くための思考の道筋」である。

上記のようにこの本では論理というものをこのように定義しています。この文章だけでは理解が難しいという方もいると思うので、もう少し具体的にお話ししていきます。

既呈命題は根拠、次段階の命題を結論として捉えていただけると少しわかりやすいのではないかと思います。既呈命題(根拠)から次の段階の命題(結論)までのことを論理と定義しています。また根拠から結論を導く推論だけが論理だけでなく、この既呈命題(根拠)から次段階の命題(結論)を導くその間のプロセス(本文では推論と表現している)のことを論理と定義しています。

ここからは実際に例文を使ってお話ししていきます。
例えば、
「3月も下旬になった。"したがって"もうすぐ桜が咲くだろう」
という文章の場合、「3月も下旬になった」という部分が既呈命題(根拠)にあたります。「もうすぐ桜が咲くだろう」という部分は、次段階の命題(結論)にあたります。このように既呈命題から次段階の命題は、「したがって」という文脈で繋がれ得る論理となります。

一方、何らかの主張や結論を先に提示した上で、その主張や結論を支える理由として根拠を示す論理構造もあります。
例えば、「彼はあの難関大学に合格するだろう。"なぜならば"地頭がいい以上に勉強しているからだ」
という文章があった場合、次段階の命題から既呈命題に導くこともできます。この場合、結論と根拠は「なぜならば」で繋がれる文脈の論理になります。

そんなもの当たり前だろと思うかもしれませんが、全て「したがって」「なぜならば」で繋がれば論理的であるとは認められません。

論理的に認められる条件は、
・客観的妥当性があること
・受け手の理解が得られること
です。

客観的妥当性があることはどうゆうかと言うと、その論理展開が客観的妥当性が有しているか必要があるということです。

例えば、
「今日の天気は曇りである。したがって、私は傘を持って行く」
という文章は形としては間違っていなくても論理的とは言えません。客観的妥当性とは、大多数の人によって正しいと判断・承認され得ることを指します。わかりやすい例をだすと「水素と酸素は結合して水ができる」というのは誰もが正しいと判断できますよね。しかし、例にあげた文章は、誰もが正しいと判断できるでしょうか?
このように、ただしたがってで繋げればいいのではなく客観的妥当性が論理的に認められる条件になるのです。

次に「受け手の理解が得られること」に関してですが、受け手の判断能力や判断基準に適合した論理展開でなければ、いくら客観的妥当性があったとしても論理的とは言えないのです。

例えば、
「E=mc^2 したがって時間は可変である」
という論理を提示されてもそれが論理展開の妥当性を判断出来る人は少ないと思います。このように受け手側の判断能力等を考慮したものでなければ論理的とは言えないのです。

まとめ

今回は「論理とは何か」に絞って話をしたので、論理って意外とシンプルなんだなと思った方もいるかもしれません。しかし自分でいざ論理的に話ができているかというと答えるのが難しいですよね。私もまだまだ論理的な思考力・表現が足りない部分はいくつもあります。不特定多数の人がこのブログを読むと考えると自分もさらに論理的な文章を書かなければいけないと思います。まだまだ足りない部分はあると思いますが、この本で学んだことを自分の日常生活に生かしていきます。「論理思考のコアスキル」は論理とは何か以外にも、どのように論理思考を習得するのか方法論も書かれているので気になった方はぜひ読んでみてください。その内容も後々書こうかなと思います。


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