新年というのは目標をたてるには不向きなのではという話
くまてつさんがこんな記事を投稿していました。
「一年の計は元旦にあり」がわからない中国人SEのC君のおはなし|くまてつさん@中国|日本語教師 @kumate2san #note https://note.com/kumate2/n/n6eec7202c2ad
実際に中国にいた身としては、(全中国人がこうだ!のような過激なことは言いませんが)概ねこのような感性の人が多かったように思います。要は、長期的な動機より短期的な動機に突き動かされているような。
こういうところが、どういったレベルで歴史や民族的な部分から来ているのかはわかりませんが、個人的には、天から与えられている中華の支配権という考え方と、民衆は強大な力に対してある程度従属的であるという古くからの民族性、ということが絡んでいる気がします。儒教的であれば先祖や血というものを大事にしそうですので、それとは違うイデオロギーかなと。
で、なぜこの話かというと、かくいう私もこのような刹那的な考えというのがある程度見についています。これは、3年間中国にいたせいというより、元々あった素養が中国で育った、という感覚です。
とはいえ、年がかわる、というのは徳政令カードのようにすべてをリセットしてくれそうで、目標を立てたくなる気持ちはあるんです。ただ、やはり年末年始はダラダラしたい。特に、31日と1日はもう酒飲んでフラフラなのが常態です。そんな状況でまともな計画や目標など立てようもないですし、立てるだけ無駄なのかも?と思います。
現に、実はこっそり目標めいたものを心に置いたりしていました。それは、「本を2日に1冊読み終わる」「ブログを毎日書く」です。これを30日くらいに密かにこころに刻んでいたわけですが、本を読む、は、読んではいますが終わりそうにない、ブログはそもそも昨日書いていない、ということで、この段階でバツ2です。こんな気持ちで一年過ごしたくないですね。
アウトプットもインプットも大事!しないやつはだめ!みたいなマッチョな思想(これは、ブックカタリストというポッドキャストからもらった言葉です)に踊らされて、ついつい新年気持ちも新たに徳政令カード!これからがんばるぞ!的な感じで無理な目標を立てがちな体育会系の私ですが、昨日の私との連続性は除夜の鐘ごときで途切れるはずもなく、怠惰で酒飲みの自分がここには存在するわけです。まあ、こういう自分に腹が立っているわけでもないです。なんせ、40年も付き合ってきた性格ですから。
ただ、もっと勉強したい、という学習欲はあるので、いろいろな場所で噂を聞くLearn bettrrという本を購入し、読み始めました。散々学習関連の本は読み漁っていたので、内容的に完全に新規、というものは少ないのですが、知識はモノではなくて鉄道網のようなネットワークであり、そのネットワークの仕組み、いわば時刻表を学ぶのが学習である、というのが胸にすっと落ちました。今までのバラバラな知識の統合というか。
今まで知識の関連性とか意識できなかったし、それをできるようなアウトプットもしてきていなかったので、ただ「アウトプットする!」ではなく、知識と知識とのネットワークをつなぐ作業としてのアウトプットを意識しようかなと。
もう一つは、車輪の再発明をしないことを意識したい。おそらく、自分が今思いついたようなことはきっと誰かがすでに考えついているはずであり、そこを調べつつ、あればなぞりつつ、なければ深く追求しつつ、ということをやりたいですね。
不向きだ、と言いながら、目標らしきものがどんどんと出てくるのは、今年末年始の休暇を長くとったために精神的にかなり余裕があるからだと思います。この精神状態で一年過ごせたらいいのになと思いつつ。まあ、今の会社にいる限りは無理だろうし、早く塾を開く目処をたてたいと思う次第。
ではでは。
※画像は足湯にあった八面大王
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