見出し画像

「話し合って決める」 子ども時代の原体験からつながる仕事

小さな社会はそこにいる「人」がつくっている。地域でも、会社でも、学校でも、それは変わらないという思いがわたしの中には強くある。

原体験は、小学校6年生の時。

何もかも「話し合って決める(つくる)」が徹底されていた教室だった。議題はその時の困りごとや議題ボックスに入っているものから選び、司会・進行も書記も自分たちで順番にやる。ルールや係活動、当番決めはもちろんのこと、学級歌もつくった。
「全員が発言するまで話し合いは終わらない」し、延長して数時間に及ぶこともしょっちゅう(楽しかった)。それは「みんなのことを自分ごととして考える」時間でもあった。振り返れば、あの時間が苦痛だった同級生もいたかもしれない、と思う。「発言しなきゃ…」という圧もかかっていただろうな。わたしも喋るのが得意ではなかったけれど、みんなの前で発言する度胸は身についた。それは、自分の言葉が周囲に届き、受け止められる時間だった。

この体験がわたしの中で育ち、中学、高校と所属先が変わるなかで無視できないほどに大きくなった。結果として、わたしは教育大学の「学級経営」コースに進学し、教員になったのだった。

教員になってからは「話し合い」で苦しんだ。同じようにはできないし、描いた理想から抜け出せない。目的は、話し合いの方法を身につけることではない。教室にいる一人ひとりが大切にされる、自分を大切にできる、そんなメッセージを子どもたちに伝える状況や環境を生活の中でつくっていくことがわたしの仕事だと思った時に、少し肩の力が抜けた。

(教職を辞し、Food Hub Project へ入社)

教員を辞めてフードハブに入社してからも、「一人ひとりが大切にされる、自分を大切にできる」場をつくりたいという思いは変わらなかった。多様なメンバーとそれをつくっていける楽しさも感じていた。

立ち上げ時は5人程度のメンバーでテーブルを囲んであーだこーだと都度ミーティングしていたが、お店がオープンし、メンバーが増え、共有事項や確認が必要になってきたとき「月一会議」が始まった。人数がさらに増え、全体で共有する物事がagendaにおさまらなくなってきたとき、「自分ごとにならない」会話が行き交うようになってきたと思う。

小学校6年生の時の「話し合い」の記憶がグググっと蘇る。
あの時は、教室内で起こるものごとを「自分ごと」として真剣に考え議論していた。だからこその楽しさや充実感があり、教室というコミュニティへの所属感が高まっていった。

今、目の前で起こっていることに無関心である状況。「分からないまま」にするのも一つの方法だが、「分かりたい」と気持ちを寄せることがコミュニティへ所属する良さじゃないかとも思う。けれど。メンバーらと話をする時間も激減し、余裕がなくなり、メンバーらの考えが思った以上にわからない、ということもわかってきた。そこで生まれた「みんなでつくる全体会議」は希望だった。

トップの写真は「みんなでつくる全体会議」の一場面。これまでの社内会議の運営方法を見直し、会議を運営する「委員」を募ることにした。名称を「みんなでつくる全体会議」とし、2018年10月からリスタート。その様子は振り返り記事に詳しい(2018年12月〜2020年3月)。

途中、全体会議を辞める辞めないの議論もあって(個人的にはいろいろ猛省)、今も継続している。立ち上げた当初、大事にしたかったのは「委員」での話し合いの時間。部門が偏らないように委員を募り、各部門の近況や課題をもとに会議の内容を決めるようにした。最高の会議だったと思うのは、カードを引いて同じグループになったメンバーと「75分間好きに過ごす」という回だ(←会議じゃないw)。これを「委員」で話し合って決めた時は、キラーンと光が見えたような気がしたもんだ。そろそろ新しい段階に進めるのでは、と希望を抱いた回でもあった。

当時の活動日誌にこう書いている。

「会議を、会社を、自分の仕事を、どうしていきたいのか」を問うことは、目の前のモノゴトを自分ごとにし、会社で掲げる理念を推進する一歩になっているように思う。社内のコミュニケーションを起点に新しい仕事や新しいやり方が次々と始まっている状況を鑑みると、社内コミュニケーションに主軸をおいてきたこれまでの「みんなでつくる全体会議」のあり方をベースに、もう少し踏み込んだ場をつくっていけるタイミングなのかもしれない。

画像1

身の回りのものごとを「自分ごと」にできれば、毎日は楽しい。その力はどのように身につけられるのだろうか。放っておいてできるものではなく、適切な人とのかかわりと仕組みの中で醸成されてゆくものだと今は思う。

わたしの周りの小さな社会は、そこにいる「人」がつくっている。小さな社会を「教室」「会社」「家庭」「地域」と置き換えて、今も時折自分の行動を振り返る。

子ども時代、教室で起こるさまざまな問題について、時にぶつかり合いながらも仲間と話し合った経験は、わたしの根っこにズンと生えて支えてくれる。やっている仕事は変われど、今も「学級経営」コースに進んだ時の心持ちと何も変わっていないなと思えることが、励み。つづく。

後日談(2022.5)
小学校6年生の時のクラスメイトが連休に訪ねて来てくれた。成人式ぶりに会った友人と6年生のクラスの話になり、みんなで作詞し担任が作曲した当時の学級歌を歌い始めたら歌えた…!そしてわたしがここに書いたように「とても楽しかった」「授業より話し合いが大事にされてたよね」という話をした。じんわりとあたたかい気持ちになった。

#最近のNPO
食農教育をそだてる勉強会第1回の振り返りレポート03が完成しました。
石川初さん「神山の農風景をめぐって」