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26_「感覚」と「感情」の取り扱い

遠野のクイーンズメドウ・カントリーハウスで開かれた「かかわり方の学び方 馬と、鳥羽和久さんと」に参加した。岩手県には何度か訪れているけれど遠野は初めて。情報量が多くて濃い4日間。今もまだ体内で言葉が踊ってる感じがある。

今回の滞在プログラムの主催は西村佳哲さん。わたしが神山で仕事を始めてからの数年間は楽しくも苦しい時代だったけれど、西村さんは今につながる道を照らし続けてくださった方。改めて、西村さんの主催する場を体感したかった。ノンバーバルなコミュニケーションに関心が高まっていたり、生き物の存在が気になっていたり、教育ってなに?という問いがぐるぐるしている中で「馬と、鳥羽和久さんと」のタイトルにも惹かれたのが今回参加を決めた理由。


馬が暮らす場所へ

徳島→遠野は遠い。前日、大雨のため遠野行きの電車の運休が決まったと連絡があり、手前の新花巻駅で待ち合わせることに。改札を出るとタクシーの運転手さんが「クイーンズメドウ」という手書きの看板を持って待ってくれていた。初対面の3名の方々と1時間の道のりを移動。遠野に入ると途端に運転手さんの口数が増えた。この地域の気候、朝方出てくる雲海、馬の話を聞きながら目的地へ。

足元には落ち葉が堆積し、雨が降る森の空気が心地よい。若葉の重なりや木々の間から差し込む光がきれいで何度も深呼吸した。

ここで暮らす馬たちは、人にあわせるのではなく彼ら彼女らの本来ある姿を目指していると徳吉英一郎さん(トクさん)から聞いた。トクさんは馬を「彼」「彼女」「2人」「3人」と呼ぶ。


食べる、排泄する、寝る

土を舐めている馬

雨が降る山の中で、土を舐め始める馬。ときどき塩も舐めるらしい。足りないものを補給しているというそのセンサー、欲しい。

塩分補給所

食料は、主にイネ科の植物や干し草。500kgの馬だと毎日50kgくらいを食べているそうで、起きている時間の大半を食事に使っている印象。

今の時期は草木の生長が著しく、馬たちは道草を食っていた。咀嚼音や奥歯が擦れる音、歯がかち合う音がリズミカルに響く食事の時間。検索したら「馬の咀嚼音」という動画があって驚いた。

排泄する瞬間も何度か見た。乾燥したボロ(馬糞)は抵抗なく手に取れるし匂いもしない。ほぼ草。牛糞の匂いに慣れているわたしには、この爽やかな排泄物が新鮮だった。
尻尾付近には軟骨があって、排泄時には毛ごとキュッと持ち上がる。

うまくできている

ボロがいつもより緩い日。トクさんは「昨日の祭事(いつもと違う環境下で過ごした)が影響してるかなぁ」という。「食べる・出す」はとてもわかりやすい反応。

そして、寝る。

この体勢で寝ていることがある


一緒に歩く、走る

2日目には、ブラシをかけたり、歩いたり走ったり、近い距離で牝馬(ひんば・メス馬)と過ごした。嫌がっているように首を背けたとしても、リードを引いてこちらの意思を伝える。そんな応答が繰り返される。

4日目(最終日)は牡馬(ぼば・オスの馬)と一緒に歩いた。突然駆け出したり、ひひ〜〜〜ん!って鳴いたり、2頭が絡みあったりしてドキッとする場面が何度か。体が大きいので想定外の動きをされると身の危険を感じる。トクさんが介入して2頭の関わりがリセットされた。馬の間に入って一度引き離すことが、トクさんから馬へのメッセージ。言葉でのコミュニケーションはできないからこそ、体を張って伝える。命懸け。

人は言葉を使うし感情が絡む。それは人を人たらしめる素敵さでもあり、難しさでもあるなぁと思う。


今いる世界を広げていく

子ども時代に野犬に追いかけられて以来、動物がずっと苦手だった。野放しの犬に会うことが怖かったし、出会ってしまった時には全身の感覚が遮断された。勤務先の学校で飼っていた鶏は人が近づくとギャンギャン騒いで羽をバタつかせた。常に攻撃的な姿勢は全く好きになれなかった。あの鶏たちも人を好きになれなかったんだよね、と今なら思える。

ここ数年、鶏に触れられるようになったし「きれいだな」と思うようにもなった。今回の馬にいたっては「もっと知りたい」とまで思った。

苦手だったものが苦手じゃなくなること、関われる範囲が広がっていくことは、単純にうれしい。

つむじ

瞬きしたり、足をあげたりする馬の反応を感じながら触れている時間は、とてもあたたかな時間だった。

写真で見るとサラッサラに見えるけれど、立て髪や尻尾の毛はかなりの剛毛。実際に手で触れて初めて知った。

奥の田んぼはこれから田植え

食事、排泄、睡眠。
「食べる」ことと、体が示す反応とを行き来しながら、健康に生活できるリズムを獲得していくことは、生きることそのものだと感じる。


馬の暮らしから「食育」の話題に移るとかなりの乖離があるけれど(!)。今なら、食育基本法の前文も広く、深い意味を含んだ言葉として受け止めることができる。

子どもたちが豊かな人間性をはぐくみ、生きる力を身に付けていくためには、何よりも「食」が重要である。
今、改めて、食育を、生きる上での基本であって、知育、徳育及び体育の基礎となるべきものと位置付けるとともに、様々な経験を通じて「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てる食育を推進することが求められている。
もとより、食育はあらゆる世代の国民に必要なものであるが、子どもたちに対する食育は、心身の成長及び人格の形成に大きな影響を及ぼし、生涯にわたって健全な心と身体を培い豊かな人間性をはぐくんでいく基礎となるものである。

「食育基本法」前文より一部抜粋

他の生き物にできなくて人間ができることの最たるものは、農業と料理。

クイーンズメドウで出てくる食事は1日2食。藤田さんが時間をかけてつくってくれていて、毎食楽しみだった。遠野の山菜など聞きなれない名前の野菜もいただいた。山に生えている山菜も、徳島とは違う。

神山町の学校で積み重ねている「一緒に育てて食べる」食農の授業も、周辺環境や地域性を知る入口になっているといいな。

待ち遠しかった食事の時間(1日2食)


応答し続ける

世界は言語でできている。鳥羽さんは人の生きている範囲を「言語圏」と言い表していた。

今回ご一緒した皆さんと

「感覚」と「感情」は、今回の滞在中にその意味の理解が深まった言葉の一つ。
「感覚」は、いろんなものが入っている、まだわからないけど正確なもの。身体反応のような。それらが情報処理されて言語化されるものが「感情」。
これまで感覚と感情を分ける言葉を持っていなかったので、これを機に自分の中で起こるものごとを意識して取り扱えるようになった。これはわたしにとって大きな出来事。

神山町で一緒に活動している子どもたちの反応(声、表情、仕草)には、まだ言葉にならない、いろんなものが入っている(想像)。食農教育は、感覚がひらかれる活動でありたいし、そこから生まれる言葉や絵や歌や動き(踊り)にもいろんなバリエーションがあって欲しい。問われるのは、子どもたちの反応を受ける大人のあり方や構えなんだろうな。そんなことを馬と接しながら考えていた。

当初の目的として描いたこととは別の学びもたっぷりと得た4日間だった。

帰徳の翌週は、韓国から来られた方々に向けて視察レクチャー。食農教育の意義を「感覚」という言葉を使って説明している自分がいた。話した内容は忘れてしまったけれど、腑に落ちる説明だったという感覚だけが残ってる。

またね!